第63回 足柄山には大きな熊が住んでおり
佐々木キャロット
足柄山には大きな熊が住んでおり
むかしむかし、足柄山(現在の神奈川・静岡県境に位置する足柄峠を中心とする山地)にはそれはそれは大きな熊が住んでいた。八尺(約二・四メートル)ばかりもあるその巨体は黒々とした毛に覆われており、胸元には白い三日月紋がくっきりと入っていた。
その大熊は他の動物たちから「大将」と呼ばれ、恐れられていた。大将は数匹の子分を引き連れ、自分の領地であると言わんばかりに足柄山を闊歩した。気に入らない動物がいれば大口を開けて威嚇し、木の実や果物を奪った。野兎や栗鼠のような小さな動物たちは大将から隠れるように細々と暮らしていた。
ある日、大将たちが山の中を歩いていると、大きな橅(ブナ)の樹を見つけた。その樹にはたくさんのどんぐりが実っていた。大将は喜んでその樹に近づいた。
しかし、その樹には先客がいた。たくさんの栗鼠たち、そして人間の子供がいた。真っ赤な腹掛けを身に着けた十あまりの小僧が、その背丈と変わらぬ程の大きな鉞(まさかり)の背で、どおんどおんと樹を叩いいた。
「お前ら‼何をしているんだ‼」
大将は怒り狂って大声を上げた。途端、栗鼠たちは飛び上がって逃げ惑い、辺りの樹の上へと散り散りに隠れた。大将の前には小僧が一人残された。
「大声を出すな。みんなが逃げてしまった」
小僧は大将の方を向くと、怖がる様もなく平然と言った。
「うるさい‼小僧、今、何をしていた‼」
「栗鼠たちのために、樹を揺らして、どんぐりを採っていたのだ」
「駄目だ‼この橅の樹は俺様のものだ‼採ったどんぐりを返せ‼」
「「そーだそーだ」」
大将の言葉に続いて子分たちが捲し立てる。
「どうしてお前のものなのだ。山の樹はみんなのものだろう。分け合えばよい」
「違う‼この山は俺様の縄張りだ‼だから、俺様の縄張りにあるこの樹も俺様のものだ‼俺様のどんぐりを返せ‼」
「訳が分からぬ。どうしてお前の縄張りなのだ?」
「俺様がこの足柄山で一番強いからだ‼」
「一番強いと?」
「そうだ‼身体が大きく、力も強い‼俺様がぶつかれば大木は折れ、大岩も砕ける‼俺様がこの足柄山で一番強いのだ‼」
大将は両手を広げて立ち上がった。それはまるで黒い壁のようである。小僧とは一回りも二回りも大きさが違う。大将は口をがばりと開け、その鋭い牙を小僧に見せつけた。
しかし、小僧は怯むこともなくこう言ってのけた。
「ならば、わしと相撲で戦い、勝った方の言葉に従うというのはどうだろう?」
一瞬、小僧が何を言い出したのか、大将もその子分も理解できなかった。しかし、「がはははは」と、すぐに辺りは彼らの笑い声に包まれた。
「俺様と相撲の勝負?お前が?こんなに小さなお前が?人間であるお前が?笑わせてくれる‼小僧、勝てると思っているのか?」
「もちろんだとも。勝てぬと思うて戦う者はおらん」
「がはははは‼いいだろう‼その勝負、受けてやろう‼」
「では、明日、この橅の樹の前で行おう」
「ふん‼俺様が勝ったら、お前を俺様の子分としてこき使ってやろう‼楽しみだなあ‼」
大将はもう一度「がはははは」と大きく笑い、子分たちを引き連れその場を後にした。
次の日、橅の樹の周りには噂を聞きつけた山中の動物たちが集まっていた。大将は樹の前に作られた土俵の真ん中を陣取り、小僧が来るのを今か今かと待っていた。
「ふん。あの小僧、逃げたんじゃないだろうな」
日がてっぺんに昇った頃、小僧が姿を現した。
「よく来たな。もう来ないかと思ったぞ」
「わしは逃げも隠れもせん」
小僧は大将の待つ土俵へと上がった。
「大将殿と小僧の勝負。負けた方が勝った方の言葉に従う約束で間違いござらんな」
「おう」
「うむ」
行司役の猿が確認を取る。
「では、両者、見合って見合って……はっけよーい……のこった‼」
開始の合図と共に二人が組み合う。
大将は小僧の褌を掴み、力いっぱい持ち上げようとした。しかし、小僧の身体が持ち上がることは無かった。小僧の小さな身体からは想像もできない程の重みが大将の腕にかかっている。
「うぐぐぐぐぐ」
大将の唸り声が漏れ出した。動かない二人を見て、周りの動物たちも何が起きているのかとざわつき始めた。
大将がいくら腕に力を込めても小僧の身体は持ち上がらない。まるで、地中深くにまで根を張った大木を相手にしているようだった。
大将が攻めあぐねていた、その時、
「よっこらせっ」
という掛け声とともに、小僧が大将の巨体を持ち上げた。上体を反らすようにして大将の身体を抱え込む。大将の足は地を離れ、ぶらぶらと空を切った。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
暴れる大将をしっかりと掴み、小僧はそのまま土俵際まで歩き、
「えいやっ」
とその巨体を投げ飛ばした。大将の身体は橅の樹へとぶつかり、ばらばらとどんぐりの雨を降らせた。
「……しょ、勝者、人間の小僧‼」
静まり返った空気の中、行事が宣言をすると、動物たちはいっせいに歓声を上げた。動物たちは小僧を囲み、口々に褒め称えた。
そんな小僧の元へ、子分たちに支えられた大将がのそりのそりと近づいた。
「小僧、俺様のまけだ。漢に二言はねぇ。お前の言うことを聞いてやる。さあ、言え」
大将はその巨体を小さく丸め、悔しそうに小僧へと頭を下げた。
「ならば、これからは他の動物たちを脅かすような真似はせず、仲良く食べ物を分け合いなさい」
小僧は大将を見つめて言った。大将はきょとんと、小僧の顔を見つめ返した。
「……それだけでいいのか?」
「ああ、わしにそれ以上望むことはない」
「わかった。これからは心を入れ替え、威張らず、他の動物たちと仲良く過ごすと誓おう」
それからというもの、相撲を取ったり、木の実を集めたり、小僧と山の動物たちは仲良く遊んで暮らすようになったとさ。
小僧の名は「金太郎」。山姥と赤竜の子。
その後、彼が偶然通りかかった侍 源頼光にその力量を見出され、京へと上り、頼光四天王の一人として、酒呑童子や茨木童子、土蜘蛛など、名立たる妖怪共を退治していったのは、また別のお話で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます