第7話 え……この世界って未来の地球だったんですか!
「こっちを向いて」
向かい合うと、
——え……?
聞き返そうとすると、
悲鳴をあげ、その場で座り込む。
「わあお。千砂さま。私もそれ、やられましたけど、いつか、殴られますよ。ほんとに」
アリエスが、カップを持ち上げ、紅茶を飲みながら、無感情に言った。
「うーん、理解してもらえないかな。あたしは、女の子の悲鳴とリアクションから、体の調子を診断しているんだけど」
「無理ですわねー。自覚はあると思いますけど、千砂センセ、アリアンフロッドの間でめっちゃ、評判悪いですわよ。私のところまで、なんなの、なんなの、あのセンセーって、怒りの苦情が届くくらいですので」
「そ……そんなに?」
「自覚なかったんですか……まずは、そのいやらしい手つきと表情を改めたら、どうですか」
「えぇ……女の子の綺麗な肌を目にしたら、誰だって、こうなっちゃうでしょ」
「なりません。それも、問題発言ですわね。あとで校長に報告しときましょ。……ま、夕里菜さま。そういうことですので、今回はどうか、諦めてくださいませ。毒牙にかけられないように、きっちり監視はさせていただきますので」
座り込んでいる夕里菜の背後から、千砂が肩に手を置いてきた。
「なんか今、不穏な台詞を聞いたような気がするけど……さ、夕里菜ちゃん。立って。もっと、肌を見せてもらえる?」
夕里菜は、ため息をついた。
体を診断する、というのは、本当のことなのだろう。
肌を見られるのは嫌だが、それ以上のことはして来ないだろう。
——してきても、全力で抵抗するだけだが。
ゆっくりと、立ち上がる。
見下ろすと、やはり裸のままだった。
それなのに、布の感触はあった。
ということは、ローブは着ているのに、透明になってしまっている、ということなのだろう。
「夕里菜さまが着ているそれは、『プライマリア・クロース』と呼ばれているものです。魔力に反応して、形状や材質を変えることが出来るので、様々な衣裳に応用されているのですが……診察が終わりましたら、他の服を用意させて頂きますので」
「あ……ありがとうございます」
液体が服になる、というのも夕里菜の理解を超えているが、ここはそういう世界なのだろう。
これから、この世界で生きていくのなら、頭を慣れさせていかなければならない。
それから——千砂の診察がはじまった。
たっぷり、時間をかけて、夕里菜の体を調べあげ、触れられたりもした。
恥ずかしい思いもしたが、神経などが肉体の隅々まで通じているのか、調べるのには、必要なことらしい。
千砂がその間、ずっと鼻歌交じりなのは、気にはなったが、特に異常などは見つからなかった。
ようやく、診察を終えた頃には、夕里菜は息も絶え絶えとなっていた。
診察をしている間に、アリエスがお茶菓子を用意してくれたみたいだ。
手が汚れないように、紙で包装されていたものが、皿のなかにいくつか、置かれていた。
ティーケーキと呼ばれる英国の菓子で、アリエスのお手製らしい。
ビスケットの生地にマシュマロが載っけられたものを、チョコレートでコーティングしたもの、とアリエスが説明してくれた。
飲みかけの紅茶も、彼女が淹れなおしてくれたようだった。
千砂が、アリエスに事務作業を手伝ってもらっているのも、わかる気がした。
そして、夕里菜の着替え用の服も、アリエスが用意してくれていた。
この学園の制服、ということだった。
「制服……ですか?」
「アリアンフロッドとは言え、生きていくのに、一般的な知識も必要ですから。この拠点の名は、
「アリアンフロッド……それに、奈落よりのもの、とは何でしょうか? ずっと、耳にしている言葉ですけど」
千砂が腕を組んだ。
「それについては、この世界の成り立ちをざっと、説明しなければならないんだろうね」
「ですわね。私も、飲み込むのに、それなりに時間はかかりましたけど」
千砂が唇で挟んだ体温計が、ぴこぴこと上下に動いている。
「まずは、この世界は、メディシアンと呼ばれている。かつては、人間だけが暮らしていたんだけど、ゲートと呼ばれるものを開発し、別の次元世界へと旅立っていった。が、ゲートは一方通行のものではなく、他の次元世界の種族が、こちらの世界を訪れることもあった。こうして、メディシアンは多種多様な種族が行き交う世界となった……今はゲートは閉鎖されていて、新しい種族が訪れることはなくなっているけどね」
夕里菜は、うなずいた。
今は、どんな内容だろうと、聞き役に徹するしかない。
「ゲートがまだ、機能していた頃、アルフィリンという種族がやって来た。彼らは、人間とそっくりな姿をしているが、能力はずっと優れていて、さらに魔術を使うことができた。かつて、アルフィリンたちは多くの次元世界を支配していたのだけど、欲と高慢さから、災いを呼び込み、自分たちの故郷である次元世界を破滅へと追いやってしまったようだね。魔術と軍事力、双方で
——まるで、ゲームやファンタジー小説のような内容だが、夕里菜は黙って、耳を傾けた。
「しかし……アルフィリンにも、弱点はあった。それは、繁殖力の低さだった。さらに、誤算だったのは、人間の間にも、魔力を備えた魔術師が現われはじめたことだった。数の上で優位に立つ汎人類諸国側は、アルフィリンを次第に追い詰めていった」
千砂は、体温計を口に咥えたり、指に挟んで弄んだりしながら、説明を続けていた。
「そして、二大勢力の決戦の場となったのが——」
アリエスが、大きな図版を持ってきた。
テーブルの上に広げると、千砂が指差した。
「ここ、ワンシュウの地だよ」
「え……これって……」
広げられた図面は、世界地図なのだろう。
海や陸地、大きな湖や都市、それを繋ぐ道路などが、色付きで表示されているが、少し形は違うものの、地球とよく似ていた。
「そう……ここは、地球ですわ。時代はおそらく、未来ですけど」
「未来の……地球……」
呟いてみるが、まったく現実感はなかった。
千砂が指差しているのは、日本のあたりだった。
日本列島は、海岸線が崩れて、周囲の陸地の形も変わってしまっていた。
四国はそのままだが、九州の北は朝鮮半島と繋がり、日本海は津軽海峡のところで海水が流れ込んでいるが、それ以外は陸地に囲まれた大きな湖となっていた。
地図には、見知らぬ文字で大陸や都市、海などの名前が書き込まれていたが、夕里菜には読むことができた。
日本列島のところには、「日本」ではなく、「ワンシュウ」と書かれている。
「今から二百年近く前に、汎人類諸国とアルフィリンの間で大きな戦いが行われた。戦闘は、汎人類諸国側が優勢だったが、アルフィリンは切り札を用意していた。それが、奈落よりのものだ」
「奈落よりのもの……」
その言葉が口にされるのは、これで二度目だが、より禍々しい響きに聞こえた。
部屋の温度が確実に、低くなった気がする。
「人間の絶望や憎しみ、不安などを刺激し、破滅の欲動へと導く
千砂が、ため息をついた。
「アルフィリンはまた、同じ過ちを犯したってわけさ。それだけ、追い詰められたってことなのかもしれないけどね。奈落よりのものは、確かに強力な存在だけど、制御不能な力は自滅も意味する。事実、アルフィリンもワンシュウを焦土としたものの、戦いに勝利するまでは、至らなかった。アルフィリンはメディシアン全土に散り散りとなり、奈落よりのものもまた、活動を停止して、多くは眠りについているってわけさ。結構な置き土産だね」
千砂が、地図で黒く塗りつぶされている部分を示した。
「ここが、奈落よりのものの活動が活発なところ。それ以外は、安定しているが、正直、このバランスがこれから先、ずっと維持出来るのかは、微妙なところだね」
黒い部分は、しみのように、点々とついている箇所もあるし、広い範囲で真っ黒になっているところもあった。
ワンシュウ——日本列島は、割と黒い部分が多いようだ。
四国と北海道の北半分は黒く塗り固められ、本州にもいくつか、黒い点や鎖状に繋がっている部分が目についた。
「アルフィリンが撤退した後、地域の安定と奈落よりのものの討伐、大陸各地の交通網の維持を目的とする、アリアンフロッド機関と呼ばれる組織が作られた」
——アリアンフロッド……やっと、その言葉が出てきた。
「機関は、奈落よりのものに対抗するべく、封印区画に戦士を送り込み、拠点を築いた。そのひとつが、この桜ヶ咲学院ってわけだね」
千砂がとんとん、と体温計を挟んだ指先で、地図の北海道の部分を叩いた。
「まぁ、必要最低限の情報だけど、こんなところかな。一気に話しても、混乱するだろうから、わからないこと、疑問に思ったことはその都度、周りにいるお姉さん、お兄さんに聞いてみるといいよ。みんな、仲間だからね。親切に説明してくれるはずさ」
背筋を伸ばし、千砂はまた、体温計を口に咥えた。
「……ですわね。これから、夕里菜さまがまず、することは
「斬奸刀? エーテル・リンケージ?」
「斬奸刀は、奈落よりのものに、決定的な一撃を与える武器ですわ。エーテル・リンケージは……スマートフォンみたいなものですわね」
「スマートフォン……こちらの世界にも、スマートフォンがあるのですか?」
「はい。交流サイトやアプリゲームなどはありませんが、簡単なメッセージぐらいはやり取りできますわ。実際は、日常生活のためのものではなく、奈落よりのものの戦いに役立てるものですけどね」
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