あの夢を見たのは、これで9回目だった。

時輪めぐる

あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 緑の小高い丘にある満開の一本桜の下で僕達は、待っている。よく晴れた三月のことだ。

 九歳の僕と五歳の妹は、お母さんと一緒にお花見に来ていた。広げられたピクニックシートの上には、コンビニで買ったおにぎりや、お菓子、ジュースが並べられている。僕と妹の、それぞれの小さなリュックには、ハンカチとティッシュの他に着替えも入っていた。

「あら、大切なものを車に忘れてしまったわ。取りに行って来るね。直ぐだから、此処でお菓子を食べて待っていて。お腹が空いたら、おにぎりも食べていいから」

「わかった。ぼくは、もうおにいさんだから、まっていられるよ」

「あたしも」

 妹は、おまけ付きのチョコを頬張りながら、モゴモゴと答えた。

 お母さんは、白いパーカーの裾をなびかせながら、小走りに丘を下り、駐車場の方へ向かった。白いパーカーとブルージーンズ。白と青が、木立で見えなくなるまで見送った。


「おにいちゃん、おかあさん、おそいね」

「もうすぐ、くるよ」

「あたし、おなかすいた」

「さきに、たべていようか」

 二人でおにぎりを分け合って食べ始め、食べ終えても、お母さんは戻って来なかった。

「おにいちゃん、おかあさんを、さがしにいこうよ」

 妹は半べそを掻く。

「いきちがいになると、こまるから、もうすこし、まってみよう」

 暫く待ってから、立ち上がり、背伸びをして、丘の周囲をぐるりと見回しても、お母さんの姿はおろか、誰の姿も見えなかった。

「よし、さがしにいこう」

 僕は、ピクニックシートや食べ殻を片付け、自分と妹のリュックに詰めて立ち上がる。

 日は陰り始め、風が出て来た。桜の花びらが舞う。


 妹と手を繋ぎ、お母さんが行ったはずの駐車場へ向かった。ピンクの小さな車を探したが、駐車場には一台の車も停まっていない。

 お母さんは、僕達を忘れて家に帰ってしまったのだろうか。

「おにいちゃん、おかあさんのくるま、ないよ」

「……おかしいね」

 心臓がバクバクした。妹の小さな手をギュッと握りしめる。


(どうしたら、どうしたらいい?) 


 僕は必死に考える。


(そうだ)


 辺りを見回し、公衆電話を探した。公衆電話は見当たらなかったけれど、電話さえあれば。

「おかあさんに、でんわするよ」

 妹は少しホッとしたような顔をする。

「すぐ、むかえに、きてくれるね!」

 確か、リュックのポケットには、万が一の為にと、十円玉と連絡先のメモが入っていた。二年生の遠足に行く時、お母さんが「もしも、皆とはぐれたら、お母さんの携帯に電話するのよ」と、入れてくれたのが、そのままあるはずだった。僕はリュックを降ろして、前ポケットを探したが、メモもお金も入っていない。

「……ない」

 お母さんが、リュックを片付ける時に出してしまったのだろうか。どうして良いか分からず、次第に息が荒くなる。唇を嚙み締めた。きっとひどい顔をしているだろう。


(ダメだ。しっかりしろ)


「でんわ、できないの? おかあさん、きてくれないの? ……う、うえぇえええん、うえぇえええん!」

 妹が声を上げて泣き出したので、僕も我慢できずに泣き出してしまった。

 とにかく、誰か人が居る処へ行こう。

 泣きながら妹の手を引いて、車が走るような道まで辿り着いた。辺りを見渡しても、建物は見えず、薄暗がりの中、菜の花畑が揺れていた。少し先にぽつり灯っている外灯の下に、バス停が見えた。小さな待合が付いているようだ。

「バスていに、いこう」

「バスに、のるの?」

「ううん、おにいちゃん、おかねをもっていない」

「じゃあ、どうするの?」

 涙の跡でベタベタになった顔が不安気に見上げる。

「……どうしようか」

 日は落ち、辺りは暗くなっていく。困ったことに雨まで降って来た。

「ぬれちゃうよ。つめたいよぉ」

 妹の頭にハンカチを載せてやる。

 歯を食いしばって泣くのをこらえながら、妹を連れて、屋根のある待合に辿り着いた。柱と壁が木で出来たコの字型の小さな待合だった。壁に木のベンチが付いている。

 時刻表を見ると、一日一本、朝しか来ないバスは、もうとっくに行ってしまっていた。明日の朝になるまでバスは来ない。もし、バスが来たらわけを話して、そうしたら、助けてもらえるかもしれないと思ったのだけれど。僕は途方に暮れた。

「ひとも、くるまも、とおらないね」

 妹は雨をぼんやり眺めた。

 リュックを降ろし、バス停のベンチに身を寄せて座る。初めて来る場所だった。


「明日、お花見に行きましょ」

 昨日の夜、お母さんはそう言って、僕達はすごく喜んだ。嬉しくて中々眠れなかった。それから、今朝、出掛けにコンビニに寄って、おにぎりやお菓子を買ったんだ。いつもは「一つだけ」というお菓子も、「いくつでもいいよ」と言うので、僕も妹も欲張って色々買った。


 お母さんは、どうして僕達を置いて行ってしまったのだろう。考えても分からない。

「おにいちゃん、あたし、……ねむい」

 歩き疲れたのか、妹は僕に寄り掛かると静かになった。僕も色々な事があったから、疲れてしまって眠い。まぶたを閉じる時、雨は季節外れの雪に変わっていた。



 夢はいつもここで終わる。

 あれから、僕達は何度も生まれ変わって来たけれど、大好きだったお母さんに捨てられた悲しみと、大人になれなかったあの人生は、魂に刻まれて忘れることはない。


 僕は陽当たりの良い窓辺で微睡まどろんでいた。隣で妹も可愛い寝顔を見せている。

 僕達のママのユキエさんは、とっても優しい。

 つけっぱなしのテレビからは、桜の名所の映像が流れていた。緑の小高い丘にある満開の一本桜。

『あ』

 僕が声を出したので、妹が目を覚ます。

『……ねぇ、あれって』

 僕の視線の先の映像を見た妹は目を見開いた。

『あそこだね』

『うん。ぼくたちが、おかあさんに、おいてきぼりに、されたところ』

『……かなしかったね』

『そうだね。でもいまは、ママが、たいせつにしてくれる』

『しあわせだね』

 僕と妹は互いの額をくっ付けて、喉をゴロゴロ鳴らした。

「二人ともご機嫌ね」

 ママが僕と妹の背中を優しく撫でた。子猫の僕達は最近、保護猫センターから貰われて、この家にやって来た。僕達は何度目かのせいを受け、猫になった。


「綺麗な桜。三人でお花見に行こうかな」

 テレビを見たママの言葉に、僕達はちょっと緊張する。

『……かなしかったけど、だいすきな、おかあさんの、おもいでだよね』

『うん、おかしを、いっぱい、かってくれた』

『さくらが、きれいだったね』

『あたし、また、みてみたい』


 此処に来るまでに、僕は8回あの夢を見た。

 9は、完成や終わりを表わすのだと、いつかどこかで生きていた時、聞いたことがある。だから、もうこの悲しい夢を見るのは、今日で終わり。楽しい思い出に書き替えたい。

 僕と妹は、陽だまりの中でヌーンと伸びをした。

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あの夢を見たのは、これで9回目だった。 時輪めぐる @kanariesku

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