最後のプレゼント
睦月椋
最後のプレゼント
病室の窓から見える桜の木は、すっかり葉桜になっていた。
「ばあちゃん、今日は調子どう?」
祖母の
「まあまあだねぇ。そろそろ、お迎えが来そうだけどね」
「そんなこと言わないでよ」
優斗は笑ってみせた。でも、本当はわかっていた。
祖母の体は、もうずっと前から弱っていた。
それでも、最期まで気丈な人だった。
「ねえ、優斗」
「ん?」
「タンスの奥に、小さな箱があるんだよ。取ってきてくれるかい?」
祖母は、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「ずっと、渡せなかったものがあるんだよ」
その言葉が、優斗の胸に残った。
***
次の日、優斗は祖母の家に向かった。祖母が暮らしていたのは、昔ながらの木造の家だった。懐かしい畳の匂いがした。タンスの引き出しを開けると、奥に古びた小さな箱があった。
木の蓋には、少し色褪せたリボンが巻かれている。優斗は、それをそっと開けた。中には、小さな手編みの赤い手袋が入っていた。
それと、一通の手紙。震える指で、その手紙を開いた。そこには、祖母の筆跡で、こう書かれていた。
――「これを、あの人に届けてほしい」
***
優斗は、病室の祖母の手を握った。
「ばあちゃん、この手袋、誰に渡すものだったの?」
祖母は、少し遠くを見るようにして言った。
「……昔ね、大切な人がいたんだよ」
初めて聞く話だった。
祖母は、静かに語り始めた。
「若い頃、ひとりの男の人と約束したんだ。『来年の冬も、一緒に手をつないで歩こう』ってね。それで、手袋を編んでたんだけど……」
「……けど?」
「その人は、いなくなっちまったんだよ」
祖母の目が、すこし潤んでいた。
「だから、この手袋はずっと渡せなかったんだね」
祖母は、ふっと笑った。
「バカみたいだろ? もう何十年も前の話なのにさ」
「そんなことないよ」
優斗は、祖母の手をぎゅっと握った。
「俺、その人を探してみるよ」
祖母は驚いた顔をした。
「そんなこと、しなくていいんだよ」
「でも、ばあちゃんがずっと心に残ってたなら、渡してほしかったんじゃない?」
祖母はしばらく黙っていたが、やがて、静かに頷いた。
「……そうだね」
優斗は、その言葉を聞いて、決めた。
この手袋は、ちゃんと届けなきゃいけない。
***
祖母が話してくれた名前を頼りに、優斗は町の古い住民台帳を調べた。何日もかかったが、ようやく手がかりを見つけた。
その人の名前は、
今は、隣町の老人ホームにいるらしい。
***
老人ホームの小さな庭で、山岸隆二は椅子に座っていた。
白髪で、やせた体つきの老人だった。でも、目は優しかった。
優斗は、緊張しながら手袋を差し出した。
「あの……橘千代の孫です」
山岸は、一瞬驚いたような顔をした。そして、手袋を見た途端、ゆっくりと目を細めた。
「……千代ちゃんが、これを?」
優斗は頷いた。
「ずっと、渡せなかったみたいです」
山岸は、震える手で手袋を取った。そして、しばらくそれを見つめていた。
「……覚えてるよ。昔、千代ちゃんと約束したんだ」
山岸は、小さく笑った。
「俺は、馬鹿だったんだよ。あの頃、家の事情で町を出なきゃいけなくて……それっきり、戻れなかった」
山岸は、ゆっくりと手袋を握りしめた。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
その目には、涙が浮かんでいた。
***
病室に戻った優斗は、祖母の手を握った。
「渡してきたよ」
祖母は、少しだけ目を開けた。
「そうかい」
「すごく喜んでたよ」
祖母は、小さく微笑んだ。それは、どこか安心したような笑顔だった。
「……よかった」
その夜、祖母は静かに息を引き取った。まるで、長年の想いを届け終えたかのように。
***
冬のある日、優斗のもとに、小さな荷物が届いた。中を開けると、そこには、あの赤い手袋と手紙が入っていた。
――「千代ちゃんと、もう一度つないだ手。ありがとう」
優斗は、手袋をぎゅっと握った。それは、祖母からの最後のプレゼントのように感じた。
(ばあちゃん、よかったね)
空を見上げると、雪が静かに降っていた。
最後のプレゼント 睦月椋 @seiji_mutsuki
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