【三題噺「天下無双」「ダンス」「布団」】一人暮らしを始めようとしたら、ガラの悪いおっさんとイケメンが転がり込んできたんですけど!?

ながる

春は出会いの季節というけれど

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 夢ならよかったと、目覚めるたび思う。だって、夢の中でどんなにそれを回避できたとしても、現実は回避できないのだから。

 扉の向こうからは地響きのようないびきが聞こえてきている。

 起きたくない。

 布団から出たくない。

 しかし起きなければ遅刻してしまう。今日の講義は1限目からだ。


「うるさい」

「ぐぇっ」


 平坦な声と、カエルの潰れたような断末魔。これも聞きなれてしまった。

 ああ。もっと早く寝て、もっと早く起きて家を出てしまえばよかった。

 現実逃避にVチューバ―、ひな・まつり氏の配信を見ることで自分を保っているので、どうしても眠るのが遅くなる。

 昨夜の右大臣コスは最高だったな……私は菱餅が喋り始めた衝撃の出会いを忘れはしない。

 そうこうしているうちに枕元でスヌーズにしていたアラームが鳴る。

 わかった。わかりましたよ。

 私は渋々とベッドから起き出して居間に続くドアをそっと開けた。


 床に直に敷かれた布団には、掛布団から半分はみ出したおっさんが大口を開けて寝ている。起きている時は縛られている髪もぼさぼさと散らばって、鋭い目つきも瞑られていては迫力はない。

 その腹に片足を乗せて、ソファに座っているのは黒髪で眼鏡をかけた美男子だった。伏せがちの目元の泣き黒子は、その美貌を際立たせる天然のアクセサリーだ。手には文庫本。

 見ているだけなら本当に目の保養なのだが、実害があるとそれも半減する。


「おはよう。ごはんまだ?」


 本から目を上げて、自分が一番よく見える角度に調整された笑顔でそんなことをのたまう。

 自分で作れ。

 いや違う。うちから出ていけ。

 あこがれの一人暮らし、本当にどうしてこんなことになってんのぉ!?


 💃


 あれは10日前のことだ。

 格安1LDKの物件を見つけて、契約をもぎ取り、引越しの最中だった。

 アパートの1階で小さな庭があり、背よりも高いフェンスで囲われている。防犯的に少々心配だったのだけど、監視カメラもついてるし窓は防犯ガラスだというので思い切って決めてしまった。

 そのフェンスを乗り越えて、柄シャツを着た治安の悪いオッサンが飛び込んできた。


「おー! 引っ越しか! 大変そうだな! 手伝うよ!」


 は? という間もない。手から段ボールをもぎ取り、奥の部屋へと運び始める。


「ちょ……なん……」

「いやぁ! ご苦労さん! うちの姪っ子がお世話になって。ほら、これで昼飯食ってくれよな!」


 中身の入った三段の洋服ダンスを業者と一緒に運び込んだ後、そんなことを言いつつ札を握らせている。


「め、姪?」

「いやだなぁ。忘れちまったのか? まあそっか、会ったのはおめえさんがこーんなちっさい頃だもんなぁ!」


 親指と人差し指で1センチくらいの幅を作って見せられるも、こんなガラの悪い叔父がいたことはない。いや。これだけ自信満々ということは、もしかして親戚中から縁を切られた人だったり?

 うっかりそんなことを思ってしまうくらいには巧みだった。

 荷物は次々と運び込まれるし、気づけば並んで配送トラックの見送りをしていた。

 カチリとジッポライターの蓋が開く音と、オイルの匂いが流れてくる。

 見上げれば〝天下無双〟というシールが貼られた年季の入ったライターだった。


「あの……」

「あぁん?」


 火のついたタバコを咥えて、鋭い目で見下ろされれば、それ以上の言葉が出てこない。


「引っ越しといえば蕎麦だよなぁ?」


 にやりと笑う男に背筋が冷える。あれ。これ、ヤバくない?


「そう心配すんなって。蕎麦食って何日か泊めてくれりゃあいいんだよ。ほとぼりが冷めたら出ていくし、おとなしくしててくれたらこっちも余計な……」


 アパートの壁に手をついて、火のついたタバコを咥えたままじわりと顔を寄せられる。

 あ、あ、あ、顎、だっけ? 急所って!

 ごくりとつばを飲み込んでこぶしを握った瞬間、一番奥の扉が勢いよく開いた。金属が壁にぶつかる音が反響して思わず飛び上がる。そこから蹴りだされるようにして出てきたのは、黒髪で眼鏡をかけたイケメンだった。手にはプラスチックのケージを抱えている。

 私もおっさんも呆然とそちらを見ていると、イケメンがこちらを向いた。その一瞬に全開だったドアは大きな音を立てて閉められる。

 あ。というように視線を戻したイケメンだったけど、諦めたように肩をすくめるとこちらへとやってきた。


「お引越しですか」

「……お、おぅ」

「そんな風にしていると、脅しているように見えますよ」


 すちゃっとスマホを取り出すと、イケメンは「110」とタップした画面をこちらに見せてきた。

 おっさんは慌てて私から離れて、陽気な声を出す。


「いやぁ! 姪っ子と蕎麦か寿司かでちょっともめて」

「引っ越し蕎麦……いいですね」

「だろう? 兄ちゃんもこのアパートか? お近づきのしるしにどうだい? 一緒に」

「はぁ!?」


 素っ頓狂な声をあげた私に、イケメンはずいとケージを渡してきた。中には真っ白なハムスターが何事かとこちらを見上げている。あっ。かわいい。と思わず受け取って、次の瞬間耳を疑った。


「いいですね。ごちそうになります」

「えっ。待って。この人……」


 勝手に人の家のドアを開けて入っていくイケメンを追いかければ、彼は人差し指を口に当てて小さく振り返った。

 わかってるってこと? 助けてくれるの?

 ホッとしかけたものの、背後からぐいと押されて肝が冷える。


「近所に旨いとこあるんだよ」


 そう言っておっさんはどこかへ電話をかけ、蕎麦を3人前頼んでしまった。

 先に入ったイケメンは、部屋の中をぐるりと見渡して「庭もあるんだ」と小さく頷いている。

 微妙な空気の中、ひとまずテーブルの梱包を剥がして居間の中央に設えれば、なんとなく3人ともその周りに座ることになった。

 お互いがお互いを窺うような緊張感……


「あ、あの、お兄さんはどちらにお住まいなんですか?」


 イケメンは少し考えて、アパートの奥の方を指差した。

 そういえば、さっき追い出されていたようだけど、同居人と喧嘩でもしたんだろうか。


「まあ、気にしないで。それで、そちらは……叔父さん? なの?」


 ぶんぶんと振ろうとした頭をおっさんの手が上からがしりと掴む。わっしわっしと撫でられて、首は上下左右に傾いた。


「いやあ。久しぶりすぎて忘れられてるようでな。2、3日泊めてもらったら帰ろうと思ってるんだが」

「へぇ。2、3日」

「にさんにち!」


 上辺だけの笑顔を交わしていたら、本当に近所なのか出前がやってきた。

 おっさんが立ち上がって玄関へ出て行ったので、私はその隙に110番しようとスマホを持ち上げたのだけど、おっさんはすぐにドアから顔と手を差し出した。


「すまん。さっき業者に渡したので有り金全部だった」

「……はぁ!?」


 仕方なく代金を払う。出前のおじさんとおっさんは話を弾ませていて、本当に知り合いなのかもしれない。


「そうかいそうかい。姪っ子さんが。そりゃあ心配だねぇ。お姉さんも、うちを贔屓にしてくださいな。あ、器はドアの横に出しといてくれればいいから」


 帰っていく出前のおじさんの背中に縋りつきたくなるものの、おっさんの目の前ではそうもいかず……なんとなく諦めの気持ちで蕎麦をすすった。


「えっ……おいし……」


 カツオの出汁が効いたつゆに、ふわりと蕎麦の香りが鼻に抜ける。

 思わず出た声におっさんは満面の笑みをたたえた。


「だろう! 宿泊費代わりにと思ったんだが、ポケットに思ったほど入ってなくて悪かったな」

「え。あの、本気で泊るつもりで?」

「もちろん。いいだろ? 別に布団出せとか言わねぇよ。場所がありゃぁいいんだ。なんにもしねえからよぉ」


 そう言われても、信用できたものではない。奥の個室に鍵はかかるけれど、窓の向こうは3階程度の高さの崖になっていて、そこから逃げ出せる感じではないし。高台の端っこに位置するアパートを選んだのは、失敗だったのだろうか。

 かたりと箸を置いて、イケメンが一息つく。


「全く信用できたものではありませんね」

「……んだと?」

「僕も蕎麦の恩があります。どうでしょう。僕がこの男を見張っているというのは」

「あ?」

「え?」

「引っ越し当日で金目のものを探すとしてもどこに何やら。あなたが判るのなら、金目のものが入った段ボールは部屋に移動させて鍵をかけておけばいいでしょう」

「てんめ……! 俺がそんなコソ泥みたいな真似すると思ってんのか!? お前こそ、怪しいじゃねーか!」


 ビシッと指を突き付けるけれど、どこからどう見ても怪しいのはおっさんだ。

 イケメンはふん、と鼻で笑うとおっさんに指を突き付け返した。


「なら、あなたは僕を見張ればいいでしょう」

「上等だ。そうしてやんよ!」


 話は進んでいくが、ちょっと待って。ここの家主は私よね?

 とはいえ今更口を挟める雰囲気でもなく、お互いを牽制してくれるのならそれでいいのかもしれない。疲れた頭はそう結論を出した。

 明日警察に相談してみよう……


「じゃ、じゃあ、私あっちで少し片づけて寝ますね。あの、おやすみ、なさい……」


 睨みあう二人を刺激しないように、私はそうっと部屋に引っ込んで鍵をかけた。




 ベッドに布団をセットして、いくつか段ボールを開けてみて中身を確認する。金目の物というか、アクセサリーや通帳なんかは初めからこちらに運んであってよかった。

 そっとドアに耳を寄せて居間を窺うと、ハムスターが回し車を回している音といびきが聞こえてくる。おっさんだろうか。

 少し拍子抜けして、ガラは悪そうだけど、そこまで悪い人ではないのかもしれないと蕎麦を食べている時の笑顔を思い出した。

 布団に入って警察に連絡すべきか迷っているうちに、私は意識を手放していた。


 ドタンガタンバターン!


 そんな音がして、私は飛び起きた。

 暗がりに慣れない部屋で一瞬どこだかわからなくなる。居間の方からうめき声が聞こえてきて、私は慌ててそちらに向かった。一応慎重にドアを開ければ、暗闇で誰かが誰かを取り押さえている。まだカーテンのついていない窓から街頭の明かりが入り込んでくるので、シルエットが3人分見えていた。

 ……って、3人分?


「あの……何が……」

「お! 嬢ちゃん、電気電気!」


 おっさんの声に従って電気をつける。

 パッと眩しい光に思わず目を閉じた。

 ゆっくりと開けていけば、黒ずくめの男がおっさんにうつ伏せにされて押え込まれている。


「え? なに?」

「くそ! 女一人暮らしじゃなかったのかよ!」

「こいつ、鍵開けて入ってきやがったんだ。荷物を漁ろうとしたから足を引っかけて……」

「足を引っ掻けたのは僕」

「……まあ、どっちでもいいだろ」

「よくないですよ」


 イケメンはスマホを耳から離して大げさにため息をついた。

 少しして警察がやってくる。何が何だかわからないうちに、おっさんとイケメンが対応してくれて、モノトリの降臨はあっけなく終わった。


「そうですか。引っ越しのお手伝いで。不幸中の幸いでしたね」


 警官は爽やかな笑顔で犯人を連れて行く。

 ありがとうございましたと頭を下げて、ハタと気づいた。


「おまわりさん! あの……!」


 追いかけようとした肩を両方別々の手が伸びてきて押さえる。


「いやぁ。1階は物騒だねぇ。用心棒、いた方がいいんじゃないかな」

「そんな柄シャツ着たおっさん信用できないでしょ。泥棒に最初に気づいたの、僕だし。置いておくなら僕の方が目にも優しいと思うな」

「はい?」

「あの犯人鍵持ってたってことは、業者とグルかも。また変なの来たら困るだろう? 俺は、寝る場所があればいいから。な? ほら、妖精とかだと思って」


 呆然とおっさんを振り返った反対から、イケメンの声も言う。


「おっさんが妖精は無理がない? 僕ならまあ、許されるかもしれないけど。雨風が凌げれば文句は言わないし」


 何を言ってるんだコイツ、と慌てて振り返る。イケメンは何を思ったのかにっこりと笑った。


「ああ。心配ないよ。僕の好みはもっと大人っぽいメリハリのある体の女性だから」


 どこかでぶちっと何かが切れる音がした。


「で……」

「で?」


 二人の声が重なる。


「出てけーーーーー!!」




 私の絶叫は、しかし叶うことはなかったのである。




 おわり

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