一夏の錯誤
一夏の錯誤
僕が由奈(ゆな)と出会ったのは、間違いなく偶然だった。
毎年、車の塗装屋が海の家を出す。その設営のバイトに僕は出かけた。
梅雨の中休みで、馬鹿みたいに暑い日だった。
波はまだ高かったけれども、潮風は夏の匂いを含んでいてクーラーボックスに詰めたスポーツ飲料は、午前中のうちにみんなで飲み切ってしまった。
今年も日暮れ浜海岸には十五軒ほどの海の家が並ぶ。
どこもかしこも人を雇ってトントントンと釘を打つ音が響いていた。
午後四時ごろまでを予定していたバイトは、午後二時には終わった。
毎年の事だから、みんな勝手を知っていて時間よりも早く終わったのだ。
日当をもらって帰ろうとしたとき、大粒の雨が降り出した。
バス停を目指して歩いていた僕は、そのまま停留所へと駈け込んだ。
一時間に一本しかこないバス。しかも今日は休日なので、さらに本数は減っている。
暑さのせいか、高齢者の姿も少なかった。
日に焼けた透明なルーフに大粒の雨がうちつけている。
椅子に座ってバスを待っていると浅黒い肌の男が「ひー、ひー」とずぶ濡れになって現れた。
彼は大きな目で僕を見てから。
「あんたは日本人?」
「え、いや、まあ……」
「なら、ミスティック・ライブ知ってるよね?」
「えっ、なに……? し、知りませんよ」
急に声をかけてきた東南アジア系の外国人に、僕は眉を寄せる。
どこかの農家か建設会社が世話している実習生と思われた。
外国人は少し距離を開けたところにしゃがみこみ、煙草に火をつけた。
「あなたは嘘つき。日本人のふりをする外国人だ」
「いや、日本人ですって」
「あなたが本当に日本人なら、ミスティック・ライブ知ってる。日本人はみんな知ってる」
片言の日本語に聞こえたが、どこか流暢な響きがある。
彼はふぅーっと長く息を吐いてから。
「うそつきね、あなた」
彼はそう言って煙草の煙を長く吐き出し、大粒の雨を見上げた。
横顔から、タイかベトナムからの実習生と思われたが……なんとも失礼な男だ。
ジッと僕が横顔を見ていたせいか、彼は短くなった煙草を雨脚の強い道路にぽいと放ってから「うそをつくな!」と強く怒鳴って、再び雨のなかに駆け出して行った。
「な、なんなんだよ……、まったく」
妙な気分になったまま、僕は手元のスマホに視線を戻した。
すると水気を含んだ別の足音がやって来た。
「ひゃー、降られちゃった!」
雨でびっしょりと濡れた背の高い女の子は、僕を見るなり「すごい雨ですよね」と眉を寄せて同意を求めてきた。
「えっ、ああ……」
僕はうまく答えられなかった。
長い髪から滴る雨をぎゅっと絞るように握った彼女は「ふぅー、ひっどい雨ぇ」と肩越しに海を眺めた。
その紅潮した横顔に、僕はハッと息をのんだ。
面長の顔ではあったが、雨に濡れた肌は瑞々しく見えたし、長い髪は黒真珠のような艶やかさがあった。どこかの高校のジャージを着ているが、それでもシャープな体躯がくっきりと浮かんでいる。
横顔も、跳ねた襟足も、ちらりと見えるうなじも、すべてが僕を挑発するような魅力に満ちていた。すらりと痩せていて、けれども女性的な丸みがしっかりとある女の子である。
健康的な赤みと丸み、それでいてしっとりとした質感が全身から漂っている。
それは雨のせいだったかもしれないが、境界はあいまいで判別なんてつかなかった。
ぼんやりと女の子を見ているとバスがやって来た。
僕らは並び立ってバスへ乗り込んだ。
閑散としたバスの後部座席の近くで彼女は「海の家でバイト?」と肩越しに振り返って来た。
「えっ、ああ、……そうなんだ」
「わたし、谷田由奈(たにだ ゆな)って言うの。たぶん、海沿いの子だよね。わたし、山の方だから」
「そのジャージも学校の?」
「ああ、そう。ちょっとハズいよね。こんな格好って」
「そ、そんなことない。その、なんだろう、似合ってる」
顔を背けながら言ったものだから、由奈はぷぷっと笑って「なんか慣れてないなー、キミ」とからかって来た。
僕らはバスの終点まで一緒に行き、彼女は山へ、僕は海沿いへと別れようとした。
そこで由奈は「連絡先交換しようよ」とスマホを示してきた。
えっ、と驚いたが、断る理由はなかった。
話していて楽しかったし、なによりまた会える機会があると嬉しいと思っていたから。
町はずれの停留所で僕らは連絡先を交換して、別れた。
その日から、それとなくやり取りが始まった。
彼女は谷田建機という会社の子で、山間の高校に通っていること。
谷田建機も海の家を出していること。
この夏は彼氏が欲しいと思っていることなどを教えてくれた。
僕も似たような質問に対する返答をした。
梅雨が明けて、期末テストが終わって、僕らは再び会うようになった。
学校の周りではなく、街まで出て遊んだ。
買い物をしたり、映画を見たり、食事をしたり。
あまりお金のない学生が、お金がないなりに楽しむようなコースをめぐった。
平日はスマホで、週末は街で、僕らは遊んだ。
彼女は明るくて溌溂で、ちょっと乱雑な部分もあるけれども……僕は運命を確信するほど、彼女の事が好きになっていた。
クラスメイトの女の子と話しているのとは、反応が違う。
彼女は少なくとも僕を好いてくれている。そうじゃなかったら、毎週末にこうして遊んだりはしないはずだ――!!!
そうした手ごたえを持ったまま、夏休みに入った。
海の家のバイトを断って、僕は由奈と街へ行き、告白した。
由奈は「やっとか。待ってたぞ」と額をこづいてきて、ぎゅっと抱きしめてくれた。
暑い夏に、彼女の首からふんわりと柑橘系の香水の匂いがした。
生まれて初めて、女の子と付き合うことになった。
その年の夏は、いつもの夏とは違う方向に進んでいた。
海の家でのバイトもほとんど休んだ。
由奈と一緒に街へ行き、図書館へ行き、映画館へ行き、宿題や話題の映画を見て時間を過ごした。彼女の手が柔らかいことや笑ったときの顔がすごく可愛いことや、喋るときに「それでね」と必ず前置きをするところが、愛おしかった。
そろそろキスをしてもいいのかな、と迷い始めたころ……お盆休みが始まった。
由奈は家族と一緒に鹿児島へ行くと言った。
「お盆が明けたら、また遊ぼうよ」
そう約束して、僕らは別れた。
けれども、彼女はお盆が明けても戻ってこなかった。
* *
死んだとか、事故にあったとか、そういうわけではない。
彼女ら一家は夏の間は鹿児島に残るかもしれないとスマホに連絡が入った。
家庭の都合ということだ。
寂しいと思いつつも、毎日のように連絡を取り続けた。
九月になれば、また日常が戻って来る。
そう思っていた。
けれども、彼女は九月になっても戻ってこなかった。
スマホに連絡は入って来る。
毎日、他愛ないやり取りは続いている。
しかし、彼女は「困ったことになったの」と助けを求めてくるようになった。
僕は当然のことながら「どうしたの?」と聞き返す。
話によれば、彼女のお父さんが鹿児島でケガをして、入院しているという。本当なら由奈は学校に戻りたいのだが、どうにも戻るための旅費を親が出してくれない。
「だから、新幹線代がなくて家に戻れないの……」
そんなバカな話があるものか、と僕は憤った。
「新幹線代ぐらい、僕が出すから戻っておいでよ」
そう言って僕は彼女が言う金額を電子マネーで送金した。
それから二日後に「戻って来たよ!」と言う写真付きの連絡が来た。
僕はホッと胸を撫でおろしたが、すぐにまた「助けてほしいの」と相談を持ち掛けられた。
両親の反対を押し切って戻って来たが、料理をするにも洗濯をするにも、生活雑費が足りないというのだ。食料品を買ったり、調味料をそろえたり、洗剤を買ったり、洗濯ばさみを買ったり……そうした費用がないというのだ。
「どういうこと……?」
「お父さんもお母さんも、わたしがこっちに戻るの反対だったから……」
「わかったから、いくらぐらい必要なの?」
彼女は金額を送って来た。
それは新幹線代と同じぐらいの金額だったが、僕のお財布で払えない金額ではなかった。
また、僕は電子マネーでそれを支払った。
そうして九月、十月と過ぎていき、僕の預金通帳の残高はあっという間に底をついた。
お盆前以来……由奈とは会えていない。
半ば、僕は諦めていた。
なにか騙されてしまったのだろうという予感さえあった。
だから十月の下旬に、学校の先輩にこれまでの経緯を説明した。
「んあっ……? おまえ、だいじょうぶか?」
「大丈夫じゃないです。もう、騙されましたから」
「違うよ。目を覚ませよ」
「えっ……?」
ぱしぱしと頬を叩かれて、ハッと我に返る。
先輩は困ったように「ちゃんと見ろよ、ほら」と僕のスマホを示した。
「おまえさ、そんな女の子と会ってたなんて、妄想だろ。おまえが惚れこんでるのは、このVtuberじゃないの? めっちゃスパチャ投げてるじゃん」
「……えっ?」
「そもそもさ、谷田建機なんてないし、海の家も出てないしさ。俺らの地域に高校がふたつもあるわけねえじゃん」
僕は震えた。
「う、うそだよ……」
画面を見る。
元気いっぱいに画面のなかで踊っているVtuberは、名前こそ由奈ではないが……その相貌は彼女にそっくりだった。
彼女のチャンネルに登録した日も、支払ったスパチャの金額も、送ったメッセージの内容も、すべて履歴で残っている。
「僕が、送ってる……? 自分で……?」
「どうしちまったんだよ、おまえ。好きすぎて、現実で彼女に出来るとでも錯覚したのか? それ、やべーぞ」
先輩の呆れた顔よりも、画面のなかで「だいすきだよー!!!」と喋っているVtuberの横顔が、由奈と重なった。
僕は「うそだ、うそだ、うそだよ!」と頭を振りながら、画面の向こうに存在し続けている彼女を見るたびに、スパチャを送り続けてしまう。
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