第31話
次の瞬間、矢野の眼差しが変わった。
愛しくてたまらない様子がその目から伝わって来る。
さりげなく髪を撫でる指の動きも先程とは全く違う。
「寧々」
甘く囁くような優しい声。
寧々は自然と矢野の腕に触れていた。
「はい、カット」
矢野に言われて寧々は我に返った。
「今度は何の役を演る?」
矢野に言われても寧々はまだドキドキしてい
た。
いっちゃん、上手すぎるよ……
寧々は漸く気持ちを落ち着かせて言った。
「高原さん演って」
高原とは矢野の大ヒット作名医の主役の医者の名前である。
「もう6年も前の事だから台詞忘れたよ」
「演技でいいの。高原さんが見たい」
「分かった。思い出しながら演ってみる」
その頃、真理子は久々にケーキを焼いていた。
今頃、あの2人何やってるのかしら。
いきなり矢野は寧々を置いて歩き出した。
「ちょっと待ってよ。いきなりどうしたの?」
「遅い。モタモタするな」
チラッと相手を見る目の動き、自信ありげな表情。
高原さんだ!
寧々がドラマを見て大ファンになった高原が目の前にいた。
「あー、俺今日ハンバーガー」
矢野は寧々がハンバーガーが大好きなのを知っている。
「ウッドストックのやつな」
ハンバーガーの食べ方もいつもの矢野とは違
う。
「まだ食べてるのか?遅いんだよお前は」
矢野は投げやりに言うと、窓の外に目を向け
た。
「ところでさ。俺、いつまで高原やればいいわけ?」
寧々はハンバーガーを齧りながら笑顔になっ
た。
「何だ?」
「嬉しいの。私高原さんの大ファンだもん」
「あの頃お前10歳じゃなかったか?あのドラマ夜の10時からだぞ」
「ちゃんと起きて見てたよ。もう大好きだったから。だから嬉しいの。高原さんとデートしてるみたいで」
矢野は戸惑ったように目線を逸らした。
そのツンデレな所が寧々は大好きだった。
「そうか」
「だから今日はずっと高原さんでいてね」
「ああ」
ハンバーガーショップを出ても矢野の演技は続いた。
「一度やってダメなら二度、それでもダメなら10回でも20回でもやりゃあいいじゃないか。俺が見込んだんだ。お前は必ず出来る」
この台詞を高原は新人外科医に対して壁ドンで言ったのである。
同じ台詞を矢野は寧々に言ったのである。
壁ドンはなかったが。
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