第10話


 当時のDの近しい関係者内で、一般的に知られている『事実』は次のとおりである。

 Dは地方視察の折に個人経営のスパに立ち寄り、ニーナ・ギオルギと出会う。当時十八歳のニーナは母の経営するその店でエステティシャンとして働いていた。彼女を気に入ったDは本人及び母親に、ニーナを専属セラピストとして雇いたいと申し出た。

 ニーナの母はDと同世代で、熱心なDのファンだった。ずっと母とふたり暮らしだったニーナもDに憧れていて、憧れの人からのオファーは彼女を無邪気に喜ばせた。すぐに話はまとまり、ニーナはDの世話で首都のアパートに引っ越した。

 ニーナは明るく純真な娘だった。Dもニーナを可愛がり、首都での生活に不便がないようこまやかに取り計らった。逮捕の日まで、ニーナは首都の著名な美容学校に通学していた。

 昼間は学校で美容技術を学び、たまにDの時間が空いた夜にDに施術する。忙しいDがニーナを呼ぶのは二週間に一度程度で、官邸に赴いても予定が長引いて約束が流れることもままあった。Dはその時期、グリエンテと名前を変更し鎖国化した故郷の街に、ラドンを利用した極秘研究プロジェクトを進行させる準備にかかりきりだったのだ。

 次第にニーナはそうしたDの政策上の冷徹さを垣間見、疑問を持つようになっていった。ニーナがDに政策について質問をしている場面を目撃した政府関係者もいた。 

 反体制派グループから、ニーナへ接触があったのはこの時期だと思われる。そして警察公安部がニーナに目をつけだしたのもこの頃からだった。ニーナとの関係が認められた反体制グループが、爆弾によるテロ行為を大統領周辺に仕掛けようとしていると明らかになったからである。

 D政権下の公安部は、ひたすらに執念深く粘着質な捜査体制をとっていた。このテロ計画も事前に察知していながらギリギリまで泳がせ、言い逃れのできない状況をテロリスト自らの手で作り出させた。その間、アジト内部の探知やメンバーの尾行は抜け目なく行い、彼らに不利な証拠を抉り出している。

 決行予定日の前日、メンバーの二人が官邸内に忍び込んだのを張り込んでいた公安部が拘束し、それをきっかけに公安部は反体制派グループのアジトに突入、一斉摘発を行った。事前に作成した名簿に基づき、その場にいない逮捕者は追跡をかけて検挙した。

 その逮捕者名簿には、ニーナの名前もあった。

 当時、反体制的行動での逮捕には大統領のサインが必要だった。この種の容疑での逮捕は、検挙がほぼ確実に刑の執行に繋がる。そのため警察機関の単独暴走を避ける目的で初代大統領政権時に作られていた法律が、Dの時代にも変わらずに施行されていたのだ。

 このときのテロ未遂への逮捕者名簿も、Dがチェックし、サインしたものだった。つまりDはこの時点で、ニーナが自分を裏切ったことを認識していた。

 取り調べにおいて、ニーナは拷問を受けても一貫して容疑を否定した。だがテロ規制法の適用により、ニーナも他のメンバーと同じく銃殺刑と決まった。どうかマダムに会わせてほしいという最後の懇願も聞き入れられることはなかった。

 カビ臭い結露の雫が滴り落ちる地下の取調室で、ニーナは頭蓋を撃ち抜かれて死亡した。当時極秘扱いの遺体の記録写真では、彼女の両腕が切り落とされていたことが確認できる。

 十一月二日の一斉検挙から、わずか二日後の処刑だった。

 だが逮捕から処刑までのその短い期間のうちに、公安部にはありがたくない証拠品として、ニーナが住んでいたアパートから彼女の日記帳が見つかっていた。

 淡いピンクの表紙のその日記帳には激務のDの体調を気遣う文章はたびたび書かれているものの、反政府的発言はおろか、政策への疑問などひと言も書いていなかった。都会の暮らしに心を躍らせ、夢のようだと素直に感嘆している。貧農の村から首都へ連れてきてくれた感謝は何度も綴られていても、どこを読んでもDを悪く書いた箇所など見当たらない。

 逮捕の前夜に記された最後の記録は、地元から会いにやってきた恋人にプロポーズされ、一年半後の卒業まで待ってほしいと返事をしたら喧嘩になってしまったという内容だった。

――ヤンのこと嫌いになりそうなの、もう何度目かわからない。嫌いになっても結局は愛しているけど、でも嫌い。今はすっごく嫌い。顔も見たくない。

 大統領官邸爆破という重大なテロを控えている人間とは思えない緊張感のなさ。それも愛人という噂が立つほど世話になったパトロンを殺そうというのに。

 公安部はこの日記帳の発見を、処刑後まで隠しとおした。これだけで即無罪確定とはならなくても、もしDにこの日記帳の存在がばれたら事前捜査の手落ちを責められる。

 同時に逮捕された反体制派グループの構成員たちも、ニーナは無関係だと取り調べで証言している。むしろ、彼女が組織の存在を密告したのではないかと決めつけていたという。

――我々は彼女に近づこうとしたが、彼女からは不審者だと思われて通報されかけた。あの女は頭のからっぽなただの馬鹿だ。あの女は真昼間の公道で、私を痴漢だと大声で罵った。

 このような証言から、おそらくニーナは反体制派グループからなにかしらの接触はされたのだろうが、グループへの協力、加入はなかったと考えられる。逮捕前の調査では反政府的思想の書物を所持しているとされていたが、逮捕後にどう探しても彼女の荷物からそうした書籍は出てこなかった。

 ニーナ・ギオルギは無罪だった。

 もしDがニーナを大切に思っていなかったら、この冤罪は闇に葬られていたのだろう。

 Dは娘の身元を引き受け預かっていた者の責任として、ニーナの母親に一連の経緯を伝え、きちんとした形の弔いをしようとした。

 ニーナの処刑と相前後して、母親も自宅で自殺していた。首を括ったニーナの母親は、もしも娘がテロに加担したのなら私がなんとしてでもお詫びをする、だから娘は許して欲しいという内容の遺書を残していた。

 公安部はニーナの母の死も日記帳と同様に、Dにはひた隠しにするつもりだった。それなのにDが弔問の電話をかけようとしたために自殺の件が明るみに出、日記帳の存在や反体制派メンバーの証言もDの知るところとなった。


 無論Dはニーナにかけられた嫌疑が誤解だったと察しただろう。Dが公安部になにかしらの懲罰を与えたかについては、記録に記載がないため不明である。


 その年のクリスマス、首都で行われた公式行事で、観覧に集まった国民にまぎれていた青年が大統領に向けて発砲するという事件が起きた。Dは無事だったが、隣に並んでいた政府要人のひとりが太ももを撃ち抜かれて負傷した。撃った青年は周囲の観覧者と警護によってその場に取り押さえられた。


「こんな――をね」


 雪に濡れた石畳に抑え込まれた青年に目をやり、Dは無表情につぶやいたという。その言葉は近くにいた側近にもよく聞き取れなかったが、おそらくは軽蔑だっただろう。

 逮捕された青年はニーナの恋人だった。都会に出た恋人に結婚を申し込み、待ってほしいと言われて喧嘩になった青年である。


 彼は短い取り調べののちに絞首された。


 当時の報道では、この青年は十一月に処刑された反体制派グループの残党とされた。大統領暗殺テロ未遂事件の首謀者として処刑された二十一名は、ニーナとヤンも含んだ人数である。

 この一連の事件は、Dが終身大統領就任して四年目に起きた。大統領就任から十二年、Dは四十四歳になっていた。


 三十二歳でこの国の最高権力者になった彼女は、テロ未遂事件後さらに揺るぎなく磐石になった政権を十一年間維持し続けて五十五歳で死去。在位、二十三年。

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