明るみへの第1歩

翌朝、着替えを済ませた結梨はスマホとカバンを片手にリビングへと降りた。

「おはよう」

「おはよう、結梨」

リビングに入ってきた結梨を見て、父は驚いたように新聞から顔を上げた。

さくらは嬉しそうに笑っている。

結梨は彼女の隣に座り、スマホのメモアプリを開いた。

「おはよう。結梨、今日はご飯食べるの?」

「ううん、今日はコーヒーだけ。朝ご飯はまだいいかな」

「そっか」

そこにコーヒーカップを持った母がやって来た。

「おはよう、結梨。ちゃんと食べないと倒れちゃうわよ」

「…ありがとう。お昼は、おにぎりでも食べるね」

「ええ」

カップを置いて、母がキッチンに戻る。

コーヒーを飲みながら母の背中を見つめた。

少しして、トーストされた食パンを乗せたお皿と、おにぎりを持った母がやって来る。

父の隣に座ってお皿を自分の目の前に置き、結梨の前におにぎりをひとつ置いた。

「中身は、シャケだよ。結梨が楽しみにしたり頑張ろうって決めた時に入れてる具。遠足とか、発表会のときのおにぎりとか、覚えない?」

「…覚えてる。ありがとう、お母さん。…あのねこれを見てほしいの。お姉ちゃんたちにも」

スマホをテーブルの前に置く。

そこには、昨日まとめた◯qb2高校の情報が表示されている。

「これは…近くの通信制高校?」

「うん」

「よく調べたな。学費も、受験方法まで調べたのか」

「見学は?いつ行くの?」

特に反対する風もなく、母が聞いてくる。

「今日だよ。昨日、申し込んだの」

そう言うと、母は驚いたように目を丸くする。

さくらは、嬉しそうに笑っていた。

父は何も言わずにトーストを頬張っている。

「1人で行くのかい?」

「うん、そのつもり」

「そうか…気をつけて行ってくるんだよ。帰ってきたら、書類を見せなさい」

「うん…うん、ありがとう!お父さん」

反対されなかった上に、応援してくれることに驚きながら、頷いた。

ずっと、迷惑をかけていると思っていたから嬉しかった。

「そうね。私もいいと思うわ。結梨は、少しずつ、明るい方に向かってるのね。私、今日は大学午後からなの」

「そうなの?」

「ええ。知り合いに通信制に通っていた人がいるから、聞いてみるわね」

「お姉ちゃん…ありがとう」

さくらがガタンと席を立ちリビングを出ていく。

母ひ黙って、涙を流していた。

「お母さん…?」

結梨は驚いて言葉を無くす。

目尻を拭う母の肩を、父が優しくさする。

「嬉しい…結梨が、もう一度学校のこと考えてくれて、嬉しい…結梨、頑張ってね」

泣きながら、そう言って母が笑う。

(こんなに、思われていたんだ…)

驚いた母が泣くなんて。初めて見た。

それほど、心配をかけていたのか。

泣くほど心配してくれていて、とても大切に思われているのだとわかる。

結梨も涙が溢れてきた。

「…ありがとう…お母さん…」

グイッと涙を拭って、笑って見せた。


「行ってきます」

家を出る時、両親が見送ってくれた。

手を振って、玄関を出る。

歩き出しながら、スマホを取り出した。

9時40分。後10分ほどで見学が始まる。

(えっと…ここを右に曲がって…)

一時停止の表札を右に曲がって、両側を見る。

「あ」

表札のすぐ近くに、猫を見つけた。

真っ直ぐに歩いていくと、チラホラ猫を見かけた。

この通りは、猫が多いようだ。

しばらく歩いて、左に曲がる。

(…着いた…)

肩で息をしながら、校舎に入る。

流石に、1ヶ月以上引きこもっていたから体力が落ちている。

(少しは運動しないとな…)

辺りを見ながら歩いて、職員室を探す。

職員室は、校門を真っ直ぐに行って、渡り廊下を右に行ったところにあるらしい。

周りには誰もいないので、1人で行くしかない。

(マップとか…ないのかな?)

昇降口の近くを見てみたけれど、それらしいものは見当たらなかった。

しばらく歩いていて、渡り廊下を見つけた。

そこで靴を脱ぎ、廊下を右に曲がったけどトイレがあるだけだった。

(…?)

どうやら迷ってしまったらしい。

一度、渡り廊下に出て靴を履き変える。

再び歩き出そうとした時、強い力で方を引かれた。

「ねぇ」

よろけた結梨の体を支えながら、声をかけてくる。

「…君、見学の人?」

「…はい」

顔を上げると雪のように肌の白い男の子がいた。

結梨よりも、かなり背が高くて瞳には繊細そうな光が煌めいている。

「えと…私、水無月結梨って言います。…職員室に行きたいんですけど、迷っちゃって」

「そうだったんだね。ごめんね、急に声かけちゃって。俺は、浅布白夜だ。今年で19。職員室はこっちだよ」

「ありがとうございます」

白夜と一緒に職員室に向かう。

19と言っていたが、彼もここに通っているのだろうか。

それとも、すでに卒業していて、講師として通っているのだろうか。

(だけど、卒業してそのまま、母校に就職とかできるのかな)

首を傾げていると、白夜が覗き込んできた。

「俺はここに臨時講師として来ているんだ。講師じゃないよ。先に行っておけばよかったね」

「あ…いえ、そんなことは」

パタパタと手を振ると、白夜は楽しそうに笑った。

スッと、細まった目が猫のようだ。

「着いたよ、職員室」

「あれありがとうございます。浅布さん」

白夜に頭を下げてから靴を履き替える。

廊下に出て職員室のドアを叩いた。

「失礼します。見学の水無月結梨です」

「ああ、はい」

中から眼鏡をかけた背の低い女性が姿を現した。

廊下に出て来て、近くにいた白夜を見上げて目を丸くする。

「あら、白夜くん。水無月さんを迎えに行っていたの?」

「たまたま、彼女が迷子になっていたんですよ。今から案内したらいいですか?」

「その前に、この学校の説明をしないといけないわ。水無月さん、単位の制度など必要書類の説明をするから、こちらに。申し遅れました、私は黒川と申します」

ぺこりと頭を下げて、黒川が歩き出す。

その後ろに結梨と白夜が続いた。

相談室の前で、黒川が立ち止まる。

鍵を開けて、ドアを押し開けた。

「どうぞ、水無月さん」

「…失礼します」

少し頭を下げてから、相談室に足を踏み入れる。

白夜がドアを閉めて電気をつけた。

黒川がカーテンを開けて、棚から書類の入ったファイルを取り出す。

黒川と白夜の前に座り、書類に目を落とした。

「改めまして、私は黒川まなと申します。主に、受験関係の担当をしています。水無月さんの前に置かせていただいている書類は、この学校の書類、編入試験の概要、単位の制度について書かれたものが入っています。いくつかは親御さんに確認していただくものもございます」

結梨はファイルを手に取り、編入試験の概要、学費について書かれた紙を脇によけカバンから筆箱を取り出した。

「それでは、この学校の概要と、単位についてお話ししますね」

黒川が読み上げる書類に目を落とし、必要に応じて書き込みや線を引いていく。

大体は昨夜、結梨が調べたものと変わらなかった。

「…それでは次に編入試験についてですが、試験内容は面接と書類選考になります」

結梨は編入試験の書類に目を落とす。

そこに、志願書と志望理由書と書かれているのをみて顔を上げた。

「てあの、志望理由書って、学校からの許可ぎ必要なんでしょうか?」

「いいえ。すでに転校している場合は必要ないわ。転校する前なら必要だけれど」

「そうなんですね。それなら、大丈夫です。ありがとうございます」

そう言って少し頭を下げる。

黒川は少し驚いた顔をしていた。

「…続けましょう。試験の日程はー」


「今日はありがとうございました。黒川さん、浅布さん」

校門の前で頭を下げる。

書類を受け取り、校内を見学し終わった頃には、日が傾き始めていた。

「こちらこそありがとうございました。白夜くんもお疲れ様」

「お疲れ様です。お先に失礼します」

黒川に軽く頭を下げて、白夜が結梨の隣に並ぶ。

「帰ろうか」

先に立って歩き出しながら振り返る。

結梨も慌てて後に続いた。

「一緒に帰えるの、迷惑?」

「いいえ、そんなこと…ないです」

「そっかよかった」

白夜は空を見上げていた。

のんびりとした足取りは、結梨に合わせてくれているらしい。

「俺、水無月ちゃんともう少し話したかったんだよね」

「え?」

驚いて白夜を見ると、彼は楽しそうに笑っていた。

「水無月ちゃん、今日、見学してみてどうだった?」

「…とても、よかったです。私、あまり学校に行かなかったんですけど◯qb2高校は通いやすそうでした」

「投稿日数も少ないもんね。…あ、車来てるからこっち」

白夜に肩を引かれて、歩道側を歩く。

「女の子が車道側なんて、歩いちゃダメだよ俺がこっちね」

肩から手を離して、白夜が優しく笑う。

その横顔が夕陽に照らされてキラキラ輝いて見えた。

少し先の角を曲がったところに、結梨の家が見えてきた。

家の前までもう少しのところで、白夜がスマホを差し出して来た。

「よかったら、連絡先、交換しない?」

「え?」

「俺なら、水無月ちゃんの相談に乗ることもできると思う」

白夜の言葉に嘘があるとは思えなかった。

今日会ったばかりで簡単に信頼するのは軽率かもしれないけれど、白夜はいい人だと思ったのだ。

「わかりました」

スマホを差し出して、連絡先を交換する。スマホを握りしめて、玄関に上がる。

「今日は、本当にありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。それじゃあ、またね水無月ちゃん」

手を振って白夜が帰っていく。

その後ろ姿は、猫のようにユラユラとしていた。

「ただいま」

「おかえり」

リビングに入ると、母がテーブルでコーヒーを飲んでいた。

結梨がテーブルに書類を置くと、さくらがやって来た。

「おかえり、結梨。見学はどうだった?」

「よかったよ。校内は広くて迷っちゃったけど、単位の取り方もわかったし」

「それならよかった」

「…編入試験はもうすぐなのね」

母が書類を見ながら言う。

来月の頭には試験を受けられることになっていた。

「受けたい…受けたい、編入試験。…いいかな?お母さん」

「もちろんよ。今日はもう、疲れたでしょ?ゆっくり休みなさい」

「うん、ありがとう」

書類を置いたまま、階段を上がって部屋に入る。

ドサっとベッドに座り込み、カバンを引き寄せた。

お昼に食べることができなかったおにぎりを取り出した。

ひと口頬張ると柔らかさに包まれる。

涙が出そうになって、天井を見上げた。

ーこれから、頑張ろう。

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