通天閣から愛を叫ぶ
香久山 ゆみ
通天閣から愛を叫ぶ
俺は、飛べなかった。
アスファルトに激突すれば即死確実だ。いや地上に着く前に鉄骨に叩きつけられるかも。足が竦む。顔を上げる。真っ青な空には何の取っ掛かりもなくて、いっそう俺を不安にさせた。
「すみません、無理です。飛べません」
妙に早口になってしまう。
「そうですか。分かりました、戻ってください」
そうして俺は震える足取りで、地上40メートルから迫り出した一枚の板の上を引き返したのである。
所用で天王寺に出たついでに、通天閣まで行くことにした。歩いて十五分ほどだ。公園を突っ切って、美術館の脇を通り、新世界に出る。
この辺りに来るのは久し振りだ。昔に比べてずいぶんきれいになった。観光客も多い。かつて「物騒だから行くな」と親から言われていた頃とは大違いだ。
初めてここに来たのは高校生になってから、新しくできたばかりの都市型遊園地「フェスティバルゲート」にクラスの連中と来た時だった。まだユニバもなかった時代だ。何度か来たけれど、目玉のジェットコースター以外は何があったか、正直よく覚えていない。けど、玉手山遊園地や奈良ドリームランド、宝塚ファミリーランドとかしか知らない俺達は、近くて洒落た遊園地に何度か足を運んだ。映画館もあったし、スパワールドへも寄った。初めて通天閣へも上った。けど、高校卒業とともに足は遠のき、じきユニバもできた。気付けば廃園になっていた。
だから、大阪に生まれ育ったけど、通天閣に上ったのは一度きりだ。展望台のビリケンさんの足の裏を撫でたということ以外は、やはり特に何も覚えていない。案外そんなもんだ。
串カツ屋を横目に通りを進み、通天閣の真下に来る。
入口には「展望台 待ち時間60分」の看板が出ている。
別に並んでまでやりたいことではないし、引き返そうと思ったが、その下に「ダイブ&ウォーク 待ち時間0分」とあった。展望台とは別枠で直接上まで行けるらしい。良かったのか悪かったのか、諦めのような変な心持ちで受付に進んだ。
バンジージャンプをするのである。
なんで? と聞かれれば、知らんけどと答える。ただ、「死ぬまでにやりたいことリスト」の項目の一つとして上げたから。だからやるのである。
ちなみにそもそもリストは未だ百も埋まっていないし、なかなか消化もされない。去年は「ラグビー観戦に行く」「一人でバーに行く」「九州旅行」の三項目にチェックが付いたのみである。そうだ、犬を飼っていた時にはあまり遠出もできなかったから、旅行の項目を増やそうか。今はもう誰に気兼ねするでもなく自由なのだし。
通天閣から少し離れた建物で受付を済ますと、ヘルメットを被り、ハーネスを装着して、通天閣まで戻る。いい齢したおっさんがたこ焼きモチーフのヘルメット姿で往来を歩くのは非常に恥ずかしく、早足になる。そのまま展望台行きのエレベーターとは別の、非常階段のような扉を開けて、階段を上っていく。二百段以上あるという。すでに息が切れる。
中間展望台の上層、地上26メートルの扉を開けて、屋外に出る。
朝の曇天が嘘みたいに晴れ渡っている。
係員の誘導で、ハーネスに安全ロープが掛けられる。
ルートの説明や、途中で写真撮影されることなど、説明を受けて、出発する。柵も手摺もない鉄骨の上をぐるりと一周するのだ。
前にはカップル、後ろには友人連れの団体に挟まれて、自然早足になる。
なんだ、全然大したことない。
縁の方まで出て地上を覗いてみる。誰かこちらに気付いたら、手くらい振ってやろうかと思ったが、誰一人俺に気付く人はいない。
さくさく進んで、一周を終えた。
いよいよ、「通天閣バンジー」と称されるダイブ体験だ。
さらに階段を上がり、地上40メートルに出る。
やはり足元は鉄骨だ。格子状になっていて下が透けて見えるが、問題ない。係員からダイブに当たっての注意事項を受けて、いざ背中に命綱が装着される。
「ほな、どうぞ」
係員の案内で、鉄骨からさらに迫り出したジャンプ台の上を進む。
……おおう。
全然へいきのつもりだった。が、いざジャンプ台の上に立つと、どうしてもあと一歩が踏み出せない。
「そのまんま、歩くみたいに進んでくださーい」
無茶を言う。いや、うん、分かってる。進めばいい、でも、どうしても進めない。だって、落ちたら死ぬやろ、これ。
結局、「無理です」と断って待機場所まで引き返した。
「オーケーです。ほな、階段から戻ってくださいね」
そう指示されたが、しばらくその場に留まりジャンプ台を睨みつける。
何人かの人々がジャンプ台に立つのを見学する。
平日の昼間ということもあり、俺以外の客はみな外国人観光客のようだ。カップルや、友人同士。あっさり飛んでいく人もいれば、踏み出せずにわあわあ騒いだ上で意を決して飛び出す人もいる。
けど、漏れなく皆、飛んでいく。
人が途切れたところで、係員に声を掛ける。
「もういっぺん、挑戦させてください」
「オーケーでーす」と快諾され、背中に命綱を装着してくれる。
皆飛んでいるんだ。俺もできるはずだ。
もう十年以上絶叫系のアトラクションに乗ることもなかったので、久々過ぎて緊張しただけだ。本来俺はジェットコースターだってへいきで乗っていたじゃないか。フェスティバルゲートのジェットコースターなんて何度乗ったか知れない。覚えてへんけど。
だいいち、40メートルも飛ぶわけじゃない。さっきの場所まで、たかだか14メートル落下するだけだ。
大きく深呼吸してから、ジャンプ台の上を進む。
ジャンプ台の端に表示された足型マークの上に立つ。
よし、さっきより進んだ。あと一歩だ。
下を見る。
ジャンプ台の鉄骨格子の下には何もない。
着地地点が遠い。通天閣の鉄骨が剥き出しに見える。さらに視線を進めると、地上のアスファルトが見える。心臓がギュッとなる。下を見るからいけないのだ。視線を上げると、雲一つない青空が広がる。俺を安心させるものは何もない。一歩踏み出すだけだ。そう思うが、どうしても足が進まない。小刻みに震えている。心臓はバクバク鳴っているのに、飛んでしまえば心臓がなくなってしまうんじゃないかという感覚。飛べ。あと一歩。進むだけだ。無理。嘘だろ。人間の体はこんな高さから飛べるようにはできていない。皆飛んでる。大したことない。あと一歩。無理。どうしても無理。
「……すみません、やっぱり無理です。諦めます」
「オーケーです。戻りましょう」係員の誘導で、震える足で引き返す。
くそ。結局飛べなかった。
階段を下りながら考える。
俺の他は、みな二十代の若者達だった。
もっと若い頃なら飛べただろうか。人生も折り返すと、「死」がリアルに感じられるし、人間が造りだしたものを素直に信じられなかったりする。
悔しい。
でも、どうしても無理だった。日を変えても無理だし、場所を変えても無理だろう。自分は飛べないのだということが分かった。飛べる人間だと思っていたのに。だから、若い頃は強いて飛ばなかった。「飛び癖」がついてしまうと困るから。
けど、今なら飛んでもいいと思えた。
俺にはもう、何もないから。
就職氷河期になんとか就職した俺の給料は全然上がらなくて、未だに新卒と大差ない。それでも実家暮らしだから何とかやってこれた。けど、そんなだから、結婚して家庭を築くという縁には恵まれなかった。それでもそれなりに小さな幸せを感じていた。生まれ育った家で、両親と犬と暮らし、笑い合ってたまには我儘も言う。
そんな時が止まったような生活でも、時計の針は着実に進んでいた。
両親が亡くなった。
それでも犬と一緒に暮らし続けた。「犬が一緒だとどこも行けない」と言いながらも、家族のいる生活には張り合いがあったのだと思う。
一昨年、犬も死んだ。
俺は独りになった。
それは、けっして自由ではなかった。何をする気力も喪ってしまった。なんとか出勤するけれど、それ以外は家に引きこもった。休日はほとんど飯を食わないし、腹が減ったらカップ麺やコンビニ弁当を適当に食った。仕事と社員食堂によって、なんとか現実世界に踏み止まっている。
けど、そんな人生に何の意味があるのだろう。
そんな風に考えたのは、俺の種が子孫を残すことがないという検査結果を得たことも一因だ。諦めたといいながらも、どこかで新たに家庭を築く希望を持っていたのだと思う。けど、何にもなくなってしまった。
俺の生きてる意味って何だろう。
そんなことを考えた。いい齢して、やっぱ中二病かもしれない。けど、そう考えて、死ぬ前に色々やってから、思い残すことないようにしていこう。と思って、リストを作り始めたのだ。
けど、早々にギブアップが出てしまった。
やっぱ俺は駄目だな。
通天閣を下りて、新世界を抜けて、天王寺まで戻ったが、まだ心臓がバクバクしている。あのまま飛んでいたら、本当に死んでいたのではないか。スマホで検索してみると、無事にバンジージャンプをしたものの、直後に心不全で亡くなった事例もある。233メートルのマカオタワーやけど。
気を落ち着かせるために、さらに歩くことにする。
一駅ほど行ったところで、カフェを見つけた。「保護犬カフェ」とある。
ここで癒されれば、心臓も落ち着くのではないかと考えて、入店する。
店内に入ると、すぐに犬達が寄ってくる。犬のにおい、懐かしい。
飲み物を注文して席に着くと、すぐに一匹が膝の上に乗ってくる。少しハナコに似ている。店員に話し掛けられ、バンジージャンプ帰りだと伝える。驚く店員に、早口で顛末を伝える。
「そしたら、また再チャレンジしはるんですか」
「いや……」
さっき「バンジージャンプ」「ギブアップ」で検索した時に、「生物が鼓動を刻む回数は決まっているのに、バンジージャンプするなんて、わざわざ寿命を縮めにいくようなものだ」という言説をSNSで見た。別に手放しで信じたわけでもないが、確かになあと思ったのだ。
「バンジージャンプは諦めて、別の目標を立てようと思います」
そう答えると、膝の上の犬がぺろりと手を舐めた。なんとなく、ハナコに褒められた気がして苦笑する。
俺は飛べなかった。代わりに、自分の心が、体が、「死にたくない」と叫んでいることを知った。それだけで、ジャンプ台に立った値打ちは十二分にあった。
生きるのは難しい。けど、そんなに難しく考える必要はないのかもしれない。
店員がバックヤードに戻ると、店内の犬達が一斉にあとを追いかける。俺の手の中であくびをしていた犬も、膝から飛び下り駆けて行く。「ワン、ワン!」おやつか、おやつか、と騒ぐ。寝て、食って、腹が減ったと叫んで、大好きだとしっぽを振る。
おやつじゃなかったみたいだが、別に不平を述べるでもなく、集まった犬達が散会する。さっきの犬がまた俺のところに戻ってきて、膝に乗せろとアピールする。
「その子がそんなに懐くのは珍しいですねえ」
里親とかご興味ないですか、と問われ、曖昧に笑い返す。聞かれるより先に、そんなことを考えていたから。家族を作ること。生きること。
膝の上の犬は、俺の腕に顎を乗せて安心しきったみたいにくうくう眠る。
そうだ、と思い出してスマホから専用サイトを開く。先程のアクティビティの記念写真がアップされているはずだ。まあ、ダイブはしてないけど、周遊コースでも何枚か写真を撮った。
上部に設置されたカメラから通りを見下ろすアングルで取られた写真。通行人の誰一人、俺の挑戦には気付いていない。けど。
通天閣の中程にたった一人で立つ俺は、ちゃっかりピースサインを作って、満面の笑みをこっちに向けていた。
通天閣から愛を叫ぶ 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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