接吻

第13話

ライブが終わり、荷物を片付けた私は、関係者各位に挨拶を済ませ、エレベーターを待っていた。すると、本日の観客と思しき女性が近づいて来て、こう言った。

「あなたの歌に癒されました。私、失恋したばかりで…あなたの声が、言葉が、私の心を激しく揺さぶりました…」

私はこんなことを言われたのは初めてだったし、永年理解者に飢え苦しんでいた為、彼女の憂いに潤んだ瞳に誘われるまま、彼女を抱きしめ、接吻した。

彼女の体はレモンケーキのように柔らかく、彼女の舌は(それほど深く入れた訳ではないが)、春の陽差しのようにあたたかかった。


人の気配がした為、私は絡み合う蔦(つた)をほどき、「じゃあ、また」と言って会場を後にした。

ライブの後で疲れているということもあったが、所持金が千円を切ってしまっているという、専ら経済的理由によって、また、初対面の彼女に金を借りて事を続行するというのも、なんだかきまりが悪い気がしたのである。

「まぁ、またチャンスはあるだろう…」そんなことをぼんやり考えつつ、私は池沿いの道を歩いた。

本日のライブ会場はこの池のほとりにあり、そのちょうど反対側に、私が起居する庵(いおり)があるのである。

私はそこで原始生活をしている。


ふと気がつくと、一艘のボートが浮かんでいる。乗っているのはどうも若い男女のようで、ボートは規則的かつ人為的なリズムを打ち出し、揺れている。「はっ、破廉恥な」と10分前の自らの行動を完全に棚上げし、訝っていると、どうやらボートはこちらへ近付いてくるようである。

覆い被さる男の陰に垣間見えた女の顔を見て、私は目を疑った。さっきの彼女ではないか!

「わちゃあ」と驚愕と嘆息の入り交じった音声を発しつつ、しかし「彼女もまぁ色々あって淋しかったのかも知れんなぁ」という思いも一方で芽生え、最早眼下にボートが漂着しているにも拘わらず、一向に私の存在に気付かない彼女たちの耳元で、私はこう囁いた。

「気にしなくていいからね、気にしなくていいからね」

あまりの彼女の驚愕ぶりに、私と彼女との関係が単なる知人以上のものであると察したのか、彼は

「いやっ、ちっ、違うんです、僕は、かっ、彼女とは幼なじみで、今日何年か振りに会って、そっ、それで…」

弁解に詰まる彼に割って入るように、彼女は言った。

「ウッ、ウチダさんこそ、こんなところでどうしたんですか!?」

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