三題噺集

茶野鈴子

ブックスワールドへようこそ(お題:古い本、霧、声)

 今度実家を取り壊すことになった。

 そこで、解体前に荷物を整理することになり、久しぶりに訪れた。

 しばらく誰も住んでいなかった家のため、戸を開けるとカビくさく、埃っぽい空気が流れてくる。

 咳き込みながら玄関を上がって、まずは家中の窓を開けた。

 特別広い家ではない、普通の一軒家だ。しかし、一人ですべての部屋を片付けるのは骨が折れる作業となる。

 思わずため息がもれた。根気よくやるしかない。期限はすでに決まっているのだから。

 何日かかけて黙々と作業を進めていった。そして、父の書斎を掃除しようと部屋へ入った。読書が好きな人だったので、たくさんの本が棚を埋め尽くし、あふれ出た分は床に積み上げられ、埃をかぶっている。

 目についた手近な古い本の埃を払う。その本はファンタジー小説のようだ。ハードカバーの表紙には、剣を掲げながら盾を構え、鎧を身に纏う青年の影絵がある。金箔押しのタイトルはかすれてしまい、読めなかった。

 いつもしかめた顔をしながらビジネス書を読んでいた父親が、俗っぽい話も読んでいたのが少し意外でパラパラと本をめくってみた。相当昔の本なのだろう、端の方がすっかり日焼けして変色している。

 流し読みをしていたが、とあるページの挿絵に目を奪われ、めくる手を止めた。そこには父が書いた落書きと、深い霧の中で道に迷う青年の姿が描かれていた。

 落書きの方は、いくつかの記号が並んでいた。まるで文字のようにも見えたが、これまでの生活で見たことのない記号だった。文字なのかどうか確信が持てない。何かの暗号なんだろうか。

 挿絵の青年は、どことなく父の面影が見える気がした。

 霧の絵が描いてあるせいか、ページの端が湿っているように見えた。触れてみると、紙のはずがまるで氷のように硬く冷たい。指先が冷たさにじんわりと痺れる。だんだんとページの端に霜のようなものが浮かび、冷気も漂ってきた。

 この本、ただの本じゃない!

 気づいた時には少し遅かった。

 挿絵についていた吹き出しがゆっくりと滲み出す。


『僕のところへおいでよ』


 俺が読むのと同時に、まるで耳元で誰かが囁いたかのような錯覚を覚え、寒気がした。

 なんだ、と声を出す暇もなく、ぶわりと本から濃霧が吹き出してくる。獲物を仕留める大蛇のように、霧が体に絡みつき上手く身動きが取れなくなった。

 本からなるべく遠くへ逃げようともがいていると、本から何かが出てきた。霧でよく見えないが、黒っぽい。そいつに、霧から守るように全身を優しく包み込まれた。ほのかにインクの匂いがする。黒い塊は、文字の羅列のようだった。ふわふわとした感覚に包まれていると、急に全身が圧縮されるような感覚に襲われる。視界がぐにゃりと歪んだ。文字と共に、本の中へ戻っているようだった。

 俺はそのまま本の世界へと吸い込まれていった。



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