【じゃれ本】文題『ちぎり』

亥之子餅。

1/8(執筆者:金柑)

 事の発端は、とある郵便だった。


 かたん。

 何かが投函された音がして郵便受けを見に行くと、そこには一通の手紙が入っていた。一昔前の百均でしか見たことが無いようなクマやらウサギやらのあしらわれたあまりにもかわいすぎる封筒には、差出人はおろか宛先すら書いていない。こんな手紙を送ってくるような知り合いは一般成人男性である俊には思い当たらず、奥のリビングにいる三か月前から同棲を始めた彼女に声を掛けた。


「こんな郵便が届いたんだけど、心当たりある?」


 ん、と顔を上げた彼女——亜希は、手紙を見て首をかしげる。


「なかなかファンシーねえ……引っ越してからそんなに経ってないから誰かが間違えたんじゃないかしら」

「亜希も知らないのか。せめて宛先でも書いておいてくれたら良かったんだけど」

「中を見たらわかるんじゃないの? 読んでみようよ」

「僕たちに宛てられたものじゃないかもしれないのに?」

「それを確認するだけよ。もし私たち宛てなら読むべきだし、そうじゃなかったら中に戻せばいいじゃない。どうせ封はされてないんだからさ」


 確かに封はされておらず、すぐ便箋にたどり着きそうである。好奇心旺盛な亜希に半ば押し切られるようにして俊は便箋を取り出した。

 封筒と揃いのかわいらしい便箋を二人でのぞき込むと、そこにはこうあった。


  はじめまして。

  ぼくはわけあってとおくに行けません。

  ぼくのかわりにくろたまごを食べてきてくれませんか。

  おへんじまっています。


 小学生のような字で書かれた短い手紙は、俊と亜希の首をさらに傾げさせる。


「くろたまご、かぁ……」


 いやいやそれより先に気になることがあるだろう、と内心で亜希にツッコミを入れつつ、結局宛先が自分たちなのかそうでないのかわからないままの「ぼく」からの手紙を俊は数回目で読んだ。差出人は、遠くに行けない事情がある、子どものような字を書く誰か。彼は何かの目的で受取人にくろたまごを食べてきてほしいらしいが、土産ではなく「かわりに」というのがどうも気になる。お返事を待たれたって、郵便受けでしかも一方的にしかコミュニケーションを取ったことがない相手にどうやって?

 人差し指で俊の眉間に寄った皺を伸ばしながら亜希が言う。


「ねぇ、箱根に行ってみない?」

「箱根?」

「そう、箱根。箱根温泉のあたりの名物に黒たまごってあったよね。この人がどうして遠くに行けないのか、なんで黒たまごを食べたいのか、何もわかんないけど箱根でくろたまごを食べてくることが私たちの使命な気がする」

「使命ってそんな……誰かもわからない人からの願いをそうやって簡単に聞くのは危ないんじゃないか」

「確かに誰かわからないけど向こうだってこっちの素性はわかってないんじゃないかな。怖くなったら返事をしないって手もあるし、もしかしたら人助けになるかも、くらいの軽い気持ちでどう? ほら、久しぶりの旅行の機会をもらったと思えばさ」


 旅行と言われると弱い。引っ越しに伴う生活の変化にバタバタしていたらあっという間に六月を迎えていた。俊だって旅行には行きたい。またしても亜希の勢いに乗せられる形で箱根行きを決め、二人で共有しているカレンダーアプリで日程を決める。


 「せっかく行くなら温泉も楽しみたいし!」とわくわくした様子でパソコンを立ち上げる亜希を眺めながら、亜希のこんな顔は久々に見たな、などとぼんやり考える。二人とも仕事が忙しく会う時間を十分に取れないことを鑑みて亜希の去年の誕生日に提案した同棲は、俊にとっては少なくとも大成功である。


「ねえこの旅館良くない?」


 という亜希の言葉で我に返り、亜希の見せてくれた画面で一緒になって検討する。


 これが、少年と俊たち二人をめぐる奇妙な旅の始まりだった。



<続>

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