夢のカギ

夢のカギ



 太田先生は職員室の奥から一本のカギを持ってわたしの元へやって来た。

 古びたドラクエのカギを想像していたわたしは、意外と新しい銀色のカギに「えっ……?」と驚いた。

 かしゃんと椅子を鳴らして腰をおろした太田先生は、少し薄くなり始めた頭髪を擦りながら、忠告するよう言った。


「ちゃんとマスクをつけてな。ドアは新しくしているけど壁とか天井は古いままだと思うから。なんせ、百年ちょっとは手入れされていない可能性があるわけだし」

「どうして旧館は取り壊しにならなかったんですか?」

「さあね。うちの学校は特別ふるい歴史があるだろ? なんとか文化財みたいな、小難しいものに指定されているって話もあるし、そういう関係なんじゃないの?」

「うちの先生なのに、どうして学校の歴史に疎いんですか」

「日本史の歴史を頭に叩き込むだけで、精いっぱいなんだよ。言っとくがな、俺は記憶力が悪いんだ」

「先生が胸張って言わないでください」


 そんなやりとりをして、カギを受け取った。

 思ったよりひんやりとしていて、ちょっとだけ質感が重かった。

 わたしはジッとカギを見つめたまま、喉元にあがってきた言葉を飲み込んだ。

 それを太田先生は感じ取ったのか、「むふぅ……」とため息交じりに息をついてから。


「残念だけどな、ときどきあるんだ。三年生が居なくなっちゃって人が減って……廃部って。でも、歴史は消えない。友永さんが、文芸部の部長として頑張った事は嘘じゃない」

「慰めてくれてるんですか?」

「そう言うな。うちの学校は歴史ある学校だし、文化部の廃部と復活は結構ある」


 鉄道ジオラマ部とかラジオ部、機械工作部にドローン部なども昨年に復活した部活だ。一方で料理部や被服部が廃部になる。その廃部の波に、わたしの文芸部も巻き込まれた。

 ぐっと唇を噛む。


「伝統が途切れるんですよ、わたしのせいで」

「違う。友永さんのせいで途切れるんじゃない。絶対に違う」


 臨時の顧問ということで、名義だけ太田先生になっている文芸部――。

 それなのに、太田先生はこれまでのなよっとした独身中年男とは違う、凛とした声と口調で「違う」と断言した。その強い男性的な口調に、ちょっとだけわたしは胸が震えた。

 どうして違うのか。

 なぜ、わたしのせいじゃないのか。

 その理由を太田先生には続けてほしかったのに、気難しいお父さんみたいにむっつりと口を噤んだまま、わたしを見るばかりだった。

 その緊張と沈黙に耐えきれなくて、わたしは「才能がなかったから」と胸に引っかかっていたことを告げた。


 太田先生の傍らには七冊の部誌――。


 三百冊を印刷して、二百九十冊を捌いた。

 残りの十冊は部で保管する。三冊はわたしと伊藤さんと太田先生で分ける。

 後輩の伊藤さんがご家族の事情で長崎に引っ越す。

 そうならなければ、なんとか今年の廃部は免れたが……誰のせいでもない。

 肥田先輩と福留先輩から託された文芸部のバトンは、わたしの代で潰える。

 部誌に掲載された先輩たちの物語――。

 とてもシャープで、洗練されたふたつの物語。

 わたしだって負けていない。

 外見からは想像できないような力強さのある物語を書くと評判だった。

 伊藤さんだって高校一年生のときとは見違えるようなストーリーラインを作っている。彼女に負けないように頑張ろうと部誌が完成したときは強く思った。

 わたし達は大所帯の文芸部ではなかったけれども、歴史ある学校の一翼を担うにふさわしい文芸部員だった。


 ただ一点……。


 その深みを新入生にわかってもらえなかった。

 今年の新入部員がいない。

 そのうえで伊藤さんの離脱――。

 少子化とか多様化する趣味とか、いろいろと理由はつけられる。

 拭い難い事実として……この部に人がいない。

 学校としては廃部の扱いではあるが、太田先生は「休止だよ。長い歴史で見ればね」と何度も繰り返した。

 廃部しては復活する。

 そうした歴史が、この学校の文芸部にはあった。

 それはわかる。

 わかるけれども……。


「休止って『急死』みたいで、なんか嫌なんです」


 美しい物語を書く部員が四人もいた。


 卒業と転校――。


 誰のせいでもない。

 だからこそ、健康な身体がぱたりと機能を停止して死んでしまうような、そんな気がしていた。

 太田先生は「むぅー」とまた呻いてから。


「部誌、片付けようか」


 そう言って傍らに置いてあった七冊の部誌を小脇に抱えて立ち上がった。


「あの、わたしがひとりで置いて来ますから」

「言ったろ。旧館は危ないんだ。もし友永さんがスッ転んで怪我をしたら、それこそ問題だ」


 少し強引に太田先生は言ってサンダルで歩き出した。

 わたしもそのあとに続く。



 わたし達が勉強している新館は六階建だが、旧館は四階建の校舎だ。昔ながらのエル字校舎で、いまはたくさんの古い資料の保管倉庫みたいに扱われている。

 幽霊がでたとか、外部の悪い人たちが煙草を吸っているとか、いろんな噂が出たりする。

 太田先生のあとに続いて文芸部資料室と銘打たれた一室に入った。


「置いて来るだけだから、時間かからないだろ。その辺にぽんって置きゃあ、それでいいから」


 そう言って部誌を差し出してきた。

 わたしはぎゅっと握ったままのカギを見つめた。


「なにか、資料室にあるんですか?」

「どうして?」

「一緒に来たから」

「床が抜けてケガされたら困るなって」

「そうかな?」

「なんだ。俺が十七歳の小娘を資料室で押し倒すとでも思ってるのか? 大人をナメるなよ。そんな一発アウトなバカな事はしない」


 わたしの胸のなかに漂っていた嫌なもやもやを太田先生は先回りして口にする。この人は文才はないのかもしれないけれども、人の心を察する能力はすごく高い。それなのに、どうして結婚していないのだろうか。


「こんなハゲたぽっちゃり男に好意を寄せる女なんていないだろ。だから、アウトになりそうなことからは距離を置くんだ。弱者男性の生き方ってやつだな」

「わ、わたし……そんなことは思ってません!」

「顔に書いてあったよ。わかるんだよ、男だって。女の子だって胸を見られてるって視線を察する能力があるだろ。それと同じで、わかるもんなんだ。いま、蔑みの目で見られてるって」


 彼はそう言って文芸部資料室のドアを開けた。

 ギギギギ……と重い音が響く。

 室内は暗く、埃っぽかった。

 まるで打ち捨てられた密林の小屋の如く遠くから日光が差し込んでいるが、書籍の樹木によって切れ切れなものだった。そのまばらに散らばった光線に照らされて埃がキラキラと光っている。


「どっか置いておきなさい。埃っぽいから、必ずマスクね」


 はい、とわたしは頷いて七冊の部誌をどこに置こうか視線を巡らせた。

 手ごろな場所はない。

 書籍の上に部誌を置くような恰好になる。

 慎重に置き場所を探っていたとき、ふと『当然の事柄』に気づいた。

 置かれているのは、これまでの部誌であり、部費で出版した単行本だった。

 アマチュアの学生出版かもしれないが、すべての書籍には静かな情熱があった。

 これを書いた人々はどこへ行ってしまったのだろうか。

 部費で単行本を作り、部誌を作る。

 それだけ『物語』を描くことに情熱を持った人々が、これだけ学校には存在していた。

 それを理解したとき、この部の歴史について圧倒された。

 知らない名前もあれば、どこかで見たことがある名前もある。


「……えっ?」


 傍らに部誌を仮置きし、埃の積もったふるい部誌を手に取る。

 二十数年前のものである。

 埃を払って目次を見る。

 三名の部員が書いたと思われる部誌で、純文学寄りの副題がつけられている。

 どれも短編であるが、公募基準を目指した分量があった。

 わたしは最初の違和感を頼りにスカートのポケットからスマホを取り出して検索する。

 ひとりめの検索、ふたりめの検索、そして三人目の検索をしたとき、ウィキペディアが検索に引っかかった。

 現在は人気の児童文学作家として活躍している女性のペンネーム。

 ウィキペディアには学生時代の別名義のものも記載されていて、その名前と部誌の名前が一致していた。

 わたしは思わずハッとして「太田せんせっ!」と廊下に飛び出した。

 しかし、そこに太田先生の姿はなかった。


 廃部と復活を繰り返す、文芸部――。

 長い歴史を持つ文芸部――。


 わたしは『文芸部資料室』の札を見上げて、ごくりと生唾を飲んだ。

 顔も知らない、声も知らない。

 きっと今では名義も変わっている。

 もしかしたら、卒業後には筆を折っている人もいるだろう。

 就職して本を読む時間も、ましてや『書く時間』もなくなったひともいるはずだ。

 女性ならば、結婚して生活が変わり――子どもが生まれたり、見知らぬ旦那の土地で生活しなくてはいけなくなって――物語を書くどころではなくなった人もいる。

 それでも、誰も彼もが『部費』で部誌を作り、単行本を自費出版し、記念碑のように数冊だけを準備室に安置してある。


 ここは古墳だ。

 名前も顔も、業績すらわからない。

 ただ残っているのは時代の流れに炭化しつつある『物語』の名残が、埃に埋もれて日の目を見る時を待っている。


 たくさんの情熱ある『先輩たち』が書き記した、膨大な物語が……この暗がりの資料室には埃と一緒に積まれている。

 わたしは手にしていた二十年前の部誌を開く。

 廊下の壁にしゃがみこんで、それを読んだ。

 いまは児童文学の作家として活躍している作者の、学生名義の作品は面白くてレベルが高かった。

 ただ、もっと驚いたのは……。


「待ってよ……。うそでしょ」


 ぞくっとした。


「ほかの二編の方が、ぜんぜん面白い……」


 プロになった人の作品よりも、無名の学生作家の作品が面白い。

 児童文学の作家として活躍している作者は、学生時代には『誰かの背中を追い続けていた』とでもいうのだろうか。

 また最初から、数行を読む。

 名前も知らない学生作家のふたりは、最初の数行で物語世界を展開してくる。キャラクター提示も早く、謎解き要素が読者をからめとって来る。

 一方で現役の児童文学作家は……展開が遅い。物語の進行も鈍足で、重みだけが文字を通して伝わってくる。


「面白いって、なんだろう」


 手にしていた部誌を元の場所に戻し、別の部誌を手に取る。

 無名の人たちの作品群――。

 面白いものもあれば、面白くないものもあった。

 ただ、間違えてはいけないのは『間違いなく、面白い作品がある』のだ。

 図書館とは違う、無名の流星が煌めく銀河――。

 文芸部資料室がそのような場所だとは想像もしていなかった。

 ポケットからカギを取り出す。


 準備室の、銀のカギ――。


 ジッと見つめて、わたしの最後の一年の活動方針は決まった。



 たったひとりの文芸部――。

 書くこともした。

 けれども、多くの放課後を準備室の資料整理と掃除、そして作品の吟味に費やした。

 プロ作家の学生時代の作品を発掘したり、いまは消えてしまった良作の作者の行方を追ったり……。

 面白いってなんだろう。

 男性向けとか女性向けとか、そういう括りじゃない。

 単純に、面白い、が知りたい。

 そうして、わたしは大学へ進み――電子出版社の編集になった。



 いまも、太田先生のさりげない弱者男性としての気配りが――わたしの未来を示してくれたことに感謝しているし、未だに復活できない母校の文芸部にエールを送り続けている。

 面白い作品とはなんだろう。

 母校のある駅を通勤で通るたびに、いつもそう思い返す。

 財布にひっそりとしまってある準備室のカギ――。



 わたしは、いまもコトバの砂漠を彷徨っている――。

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