case18 対峙

 かなりきつく腕を拘束していたはずだった。

 美吹が手錠もかけていたのも確認している。

 それに美吹の背負い投げによって脳震盪を起こしているはずであり、普通であれば動くこともままならないはずなのだ。

 そう、動けるはずがない。


 それがどうだ。何故今、三輪は動いている?


 鮮血が美吹の右肩から噴き出る。今までに感じたことのない痛みが美吹の思考を埋め尽くし襲った。

 いや、この痛みを美吹は

 その事実に、美吹は薄れゆく意識の中で驚愕した。



***



「倉崎‼」


 理解が追いつかないまま、ただ分かったのは、目の前で庇って倒れた美吹の服が赤い鮮血に染まっていたことだった。荒い彼の息遣いが、花木の思考を支配する。

 傷は右肩から左横腹にかけての一線を描いていた。その傷を見て、嫌な予感が花木の脳裏を埋め尽くす。

 それは、美吹の『体質』。血液が凝固しにくい体質だと言っていた彼の困り笑顔が不意に思い浮かんだ。

 その瞬間、花木の顔から血の気が一気に引いていく。このままでは美吹が死んでしまう、自分むのうなんかを庇ったせいで。


 


 いやそれよりも——今、気にすべきは。


「なんで、もう動けるんだ……?」


 今三輪が動いていることに花木の理解は追いつかない。

 美吹の感じていた『嫌な予感』というものが三輪のことなのであれば、それは間違いなく的中していた。


 三輪の手元に花木の視線が奪われる。手錠をかけていたはずの三輪の両手首が雑に折れており、その手にはどこから持ってきたのか割れたガラス片が握られていた。それで美吹を切りつけたことは想像に容易かった。

 狂っている。冷静に観察してみれば、動いている三輪本人は意識を取り戻していない様子だった。このことから、誰かに操られているのではないかと花木は推測した。


「〝きゃはっ、おかしなことを聞くんだね、花木刑事?〟」


 突然、三輪の口から三輪ではない声が重なり聞こえる。

 それは幼い、純真な少女の高い声だった。


「……お前、三輪じゃねえな。誰だ」

「〝僕のこと? 簡単に教えちゃったら面白くないじゃーん。花木刑事、これはね、ゲームなんだよ。僕の作ったゲーム。三輪はね、このゲームの主人公に過ぎないんだ〟」

「ゲームの主人公……?」

「〝そう! ドールゲームのね! 三輪は僕の駒のひとつさ!〟」


 重複して脳に直接反響する三輪(少女)の含み笑いに苛立つ。


「〝……あそうだ。ごめんね花木刑事~。僕、一個だけ嘘ついちゃった〟」

「……! ……おいおい、どんなシチュエーションだよ、これは」


 花木の背後からカタン、と小さく物音がした。振り返った先に広がる信じ難い光景に、花木は思わず苦笑を零した。

 助けようとした民間人が、花木に敵意を向けていたのだ。


「〝僕の能力、【人形師ドールマスター】は、僕が把握した空間域すべての対象物を僕の玩具ものにすることができるんだよ! 例えばこういう風にね!〟」


 三輪(少女)が指を鳴らした。瞬間、民間人らが一斉に臨戦態勢を取り始めた。


 花木は無能力者である。この状況を打開するには、少々骨がいるだろう。すべてが完結した後を想像するだけで、笑いが込み上げて仕方がなかった。


「〝……何が面白いの?〟」


 すう、と一度深呼吸をして冷めた目を三輪(少女)に向けた。こうなっては抵抗するほかない花木は、抱いていた美吹をそっと壊れものを扱うようにして床に横たわらせた。


「いや、この全員を一人で相手にするのは骨が折れると思ってな。久々の実戦だ、面白いじゃないか」


 美吹は気を失っている。早く済ませてここから脱出しなければ、美吹の命が危ない。民間人の命を守ることが花木の最優先事項だが、状況が状況である。説明すれば数ヶ月程度の謹慎処分で済むだろう。そう思いたい。


「どうぞ、お手柔らかに頼むよ」


 花木は自身が得意な柔道の組み手型を取った。能力者相手には使ったことはないが、彼の攻撃手段は今は柔道しかない。

 こんな時ばかり第六である自分を嘆くことの多い花木だったが、なりふり構っていられない状況に、また笑いが込み上げた。


「〝そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちだよ!〟」


 三輪(少女)の声が銀行中に反響した。それに呼応するかのようにマインドコントロールされている民間人たちが一斉に花木に襲いかかる。


「——やべっ!」


 四方八方から次々と襲いかかってくる民間人を、一人一人丁寧に片づけていくことはさすがの花木でも至難の業だ。受け身だけでは埒が明かない。

 ついに花木はガタイの良い民間人によって体を押さえつけられてしまった。


「〝吠えていた割にはあっけないね〟」

「……俺は犬じゃないんだけどな……」


 ——ほんと、あっけない。三輪がガラス片を握った右手を思い切り振り下ろした。死んだ——と、花木は強く目を瞑った。

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