第8話 右の頬をぶたれたら?①

 棒倒しのように、綺麗に床に倒れる息子。私の部屋に、バターンというなかなかに重い音が響く。


「――っか、母様!? いきなりなんなんですか!」


 サイネルは昨日と同じように、頬を押さえ目を白黒させている。


「なんなんですか……ですって?」


 コツリ、コツリとサイネルの前まで近づき、床にへたり込んでいるサイネルの前で仁王立ちをする。見上げてくる息子は、私が全身から発している怒気が、尋常じゃないことを察知したのか、じわりと体勢を整えて静かに正座をした。


「サイネル」

「はっ、はい!」


 サイネルの背筋が、反るほどにピンとまっすぐになる。


「学園から帰ってきて、あなたが最初に訪ねるべき相手は私かしら?」


「は?」と彼は意味が分からなそうに、片眉をへこませ、首を傾げた。


「そうですが……いつものことじゃありませんか」


 本気でわからないと眉宇を怪訝を滲ませている。どことなく物言う声も不服そうだ。


「あなたがまず訪ねるべきなのは私じゃなくて、許嫁であるフィフィーちゃんをおいて、他にいないのよっ!」

「はあ!? フィフィー!? な、なぜです」


 ここで『なぜ』という言葉が出て来るあたり、サイネルは彼女のことを自分の許嫁として認識していないのだろう。フィフィーちゃんが、許嫁であることを申し訳なさそうに肯定するわけだ。


 彼女の苦笑顔が脳裏に浮かんだ。腰に置いた手指に力が入り、ドレスに食い込む。

 客間を整えていた時、彼女は私の部屋を作っていると思って、すかさず手伝おうとした。袖をまくり、メイド達に混ざろうとする姿には、微塵の躊躇いもへつらいもなかった。本来貴族令嬢である彼女は、そのような雑事などする必要がない。ましてや、勘違いだが、自分を散々いじめてきた姑の部屋だというのに。


 それだけで、彼女が……フィフィーちゃんがどれだけ心優しい子かわかった。

 そんな子が、周囲から悪意を冷笑を向けられていると知りつつも、なんでもないと言うように懸命に笑う姿に、心が痛まない者はいない。


 心がおかしくなっている者以外は……。


「あなたは、彼女がメイド達から、雑な扱いを受けているのを知っているかしら?」

「雑な扱い、ですか? ハハッ! 大げさですよ、母様。メイドは僕達のような高度な教育を受けてませんので、行動や仕草に品がなくて雑に見えるだけですよ。フィフィーへの態度は、に対する彼女達なりの親しげな態度というやつでしょう」


 気付いたら私の右手は、スゥーッと静かに後方へと引かれていた。

 そして――。


「嫁は使用人じゃないッ!!!!」

「へぶッ!」


 私の心の底からの叫びとスパーンッ! という小気味良い音と共に、平手がサイネルの左頬を打ち抜いた。


(あ、しまった。まだフィフィーちゃんは嫁じゃなかったわね)


 気持ちが入りすぎて、つい、嫁と言ってしまった。


 再びの打撃に、ごろんとだるまのように転がったサイネル。しかし、今度はすぐさま起き上がりキッと睨み付けてきた。目には涙が浮いているため締まらないが……。これではまるで子犬だ。


「なっ、なんなんですか二度も、母様ッ!」

「右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさいって言うでしょ?」

「言いませんよっ!? なんですか、その自傷を勧める教えは!?」

「神の言葉よ。よく覚えておきなさい」

「世も末な神もいたもんですね――っじゃなくて!」


 サイネルは立ち上がると、両手を広げて全身で私に訴えかけた。


「いったいどうしたというのです!? 昨日は急にフィフィーを大切にしろだの、今日は嫁は使用人じゃないと……以前までと言っていることが真逆ですよ!?」


(う゛っ……)


 それを言われると、つらいものがある。

 元も身体の持ち主のロザリアと私は、どうやら正反対の思想の持ち主のようだし、そりゃ言動が全部逆転するわ。


(そして、ロザリア……あなた、フィフィーちゃんのことを使用人だって言ってたのね)


 まあ、使用人棟に住まわせていた時点で、口にしていなくても、周囲はそういうふうに受け取るだろう。



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