恋愛、年齢、うんざりする。

恋愛、年齢、うんざりする。


 チンッ……とベルが鳴る。


「あっ、じゃあ……もしよかったら、あとでまた話そうね。その、連絡先とかも――」


 そう言って『十一番』は胸の前で小さく手を振り、席を立つ。

 わたしは「ああ、はい……」と手を振り返して応えたが、ちゃんと笑えていたか自信がない。

 お相手の男性は次のテーブルへと向かう。

 ないよなァ、と改めて確認して主催者から渡されたカードにバツ印を書く。



 わたしが婚活パーティに参加するようになったのは、今年の三月ごろからだ。

 十月で、わたしは三十五歳になる。

 四捨五入すれば四十歳で、結婚するには微妙な年齢に差し掛かってしまった。

 家庭に落ち着きたい、とは思っていない。

 誰でも聞けばわかるような大手の運送会社に総合営業職で就職して、もう十年以上が経つ。

 出世競争に挑んだといえば、挑んだ。

 女性の社会進出とか、男社会での活躍とか、それっぽい言葉が躍っているけれども……実際は都合よく使い分けられている気がする。

 今年の三月の辞令で、わたしは役職を得られなかった。

 十年もやって役職を得られず、五歳年下の後輩の小娘が『課長職』に昇格となり、上司になった。その瞬間に「あっ……」と悟った。

 これまで頑張って働いてきたけれども、結局はなにも評価されていない。

 大手運送会社の営業職といっても、年収は四五十万円を超えない。

 四年制大学を卒業して、新卒で入社して……もう十年も経った。

 埼玉県の営業所から東京の営業所へ異動となり、そこで順繰りと異動を繰り返して……いまは大手町の本社に勤務している。

 親戚たちは『超大手の本社で活躍する光莉(ひかり)ちゃん。お昼は日比谷か大手町で優雅なランチを食べてるんでしょう?』と誤解する。

 たしかにオフィスは大手町の高層ビルにある。

 そこに通勤するために、区内のワンルーム(狭い、本当に狭い)マンションを借り、月給の半分近くが賃料に消える。大手町のオフィス街はランチも千円を超えるのが当たり前だから、弁当を持参することの方が多い。

 そうやって勤めた十年間が徒労に終わりつつある。

 わたしよりも営業成績の悪い五歳年下の小娘は、部長たちの飲み会やゴルフによく参加し、ことあるごとに「偉くなりたいんです。どうしたらいいですか?」と挙手をする面倒な子だ。

 自分の得になる人と厚く付き合い、わたしのようなライバルになる人間にはひどく冷たい。

 営業成績ではなく『会社への忠誠心』が評価される社風――。

 うんざりする。

 気づけば、わたしも三十五歳になる。

 同期は結婚を期に内勤へ転属したり、退職していく。

 二十代の子たちも結婚し、産休や育休に入っている子も多い。

 例の小娘課長も取締役の一人息子と結婚し、新横浜にマンションを買ったと話していた。


 うんざりする。


 わたしのなにがいけなかったのか。

 ここ一年ほどの間に、感情の起伏が激しくなった気がする。

 ちょっとしたことでいらいらしたり、電子レンジでお弁当を温めているときに涙が流れたり……。まるで母親の更年期を思い出す。

 もう自分も若くない。更年期に片足を突っ込んでいるのだ。

 美容に気を遣う。エステに月に一度は行く。美容院もいいところを選んでいる。

 少ない月給でやりくりして、定額投資にお金をまわして……それでも生活はカツカツだ。友達と旅行に行ったのは、もう何年も前の話だ。

 なんのために生きているのか。

 子どもが欲しい。

 わたしを大切にしてくれる誰かの子どもが欲しい。

 でも、そんな子どもも産めない身体になろうとしている。

 目に見えない性別的な急所を締め付ける綿が、ゆっくりとわたしの人生を締め上げる。

 子孫を残せない人間には、果たして価値があるのだろうか。

 少子化だから。

 でも、結婚して家庭を築いて、子どもを育てている家庭だってある。

 わたしがそこに乗れなかった。乗ることが出来なかった。


「そうなりたくない」


 ぽつりとわたしはつぶやく。

 ぎゅっと拳を握ったせいで、手にしていた婚活パーティのカードに皺が寄った。

 先ほど同席した『十一番』の男性は、四十二歳――。

 最初に大手製造会社の名前を口にしたが、よくよく聞いてみれば孫請けのもっと下で……年収四百万という数字が、わたしの興味を一気に削いだ。

 せめて、わたしの年収四五十万を超える人がいい。

 年齢も四十代は嫌だ。二十代とは言わないけれども、四十代で年収四百万円の人と結婚する気にはなれない。

 こちらは男性の顔や外見を妥協しているのだ。車の有無だって問わない。

 たくさんの事柄を譲れるだけ譲っているのに誰にもたどり着かない。



 恋愛って、こんなに大変なんだっけ。



 幸せそうに結婚式を執り行う会社の後輩の女の子。

 大学時代の同級生と結婚しました。

 会社の同僚と結婚しました。

 元カレと関係を修復して結婚しました。

 それぞれの『結婚しました』がある。

 じゃあ、わたしはどうだ。

 高校二年生の時に、初めて男性と付き合った。

 背の高いサッカー部の子で、その子と初めてキスをした。

 でも毎日のように連絡を取り合うのが億劫で……週末はデートに行かなくちゃいけないという思い込みが、窮屈だった。

 結局……その子とは二か月で『自然消滅』に終わった。

 初体験は大学三年生のとき。

 まわりの子達には彼氏が居て(ああ、あのときも今と同じだ)わたしは出遅れていた。

 男性には『そういうお店』があるけれども、女性向けのお店はほとんどなかった。あったとしても、怖くて利用する気にはなれない。

 わたしは未経験であることが、どこか恥ずかしく感じていた。

 だから飛び込みのような形でサークル活動に参加して、打ち上げのあとにチャラい先輩の家に『お持ち帰り』をされた。

 初めては好きな人と……という少女漫画のような理想は、諦めていた。

 チャラい先輩の家は、洗濯していない衣類の匂いとタバコの匂いに満ちていた。長く窓を開けていない、薄暗くて狭い部屋で「メジャーデビューするのが夢でさ」とエレキギターを自慢げに見せてくれた。そういう才能と実力のある人間は、形ばかりのテニスサークルには参加しないし、あの先輩はすぐにお持ち帰りするから気をつけな、という噂だって流れないはずだ。

 わたしは「電気は消して」と言ったこと。

 嫌なタバコの匂いがしていたこと。

 エレキギターでメジャーデビューすると豪語していたが、彼は絶対にそんなことが出来る男じゃない、と強い確信に近い感想を持ったこと。

 早朝六時台の東武東上線が信号トラブルで遅延したこと。

 少し、朝靄に霧雨が混じっていたこと。

 それが、初体験で得た感想だった。

 彼の男性的な事とか、性的な印象はほとんど思い出せない。

 わたしは男性経験をした、という既成事実だけを得た。警察から感謝状を贈られるみたいに。



 子どもは欲しい。

 でも、本当に好きな人と性的に交わったことがない以上……それらがどういうことなのか、三十五歳になろうとしているのに、わからない。

 王子様なんて探してない。

 ただ、身の丈に合った『お相手』がいればいい。

 そう願ったから『婚活パーティ』に参加した。

 インストールしては削除するマッチングアプリより、確実性が高いと思ったから。



「こんにちは。なんか浮かない顔してるけど、疲れちゃってる?」


 やって来た『十二番』にわたしはハッとした。


「あっ、あの……そんなことないです」


 嫌な思考がぐるぐるとめぐっていたせいか、不意に着席した『お相手』に驚いてしまった。

 そこに座っていたのは同世代の清潔感のある男性だった。

 彼はわたしの胸にある名札をちらと見て。


「高橋さん……。高橋光莉(たかはしひかり)さんか。なんで『ひかり』ってひらがなにしなかったの?」

「えっ……」

「ほら、ひらがなの『ひかり』の方が可愛くない? こういう場だとウケがいいと思うんだけどな」


 彼は気楽な口調で言い、愛嬌のよい笑みを浮かべた。

 わたしが返答しようと言葉を選んでいると「ま、名前に負けず、ご本人のほうが可愛いけどね」と矢継ぎ早に言った。

 彼は自分のプレートを示して。


「小松柚希(こまつ ゆずき)です。もう三十四歳のじじい。気を遣ってるんだけど……若くないよね。自分でわかる」


 彼は自嘲気味に笑うが……わたしは「そんなことないですって!」と本心から否定した。

 口調や表情からはチャラい感じがしているが、今日の出席者のなかではイチバン若く見える。全体的な軽さが『喋りやすい』と思えたし、堅苦しさがなくて居心地がよかった。

 それに『格好いい』ひとだ。


「プロフィール読まれると恥ずかしいから先に言っとくけど、俺、フリーターだから」


 そう宣言されて、わたしは「あっ……」と身を引いた。

 彼の言う通り、手渡されているプロフィール表には『フリーター』とある。

 けれども、わたしはすぐに矛盾点を指摘する。


「でも、年収が三千万円ってなってますけど……」

「自営業なの。実を言うと」

「え……? じゃあ、会社を経営しているんですか?」

「経営ってほどじゃないよ。俺が社長で、スタッフもバイトみたいなのがひとりとかふたり」

「でも、年商で三千万円ってすごいじゃないですか」

「年商じゃなくて年収ね。年商はもっとある」

「ええええっ、それ、すごいっ!」


 すると彼はぐっと身を寄せてきて。


「あのさ、こんなつまらないカネの話じゃなくて、もっとひかりの事を教えてよ」

「そうですよねっ! で、でも、わたしのことって言われても……」


 彼は時計をちらと見る。


「あと七分ぐらいしかないよ。もっとひかりの趣味とか、好きなお酒とか、嫌いな男のタイプとか!」

「ああっ、えっと……」


 わたしは彼に言われるがまま、必死に考える。

 久しぶりにいい異性が目の前に座っている。

 その事実に胸はドキドキした。アタマも煙が出るぐらいフル回転させた。

 なにかを矢継ぎ早に、それも早口で喋った。

 短い時間でアピールしなくちゃいけないと思って必死だった。

 頑張って喋った。いろいろなことを。

 柚希は「しーっ」と自らの唇に指を押し当てて。


「あと三分になっちゃった」

「あ、どうしよう。わたし、なんかいろいろと喋っちゃって――」

「これ、よかったら連絡して」

「えっ。でも、連絡先の交換って会の最後に……」

「いま、いいなって思ったの。頑張るひかりの姿が、すごく好きだなって」


 彼はそう言ってチャットアプリのIDを書いたメモを差し出していた。

 わたしは頬が熱くなるのを感じながら、無意識にそれを受け取っている。

 きょとんとしているわたしに、柚希はにっこりと笑って。


「頑張りすぎ。力を抜きなって。次はもっとラフなひかりと喋りたいな」


 そう言ったとき『――チンッ』とベルが鳴った。

 十二番の小松柚希は「待ってるね」と唇を動かして、席を立ってしまった。

 わたしは「あっ、待って……」と消え入るような声で腰を浮かせたが、その声も、伸ばそうとした手も、彼には届かなかった。

 改めて、次の男性が目の前にやって来たが、ほとんどなにも聞いていなかった。

 プロフィールカードすらめくらなかった。



* *



 わたしが柚希に連絡を取ったのは、会が終わってすぐの事だった。

 柚希は閉会を待たずに帰ってしまったらしく最後の連絡先交換の時間に姿を見せなかった。

 彼とまた話がしたい。

 学生のような高揚を胸に、幾度か書いた文章を何度も読み直して……生唾を飲み込んでメッセージを送信した。

 その返信は十分と経たずに戻ってきて。


『うん、じゃあ来週の土曜日にね。え、いいでしょ、土曜日で?』


 こっちが会えたことのお礼を述べて、楽しかったこと、もっといろいろ話したかったけれども時間がなかったことなどを送った。それに対して、彼は来週の予定を提案してきたのだ。

 わたしは断らなかった。

 また話したい。

 だから、彼と土曜日に会うことにした。



 彼が予約してくれたのは新宿のレストランで、窓から都庁の姿がよく見えた。

 ぐうーっと登っていくエレベーターで柚希のワイシャツからウッディシトラスの香りに気づいた。清潔で上品な香りに、わたしはハッとして彼を見上げる。


「ん、どしたの?」

「あっ、なんでもない……です」


 急に眼があって、エレベーターの(人がたくさんいるなかで)どぎまぎしてしまった。

 彼と半個室のレストランで食事をした。

 小松柚希は群馬県の出身で小学校まで野球をやっていたが中学校からバスケとテニスをやったという。嫌いではなかったが、大学生のときに辞めてしまった。代わりに外国語に目覚め、英語は喋れるようになりたいと思い立ってオーストラリアに留学する。そこでちょっとした中古自動車の販売を手掛ける貿易商みたいなことをやって、大学を一年留年して卒業した。最初は埼玉県の中古自動車店で働いていたが、独立したくなって、二十八歳で独立した。パキスタンやスリランカ向けの中古自動車の輸出業者として頑張って、二十名ほどの会社を切り盛りしていた。そうして一昨年――その会社の権利を大手中古車販売店に売却し、金と時間を手に入れて。


「奥さんを探しているというわけなんだ。出遅れちゃってさ」


 いろいろな言葉のキャッチボールを含めて、四十分ほど……彼と会話をした。

 お酒も入っていたし、小難しい話もあった。

 なのに、わたしは彼の話した内容を繰り返せるほど頭にしっかりと内容を理解している。

 店員が「ラストオーダーです」と言いに来たとき「えっ、もう?」と驚いてしまった。

 それだけ柚希との時間は楽しくて、早いものだった。

 レストランを出て、彼は駅の改札までわたしを送ってくれた。


「また、会ってくれる?」

「も、もちろんです!」


 そんな会話をしながら、わたしは「二軒目に行きたいんです」と言いたかった。

 出来る事なら、彼に抱かれたい。

極めて強く、わたしはそう思った。

 でも、そんなことは口が裂けても言えない。

 わたしは改札を抜けて、彼に振り返って手を振った。



 次に柚希と会ったのは、二週間後の土曜日だった。

 その日も素敵なレストランで食事をした。

 わたしはその日、彼に抱かれた。

 生まれて初めて……異性の力強さに心が満たされた。

 薄暗い部屋で覆いかぶさる彼の体温と体重が、驚くほどに心地よかった。自分でも驚くような声が出たし、体験したことのない万能感とは違う浮遊感のようなものを感じた。


 これが好きな人とのつながり――。


 わたしは彼が好きだ。

 間違いなく、好きになっていた。

 柚希はわたしを大切に扱ってくれて、頑張りすぎだと頭を撫でてくれる。

 それはベッドのなかでも、車のなかでも、彼の部屋のなかでも同じだ。

 ふたりだけの時間になると必ず彼はわたしを認めてくれた。だから、わたしは子どものように、少女のように振舞ってしまう。そんなわたしを柚希は受け入れてくれる。

 柚希との交際は必然のように始まり、半年ほどの時間があっという間に流れた。

 会社での出世欲は完全に失せた。

 あんなつまらない、狭い社会で、雀の涙のような給料をもらうよりも……もっと素晴らしい世界がわたしにはある。

 だから、年下の課長がいくら威張り散らかそうと気にならなかった。

 わたしは柚希と結婚する予感があった。


 違う。


 わたしは柚希と結婚する。

 結婚したい、ではない。

 結婚するのだ。

 彼の子どもを生みたい。

 週に一度、彼と会うのが楽しみで……いつも週末を指折り数えていた。

 喋って、出かけて、食事に行って。

 それだけで楽しかった。

 男女の交わりだって満ち足りていた。

 これまではマッチングサイトや妊活の限界年齢を啓蒙するバナーばかりが流れてきたが……いまは結婚式場やウェディングドレスの宣伝バナーがよく表示される。

 プロポーズしてもらいたい。

 そのためにはどうすればいいのか。

 そうした事ばかりを考えていた――そんなとき。



「あの、高橋さん……」


 声をかけてきたのは、財務部の山口さんだった。

 ずんぐりむっくりでハゲ散らかした五十代のおじさんで……たしか未婚だ。

 彼が営業部のフロアにやってきている事にも違和感があるし、わたしに声をかけてくることにも違和感がある。


「なんでしょうか?」


 経費申請のミスだろうか。

 そう思ったとき、山口さんは申し訳なさそうな……いや、ニヤついた顔でポケットからスマホを取り出して、画面を見せてきた。


「これ、高橋さんじゃないですか?」


 わたしは嫌悪を込めて叫ぼうとした――が、その声をぐっと飲みこまなくてはいけなかった。

 山口を睨む。

 彼が表示させていたのは卑猥なアダルトサイト。

 嫌悪はある。でも、驚愕と混乱の方が上回っている。

 涙が溢れそうになるぐらい、目が熱く、燃えた。


「えっ、なに、これ……」


 それは一時停止された動画――。

 物陰からうかがうような、盗撮されている画角――。

 男女の交わり――。


「これ、高橋さんだと思って。あの、副業は、うちダメなんですよ」


 ニヤつく山口の口元よりも……薄暗い灯に照らされる『わたし自身』の姿に身体が固まる。

 わたしに覆いかぶさる男の顔にはモザイクが入っているのに、わたしの顔にはなにもない。


 声も、音も、遠くなる。


 わたしは喉がからからに乾いているのを感じながら、山口のスマホを受け取る。

 押してはいけない再生ボタンに、指が伸びる。



 息が、詰まった。

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