第一章:天才バレリーナとの出会

 「ふわり布団店」の奥で、佐藤悠斗は黙々と針を動かしていた。布団の縫製は彼にとって唯一の得意分野であり、静かな作業に没頭することで、外の世界から目を背けることができた。今日も母親に店番を任せ、自分は裏方に徹するつもりだった。


 しかし、その静寂は母親の声によって破られる。


 「悠斗! お客さんが布団のこと詳しく聞きたいって言ってるわよ! あんたしか答えられないんだから、早く来なさい!」


 悠斗はため息をつきながら立ち上がった。客対応は苦手だ。特に自分の知識を話すと相手に引かれることが多く、それがトラウマになっている。しかし、母親の強い声には逆らえない。


 店内に出ると、一人の女性客が立っていた。その姿に悠斗は思わず足を止める。


 長い金髪をポニーテールにまとめた華やかな美貌。スラリとした体型に動きやすそうなカジュアルな服装。どこか舞台映えするような雰囲気を持つその女性は、悠斗の目には非日常そのものだった。


 「こんにちは。この店ってオーダーメイド布団も作れるんですよね?」


 女性客――橘美咲は明るい声で問いかけた。その名前は全国的に有名だ。天才バレリーナとして数々の大会で優勝し、「天下無双」とまで称される実力者。そんな彼女が、なぜこんな田舎の布団屋に?


 陽子が笑顔で対応する中、美咲は舞台用寝具について質問を重ねていく。その内容が専門的すぎて陽子では答えきれず、ついに悠斗が引きずり出される形となった。


 「えっと……舞台用なら、軽量で保温性が高い素材がいいと思います。それと……」


 悠斗は緊張しながらも、自分の知識を総動員して提案を始めた。美咲は真剣な表情で彼の話に耳を傾け、その目には驚きと興味が宿っている。


 「すごいわね。そんな細かいところまで考えてるなんて、本当にプロみたいじゃない」


 その一言に、悠斗の胸がざわついた。誰かから直接褒められるなんて久しぶりだった――いや、それどころか、自分の得意分野が認められたことなど初めてかもしれない。


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 数日後、悠斗は完成したオーダーメイド布団を届けるため、美咲が指定した地元のバレエ教室へ向かった。母親から「直接届けてきなさい」と促されたものの、知らない場所へ行くこと自体が彼には大きな挑戦だった。


 教室に入ると、広々としたスタジオで鏡張りの壁や木製の床が目に飛び込んできた。そしてその中心で踊る美咲の姿。彼女は音楽に合わせて軽やかにステップを踏み、時折ジャンプや回転を織り交ぜながら華麗な動きを見せていた。


 その姿はまさに「天下無双」と呼ぶにふさわしい輝きを放っていた。しかし悠斗は、それ以上に彼女が何度も失敗しながらも挑戦し続ける姿勢に衝撃を受けた。完璧そうに見える美咲にも苦悩や努力がある――それを目の当たりにしたことで、悠斗は自分とは違う世界で生きる彼女への尊敬と憧れを抱くようになる。


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 練習後、美咲と話す機会を得た悠斗は、自分にはそんな挑戦や努力はできないと弱音を吐いた。


 「僕なんてただ布団作りしかできないし、それだって別に大したことじゃない……」


 美咲は真剣な表情で彼を見つめた。そして静かに語り始めた。


 「誰だって最初は怖い。でも、一歩踏み出さなければ何も始まらない。それは私も同じだったわ。バレエだって最初から上手くできたわけじゃない。ただ諦めずに続けただけ。」


 その言葉には説得力があった。そして何より、美咲自身が自分の夢を追う姿勢そのものだった。


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 帰り道、悠斗はふと考えた。「僕にも何か挑戦できるだろうか?」

布団作り以外にも新しいことに挑戦してみたいという思いが芽生え始めていた。それは小さな一歩だったが、確実に彼の日常を変える兆しとなった。


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