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「……本当に帝都へ行くのかい、ルカ」

旅支度の最終確認を終えたルカは、母の声に顔を上げた。

「勿論だよ、母さん。前から言っていただろ、絶対に入学試験に合格して、学園に行くんだって」

(金はもしもの時に備えて衣服に縫い付けてあるし、食料も日持ちのする物を選んだから、皇都までは何とか持つだろ……寝るときはこの外套に包まって寝るしかないな)

 皇都までは数日かかる。ルカは隣町までしか言ったことはないが、時折やってくる商人たちがどこかの街に行く途中に、盗賊に襲われて損が出てしまったと嘆く様子を何度も見たことがある。皇都は商売の中心でもある。辻馬車を使ってそこに向かうのだから、盗賊に襲われる可能性も充分ある。

「そりゃあ、あんたが寝る時間を惜しんで準備をしていたのを知っているけどね。母さんは心配なんだよ。あんたが努力していないとは言わない。だけどね、世の中努力だけじゃあどうにもならないことがあるから」

「それは分かっているさ。でも俺は試験を受けて、学園を卒業したいんだ。それに学園を卒業したら就職に有利になるし、良い所に雇われれば母さん達の生活も楽になるだろ。キャロやナル、ルーンもいるし。学園にいる間はちょっときついかもしれないけどさ、卒業後は他の兄弟のためにも、少しでも給金の多い所に就職したいんだ」

(……まあ本当は帝国騎士団に入りたいんだけど、きっと母さんは嫌がるだろうしなあ)

 母に本当の理由を隠すのは本意ではないが、家計を助けたいという思いは本当である。ルカの住む辺境の村は貧しい。そのため、たくさんの家族と暮らすコルト家は何かと金が必要なのだ。毎月の食費や祖父母の薬代は馬鹿にならない。

「あんたがそこまで家のことを考えてくれるなんて……本当に成長したわね」

 うっ、と涙ぐむ母にルカは苦笑する。

「分かった。あんたの思う通り、頑張ってきてみなさい。ただし、うちじゃ一回きりの荷馬車代しか出してやれない。悔いのないようにするんだよ」

「分かってる。俺の家にはそんな余裕ないもんな。今日までの練習や勉強の成果が出せるように精一杯頑張ってくるよ」

 ルカは該当を羽織り、大きめの布で準備した食料などを包んで体に括り付ける。

「それじゃあ、行ってくる」

「ああ。気を付けてね。変な物拾って食べるんじゃないよ。あと声をかけられても、簡単について行かないこと。あとは無料より高い物はないからね! 知らない人から物をもらわないこと! あとは変な物拾わないこと! あんた昔から動物とか色んなもの拾ってくるんだから!」

「分かってるよ、母さん! 俺だってもう小さい子どもじゃないんだからそのぐらい分かっているから。それじゃ行ってくるな!」

矢継ぎ早に言葉を告げる母の言葉を遮る。

(……このまま話を聞いていたら、荷馬車の時間に間に合わなくなる)

ルカは母に手を振って、荷馬車の停車する乗り合い所まで足を進める。

(とりあえず芸術都市キュロンまで行って、そこで一度馬車を乗り換えないと……)

 今からルカが乗る荷馬車は、キュロンとカカル村を往復するためのものだ。皇都まで行くには一泊して別の馬車に乗り換える必要がある。夜間は盗賊に襲撃される危険性も上がるため、明るい時間しか荷馬車が運行していないのだ。夜間に移動する馬車といえば、護衛のいる貴族か商隊くらいだ。

「おや。ボニーさんとこのルカ坊じゃないか。こんなに朝早くから荷馬車でどこかにいくなんて、市場にでもお使いを頼まれたのかい?」

「あ、ローラ婆ちゃん。それにジョンさんも」

 ルカに声をかけてきたのは、近所に住むローラだった。隣には息子のジョンもいる。

「いや、お使いじゃないんだ……婆ちゃん達こそ何でこの荷馬車に?」

「今日は、母さんを医師せんせいに診てもらう日なんだ。早く行かないと診療が遅くなってしまうからね。朝一番に行かないと、帰りの荷馬車の時間に間に合わないんだ」

 隣に座るジョンがローラの代わりに説明してくれる。

「最近は夜に咳が出て眠れなくてねえ。ちょっと困っているんだよ」

 ローラは困った顔で杖を持たない方の手を頬に添える。

「そりゃあ大変だ。早く薬もらって治さなきゃな」

「そうだな。母さんも歳だ。あまり長引かせると体に影響が出るんじゃないかと冷や冷やしているよ。うちのちび達も見てもらわないといけないし、長生きしてもらわないとな」

「おやまあ。あんたはこの老体をまだこき使おうってのかい?」

「そうそう。そんな感じで元気でいてもらわないと。まだまだ母さんには俺達の子育てを手伝ってもらうつもりでいるし」

「困った子だねえ。私をあてにしているようじゃあ、サラも安心してお前に子どもを任せられないだろうよ」

「いてっ!」

 ローラは照れ隠しなのか、顔を赤くしつつも杖でジョンの爪先を小突いた。

「それで、ルカ坊は結局どこに行くんだい?」

「皇都だよ」

 ルカの言葉に二人は目を剥いた。

「皇都!? そりゃまた、何でそんな遠くに?」

「オルブライト学園の入学試験を受けに行くんだよ」

「はあー、入学試験かい? それがこの時期にあるんだね? あたしゃ生まれて初めて知ったよ。そりゃどんな所なんだい?」

「母さん、知らないのか?……ああそうか、母さんは隣町までしか行ったことないもんな。知らなくて当然か。オルブライト学園は魔術や剣の基礎を学んだりする所だよ。勿論実技だけじゃなくて机上での勉強もある」

「はああ。そうなのかい? そんな所に行って、あんた合格できるのかい?……こう言っちゃなんだが、うちのような田舎からそんな所に通った人は今までみたことがないからねぇ。居ても隣町の学問所に行くだけで」

 ローラは目を丸くしたまま、しきりに瞬いている。

「皇都のオルブライト学園か。俺は名前を聞いたことがあるだけだが、入学試験はなかなか厳しいと聞いたぞ?……その、大丈夫なのか?」

 おずおずとジョンがルカに尋ねる。

「大丈夫……って言いたい所だけど、俺も初めて受験するし、受けてみないと分かんないって所かな」

「そうかい。それにしても、よくボニーさんはお前が皇都へ行くのを許したな?」

「母さんも俺が努力していたのを見ていたし、合格していい就職先が見つかるかもって言ったら、頑張ってきなさいって言われたよ」

 ジョンに母とのやり取りを伝えると、ジョンが苦笑してなるほどと頷いた。

「お前の家は大所帯だもんな。そりゃあ稼ぎ頭がいた方が家族も安心だ。それにしても皇都か。賑やかな所なんだろうな、俺も一度も行ったことはないから、想像するしかできんが。合格して落ち着いたらまた、皇都がどんな感じだったか教えてくれ」

「いやいや。気が早いって、ジョンさん」

「ほら、ルカ坊。これは私からの餞別だよ。少ないけど、ないよりはましだろう」

 ローラは懐から古びた革袋を取り出すと、中から銅貨数枚を取り出しルカの前に差し出す。

「いや。いいってローラ婆ちゃん。婆ちゃんの大事なお金だろ?」

 ぶんぶんと首を振ってルカが拒否すると、ローラがルカの手を取って強引に掌に銅貨を乗せる。

「お金なんてどれだけあってもいいんだから、黙って受け取りな!」

「ええと。ああ、うん……」

(ローラ婆ちゃん、年取っても貫禄がすごい……)

 押され気味のルカは頷いて銅貨を受け取り、銅貨を革袋にしまい、首からぶら下げた革袋を衣服の下に隠す。

(予定にはなかったけど、これでパンの一つでも買うかな)

「ああ、荷馬車が来たようだね」

 ローラの言葉にルカも顔を音のする方へ向ける。車輪の回る音と馬の嘶きが徐々に近づいてくる。

 荷馬車が乗り合い所までやって来ると、ルカはローラとジョンと共に荷台に乗り込む。隣町につくまでルカは二人と他愛無い話をして過ごした。

 ジョンがお酒を飲み過ぎて朝帰りしてしまい、浮気を疑われた話をローラがした際には彼は顔を真っ赤にして俯いていた。

「さて。私達はここまでだ。ルカ坊、頑張って試験に合格するんだよ!」

「うん。頑張ってくるよ」

ローラの言葉にルカは力強く頷く。

「それじゃあな、ルカ坊」

「うん。婆ちゃんの病気早くよくなるといいね」

「ありがとうね。おーい、出しとくれ」 

荷馬車が動き出し、ジョンとローラの姿がどんどん小さくなっていく。

(ローラ婆ちゃん達にも言っちゃったし、絶対に合格するぞ)

 小さな村ではすぐに噂は広まる。不合格で帰った日には何か月も笑いの的になるに違いない。

 ルカは決意も新たに、揺れる荷馬車の中で筆記試験で問われるであろう内容を復習するのだった。

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