マスク・ア・レイド

@Mazk4S

第1話 忘却?

 あれは確か、清南山でのことだった。


「おお、本当に居やがった」

 ヨシダ隊長は、好奇と驚きの視線を対象に向けたまま、無線機の側面についている通信ボタンを押し込む。

「『蜘蛛』を捕捉。当初の想定通り、対象は周囲に木のない開けた場所に鎮座している。座標は1633-1174。プランAを遂行する」


 隊長が、僕の肩に手を置く。

「飲まれるなよ」

 僕にそう言い残すと、五メートルほど離れた茂みに隠れるように身を潜める。僕は、はい、と頷き、首から下げられたものを、ギュッと握りしめた。


 それは、首に掛かるように設計された、顔の下半分だけを隠す仮面。たしか、日本の伝統では口面こうめんとも言うらしいが、これは全くの別物だ。


 名前は・・何だったかな・・・思い出せない・・


「援護班も準備できたか」

 隊長は独り言のように言うと、僕に二本の指を対象へ向けるハンドサインを送った。


 『行け』か


 援護班という名が付いてはいるが、戦闘不能になった僕を安全に回収する役目だろう。援護射撃なんてものは、期待するだけ無駄というものだ。


 この作戦の討伐対象は、目撃者の情報を元に『蜘蛛』と呼ばれていた。しかし、目の前にいるのは、所々が黒い金属光沢をもつウロコに覆われた、繭のような物体であった。大きさは三メートルから四メートルほど。そして、その周囲には地面に落ちた赤黒い影が三つほど確認できた。おそらく報告にあった被害者たちのものだろう。


 僕は、生い茂った木の影から日の元へ出る。


「お前も真っ黒だな。黒って良いよな。脇役にも主役にも、はたまた悪役にもなれる色だ」


 風に吹き鳴らされていた、木々のざわめきがピタリと止まった気がした。その代わりに聞こえてくるのは、自分の心臓の鼓動だけ。


 『蜘蛛』のウロコのない部分は、酷く生物的で、血管のように浮き出た筋も見える。


 僕は静かに、面を口元にやる。そして、面を通じて息を吸い込むと、脳みそがグツグツと沸騰しているような感覚に襲われる。


 そのとき、木の葉が揺れ、二羽の白い鳥が飛び立った。それを視界の端に捉えたとほぼ同時に、体の右側全体が強烈に殴打されたような衝撃を受けた。


 反射的に瞑ってしまった目を開く。そこにはもう繭は無く、そこには人の姿があった。しかし、ただの人ではない。全身が繭の色のように真っ黒だった。さらに、肩からは普通の腕とは別に、ナナフシのように長く、それでいて獣のような手足が全部で四本生えていた。地面をがっしりと握っているその腕の長さは、身長の四、五倍はあるだろう。見る限り、当の人間には生気は無く、むしろ長い腕に命が宿っているかのようで、身体は逆に手足に押し上げられ、中空に浮いている状態だった。


 地面には、空から撃ち落されただろう二つの白く動かない塊があることは認識していたが、まじまじと見る気にはなれなかった。


 鳥たちが、ああなった攻撃を間違いなく僕も受けた。それも意識の範囲外からだ。


 しかし、僕の体は驚くほどに、驚くほどに・・・痛くなかった。


「良かった。正気は保てている。作戦続行かな」


 おもむろに右腕を触るとカチリ、カチリと金属物同士が当たる音が鳴る。そして僕は実感する。この腕も、それをさする手も、何より、この体全てが、もう人の身ではなくなったことを。


 僧帽筋そうぼうきんあたりに力を入れると、神経が、自分の背中のより上まで達していることを実感できた。人類が羨望し、なお手に入れることが出来なかったもの。それを今、僕は自分の背中に携えている。


 僕は、空を扇ぐように飛び上がった。


『蜘蛛』は、やっとこちらに気付いた様子でゆっくりと歩みを進めている。あんなに速く腕を振り回せるのに、歩く動きは鈍いな。


 とりあえずの狙いはあの人間だ。生きているか死んでいるか分からないが、急所に違いは無いだろう。


 やつの腕が届かない高さまで飛び上がり、さらに青天井に向かって上へ上へと突き進む。そして身を翻し、真下に急降下する。この体は、空気抵抗を減らす形を知っているようで、速度はどんどんと上がり、米粒大だった『蜘蛛』の姿も徐々に大きさを増して見える。寸分の狂いもなく、僕の翼は、宙にぶら下がる人影を、僕は切り裂いた。



「・・・と思う。正直、そこの記憶も確かじゃないし、それからのことも分からない。覚えているのはそこまでだ」

 僕は本当に記憶のある限り話したつもりだが、目の前の女医はどうやら信じられない様子でいる。

 病室のベッドの上で目覚めた僕は、記憶を失くてしまっているらしい。部屋は電気が消されており、外からの光もなく真っ暗だった。かろうじて白い天井に付いた、シミが見える程度だ。体は縛り付けられたように動かせない。傍に立つ女医の顔もまともに認識できないでいる。

「自分の名前の他に覚えているのは、その記憶だけということですか」

 彼女は、しばらく考え込むように黙った。

「それはこちらとしても、ある意味で想定外ですね。もう少し混乱されるかと考えていましたが、何も覚えていないが故のことだったのですね」


 そもそもなぜこの病室にいるのか、残っているあの記憶が関係しているのか。もしくは無関係なのか。

「申し訳ないが、本当に記憶がない」

「本当に何も覚えておられてないのですか? 仮面のことも?」


 仮面・・・

 首からかけていた、あの面。


「よく知っているはずなのに、上手く思い出せない。記憶の中のその面も、もやがかかったようだった」

 女医は、フン、と鼻を鳴らすとベッド横の椅子に腰かけた。

「では記憶の整理のためにも質問していきますね」

 そして、手の平で僕の目を覆うように視界を遮った。


「それでは、あなたの名前は?」

「シュン・ウーデハルト」


「出身は?」

「・・わからない」


「家族構成は?」

「・・・わからない」


「あなたが化け物と戦っていた理由は思い当たりますか?」

「なぜ・・僕は・・・選ばれた。そう、選ばれたんだ」


「何に?」

「・・・仮面にだ」


 そうだ。僕は、選ばれてあそこにいた。僕にしかできないことを成している自覚があった。


「あなたには、これからとある治療を受けていただきます。そうですね、いわば、記憶の補完処理と思っていただいて結構です」

「具体的に何を?」


「夢を見ていただきます」


 夢?


 困惑した僕の顔を見たのか、わざとらしく言い直す。

「過去の記憶の追体験、とでも言いましょうか」

 

 そんな治療法は聞いたことが無い。目覚めてから、あまりにも物事の進みが早い。自分の状況を整理する時間も、飲み込む時間もない。


「そんなことが可能なのか?」


 女医は数秒の沈黙を挟むと、どこか苛立ちを含んだように言った。

技術では可能なのです。まあ、それも明日からです。今日は一日ゆっくりと休んでください」

 女医は立ち上がり、ドアのほうへ向かった。


「ああ、言い忘れていましたが、追体験は、ある決まった結果に向けて収束するように再生されます。しかし、あなたの行動次第では、それが不可能になることもあります。覚悟して臨むように」


 今までにないほどに冷たく聞こえた彼女の言葉は、こちらが質問を挟むことを許してはくれなかった。

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