第15話 苦手なタイプ
瑛二は午前八時に目を覚ました。
目覚めた瞬間から、不思議なほどに頭が冴えている。
昨日の疲れも残っておらず、体が軽い。
自然と背伸びをしながら、大きく息を吸い込んだ。
いつもなら、起きたばかりの自分の顔を見るのが憂鬱だった。
けれど、今日は違う。
洗面台に向かい、鏡を覗き込む。
「……」
そこに映るのは、昨日までの自分とは少し違う顔だった。
ほんのわずかだが、目の奥に曇りがない。
顔色も良く、表情もどこか柔らかい。
——昨日の出来事のせいだろうか。
あのカフェで過ごした時間。
梨花の笑顔。
初めて交わした連絡先。
それだけで、こんなにも気分が変わるのか。
「……」
けれど、それが”本物の自分”なのかどうかはわからなかった。
幸福——それはいつも、どこか遠くの話のように思えていた。
だが、昨日の自分は確かに「幸せだった」と言える。
なら、今日もそうなるのだろうか?
試してみたくなった。
もし、本当に”幸せ”が保証されているのなら。
昨日みたいな一日が、今日も訪れるのだろうか。
瑛二は、自然と外に向かっていた。
街へ
電車に乗る。
駅のホームには、朝の喧騒が漂っていた。
スーツ姿の会社員、部活帰りの学生、観光客らしき人々。
電車が揺れ、窓の外の景色が流れていく。
瑛二は、ぼんやりと考えた。
——幸せ、か。
それは、つかみどころのないものだと思っていた。
けれど、昨日のような小さな出来事が、今の自分にとっては十分すぎるほどの幸福だった。
——もしかすると、これが自分の「受容できる幸せの限界」なのかもしれない。
自信があれば、もっと大きな幸福を感じられるのだろうか?
もっと幸せになれる余地はあるのだろうか?
瑛二は、そんなことを考えながら、街の中心へと足を運んだ。
食事と出会い
昼になり、瑛二は小さなチェーン店へと入った。
「いらっしゃいませー」
店員の明るい声が響く。
カウンター席に座り、注文を済ませる。
——海鮮ドリア、オレンジジュース、キノコのサラダ。
注文した料理が運ばれてくるのを待ちながら、ふと周囲を見渡す。
そして、嫌な予感がした。
——チャラチャラした男が、斜め前の席に座った。
見た瞬間、苦手だと思った。
サングラスを外し、店員を呼ぶ。
「すいませーん、ヒレカツ定食お願いします。あと烏龍茶」
声も態度も大きい。
横柄で下品、弱者を見下すタイプの人間——瑛二が最も避けたい類の人間だった。
——せっかくの食事が台無しだ。
契約で幸せが保証されているのなら、こういう不快な存在は排除してくれてもいいのに。
心の中で悪魔に文句を言いたくなった、そのとき。
「お兄さん」
突然、男に話しかけられた。
「は、はい」
瑛二は警戒しながら顔を上げる。
「そのドリア、めっちゃうまそうですね。俺もそれにしたらよかったな、ははは」
……え?
予想とは違う、ただの何気ない会話だった。
それだけで、この男が”害のない人間”であることがわかった。
瑛二は、少しだけ拍子抜けした。
——俺は、何を恐れていたんだろう。
こういうタイプの人間を警戒していたのか?
それとも、こんな人間に見下されることを怖がっていたのか?
瑛二の心に、ぼんやりとした影が落ちる。
思わぬ会話
「お兄さん、こっちの人?」
「……はい?」
「俺、元々埼玉出身でさ、仕事の関係で最近福岡に引っ越してきたんだよね」
「ああ……そうなんですね」
それ以上、言葉が出なかった。
——やっぱり、会話が苦手だ。
きっと、呆れられる。
そう思った矢先——
「お兄さん、めっちゃクールだね」
男は笑った。
「無口? 俺さ、誰彼構わずペラペラ話しかけちゃうんだけど、落ち着きないって言われるんだよね〜。でもなかなか友達できなくてさ。友達になってよ〜」
——冗談半分、本気半分。
瑛二は、その言葉を受け止めながら、小さく息を吐いた。
「……俺でいいなら、友達になりますよ」
小さな声で、そう呟く。
「え? マジ? いいね! こっち来て初めての友達できたわ、はは」
この男なら、すぐに友達ができるはずなのに。
けれど、瑛二の心は——ほんの少しだけ、解けていた。
恐れからの解放、というのだろうか。
これまで、こういうタイプの人間に傷つけられ、見下されてきた。
けれど、中には”そうじゃない”人もいるのかもしれない。
瑛二の中で、何かが少し変わった気がした。
予想外の誘い
食事を終えた頃、男がまた話しかけてきた。
「お兄さん、暇ならカラオケ行かね?」
「カラオケ?」
「俺、歌うのめっちゃ好きなんだわ」
「……」
歌——まともに歌ったことなんてない。
絶対に嫌だ。
「いや……俺、歌下手なんです」
「え? マジ? 俺もだよ! ただ歌ってるだけで楽しいからさ」
「……」
「まあまあ、行こうよ。俺、奢るし」
このまま断って帰るのは、簡単だった。
でも、昨日から続いている”不思議な幸せ”が、まだ途切れていない気がした。
「……じゃあ」
瑛二は、静かに頷いた。
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