箱被りの大魔法使い
鈍野世海
1章
第1話
事業所名、テンガイ研究所。
仕事内容、清掃、書類整理等。
就業時間、九時~十八時。原則残業無。土日祝休。
基本給、金貨四〇枚/月(初月のみ試用期間とし金貨三五枚)。
募集条件、出来うる限り魔法が不得手であること。
「こちらが弊校がツヴィさんにご紹介できる、最初で最後、唯一の求人となります。いかがでしょうか」
庶務資格学校の進路相談室の一角で、クラネ・ツヴィは職員と対面していた。三月の末、窓辺からは春らしい穏やかな夕陽が差し込み、二人をやわらかく照らしている。
進路相談室には半個室が三つ横並んでいるが、この窓際の空間以外使用されている気配はなく、しんとしていた。それも当然だ、庶務資格試験合格者への就職先斡旋期間は今日が最終日。ほとんどの生徒はとうに進路を決めている。
この学校でできたクラネの友人なんかは非常に優秀で、斡旋期間初日の時点で両手で足りない数の事業所を職員から紹介され、あっという間に第一志望への就職を決めた。対してクラネが職員から声を掛けられたのは今日がはじめてだ。
「ずいぶんと、条件がいいですね……それで、えっと」
職員がクラネの前に差し出した、最初で最後にして唯一の求人票。その中で、いっとう異彩を放っている文言。
見間違いかと思って何度瞬いても、目を擦ってみても、どう見ても、やっぱり——募集条件には「出来うる限り魔法が不得手であること」と記されている。
「これは、誤記でしょうか?」
うっかり不要な〝不〟を入れてしまったのか、と思った。
「いいえ」
職員は生真面目な表情のまま、流麗に答えた。
「こちらの研究所は過去にも何度か我が校へ求人を出されていますが、いずれも同じ条件を提示されていました。珍しい条件なので不安に思われるかもしれませんが、事業主様も就労環境も真っ当ですのでご安心ください」
別段不安は抱いていなかったが、魔法主義——魔法を巧みに扱える者ほど尊ばれるこの世の中でずいぶんと奇特なものだとは思った。
人は皆、生まれながらにして魔核を持っている。魔核とは魔力生成の礎となるもので普段は目にすることはできないが、大抵の教育機関では初等部のうちに魔核表現魔法の授業が行われ、大抵の人間はそこでを自身の魔核の幻想を生み出す術を身に着けている。
魔核の色形は人によって様々だが、いずれも魔法を極めるほどに強い輝き放つようになり、中でも覚醒を経たものの美しさはどんな宝石にも勝るという。
魔法主義のこの世の中において魔核の輝きは重要なステータスとされ、それをもとに人類はおおざっぱに四つに区分される。
魔法を極めに極め魔核覚醒を経た者は、大魔法使い。
覚醒には及ばずともある程度の輝度を持つ者は、魔法使い。
それ以外は凡人。
そして——魔核表現すらできない程度の者を非才と呼ぶ。
魔核の素質は多少は後天的に伸ばすことはできても基本的には先天的に定まるものらしく、どうしたって魔法が不得手なまま成長しない者も少なからずいる。クラネもそのひとりだ。普通学校の初等部に通っていた頃から十六歳になった今に至るまで、魔核表現どころか、一切の魔法が使えた試しがない非才だった。
まともな国でまともな職に就こうと思うと凡人以上の能力が要求され、面接では間違いなく「あなたの魔核を見せてください」と言われるし「出せません」と答えた瞬間に瞬間に門扉は閉ざされる。
そんな中、ここアムレス王国は「才に問わず人々の尊厳は平等であるべきだ」という主張を掲げ、魔法が不得手な者でも仕事に就き生活ができるようにと救済措置的機関を設けた。それが、庶務資格学校だ。
毎年四月に開講される一年制で、魔法を使える人員をできれば割きたくないような庶事……例えば事務、整理、経理、清掃などについてを学んでいく。そして、翌年一月に実施される庶務資格試験に合格するとその名の通り庶務資格、平たく言えば雑用のスペシャリストの称号が得られる。そしてそれは再び春が訪れようという時期に、学校から主に庶務員としての就職先を紹介してもらうための資格にもなる。
が、あくまで資格。必ず斡旋してもらえるわけではない。
国が才に問わない尊厳平等を掲げたところで、効率を上げ利益を出さねばならない企業はやはり強力かつ業務に適した魔法が使える人材を望む。それでも細々とした雑務に手が回らず困り、猫の手も借りたいというところが庶務資格学校に求人を出すが、給料を出すのならば少しでも使える猫を雇いたいから、選別の目は当然厳しくなる。そして庶務資格学校も企業からの信頼を損なうわけにはいかないため、より彼らの希望に沿った人材を推薦しなくてはならない。
だから、なんとか庶務資格を得られたものの、学校や試験での成績が特別良かったわけでもなければ非才中の非才であるクラネに声がかからないのは仕方がないと思っていた。
なのに、斡旋期間最終日についに求人を紹介してもらえるなんて。しかも募集条件が、出来うる限り魔法が不得手であることだなんて。その条件をクラネ以上に満たせる人材はこの学校にきっと他にいない。
「初めて聞く研究所なのですが、なんの研究をされているところなんでしょうか?」
「魔法にまつわるあらゆる研究を実施されていますが、特に力を入れているのは魔法道具の研究・開発ですね」
「魔法道具!」
クラネは思わず立ち上がり、身を乗り出した。椅子ががたりと音を立て、胸がとくりと高鳴り、頬がほっと火照った。
「ツヴィさん」
「あっ、すみません。つい、嬉しくて……」
一声で窘められ身を引き椅子に座り直すも、クラネの興奮は簡単には収まらなかった——でも、だって。
「……前々から、魔法道具を作られている方に憧れていたんです。あ、憧れっていうのは、自分も作れるようになりたいとかそういう烏滸がましいものではなくて。尊敬とか、感謝とか、そういうので」
魔法道具は魔力をエネルギーとして動く道具だが、魔力を凝縮した魔石さえあれば非才でも扱うことが出来る。そして、クラネはこれまでに二度、魔法道具に命を救われていた。
「僕は魔法道具をきっかけに、世界や他人のための頑張っている、良い方の力になりたいと思って。この学校に入ったので」
「入学時の願書や、斡旋用経歴書の志望動機にもそう記されていましたね」
「はい! それにアムレス王国に来てからは、僕みたいな非才でも扱いやすい、魔石の消費量も少なく、使い方も分かりやすい魔法道具が流通していて。本当に助かってるんです。それでいっそう、魔法道具を作られている方は他人思いですごいな、かっこいいなと思っていたので。だから……すごく、嬉しくて。あの、紹介して下さってありがとうございます!」
思い切り頭を下げると、額が机にぶつかって痛かった。また呆れた声で「ツヴィさん」と呼ばれる。顔を上げると、夕陽に照らされた職員の表情はわずかに柔らかくなっているような、気がした。
「昼頃に先方から駆け込みの求人相談があり、それが偶然にもツヴィさんに適していた、というだけです。それで……こちらの求人に応募なさる、ということで問題ないですか?」
最初で最後にして唯一紹介された求人だ、最初からは答えは決まっていたが。
「はい! ぜひ、お願いします!」
クラネの意欲はそれはもう滾っていた。どうにか雇用してもらいたい、面接ではいったいどんなことが聞かれるのだろうか、魔核を出してください、の定型句は言われなさそうだ……逆に非才であるアピールを求められるのだろうか? どうアピールすればいいのだろう——。
「それでは早速ですが、明日より出勤いただくことは可能でしょうか」
「はい! ……ん? 面接ではなく出勤、ですか?」
「こちらの事業所では面接は実施しておりません。ツヴィさんに関する書類はすでに事業主様に送付済みで、貴方が承諾すれば即採用というお話になっています」
クラネはぱちくりと瞬いた。
駆け込みの求人依頼。
募集条件は、出来うる限り魔法が不得手であること。
面接なしで、即採用。
「ご安心ください、事業主様も就労環境も真っ当ですから」
急にモルモットでも必要になったのかな——そう思ったクラネの心を読んだように、職員は二度目の保証を口にした。変わらず不安に思ってはいなかったけれど、栄えている国の国立学校職員がここまで主張するのならばまっとうなんだろう。多分、きっと。
「足を運んでいただくのが……少々、難しい方なんです。お忙しい方なので」
「そうなんですね」
「内定者向け面談もないため、通行蝶も明日、事業所で発行していただく形となります。通行蝶についてはご存じでしょうか? 通行蝶の所有者、今回の場合ですと、事業主様ですね。その方の魔石のみを原動力とし、所有者が認めた利用者の魔核と特定の二地点の座標を登録すると、その区間を瞬間移動できるようになる、という魔法道具です」
「存じていますが……通行蝶が必要になるような遠い場所にあるんですか? 街外れとか?」
「街外れ、といえば、街外れですね」
含みのある物言いに、クラネはきょとりと首を傾げる。ふと、職員の顔が窓の方へと向いた。夕日は先よりもわずかに傾き、今日の有終を飾るように、橙の眩い光を放っている。
「空の果てとまではいきませんが、空に近いところにあるんです。だから、テンガイ研究所というんですよ」
そして職員は窓の外を指さした。
「あれが見えますか?」
「あれ?」
彼女の指はどう見ても街よりもさらに向こうを指していた。だが、そこには大きく聳える北アムレス山しか見当たらない。クラネの目はそこまで悪くはないはずなのだが。
「すみません、山しか見えないです」
「ええ、山です」
「え?」
「あの山の八合目に、テンガイ研究所はあります。ツヴィさんの最寄り駅から北アムレス山駅まで、一時間。山の麓から無人ロープウェイを使って中腹に着くまで、十五分。そこから八合目までが一時間半ほどの道のりとなっております」
クラネは職員を、それからもう一度山の方へと目を向けた——なるほど。それは、たしかに。
「自力で通勤するのは少し大変そうですね」
「本来は初日から通行蝶があったほうが良いかとは思うのですが、さっきお話しした通りですので。明日だけは自力で出勤いただけたらと思います。それから、路面電車の始発が七時なのでどうしても就業時間には間に合わないので」
「はっ、たしかに、そうですね? 北アムレス山駅まで徒歩だとどれくらいでしょう」
「……想像するだけ億劫になることを仰らないでください。徒歩で向かう必要はございませんよ。先方都合によるものなので、初日の出勤が遅れることは事前に承諾いただいていますから。安心して路面電車をご利用ください」
なるほどなるほど、それはなんとも親切で、安心だ。
他にもいくつかの説明を受け、事業所への地図と採用に関する書類を貰うと、最初で最後の進路面談は終了した。
「——ところで」
別れ際、職員はクラネに尋ねてきた。
「非才でも扱いやすい、魔石の消費量も少なく、使い方も分かりやすい魔法道具。まるで、特定のなにかを思い浮かべているように熱心に語られていましたが。ツヴィさんは好きな魔法道具ブランドがあるんですか」
「好きな魔法道具ブランド、ですか」
「ちょっとした雑談です。もちろんクラネ様の採用先にはお伝えしないので、気軽にお答えください」
淡々とした仕事人然としている職員から雑談を振られたことに、少し意外に思いながらも、クラネは答えた。
「僕はマシフォフ・カンパニーが出ている、ジーヴル様が作られた魔法道具が好きです」
「大魔法使いのジーヴル様、ですか」
「はい」
大魔法使いは非常に稀有な存在で、大陸全土で見ても両手で数えられるほどしか確認されていない。
そのうちのひとりであるジーヴルがアムレス王国に住民票を持っている、というのは国民であれば誰でも知っている有名な話だ。ただ、どこに住んでいるのかどころか、どんな人物なのかすらも明らかにはなっていない。
ジーヴルはめったに表に姿を見せないらしく、マシフォフ・カンパニーでも上層に立つ一部の者しか面識がないのだとか。
稀有で謎の多い大魔法使いが、身近に、しかも素性がちっとも分らない状態で在るとなれば、数多の噂が飛び交うのも当然ことだった。
厳めしく恐ろしい巨漢なのではないか、艶めかしく美しい女性なのではないか、ともすれば人間ではないのではないか、千年生きているのではないか、特別な輝きの魔核を持っているのだからそれぐらいあり得るかもしれないじゃないか、など——。まことしやかなものからおもしろおかしく突飛なものまで多種多様、それを考察書や物語にして出版しているところなかもある。
なんにせよ、とクラネは思う。ジーヴルがどんな見た目で、どれだけ生きていたとしても。きっと彼は、とてもやさしい人なのではないかと。
「それこそ、誰でも扱いやすい魔法道具の最たるものだと思います。丈夫で寿命も長く、低燃費で、価格もとってもお手頃なんです。例えば、掃除機の相場は金貨一枚から安くて銀貨五枚ほど。その分付加価値もありますが、消費する魔石量も多くて。僕は懐も魔力もからっきしなのでなかなか手が出せるものではありません。ですが、ジーヴル様の掃除機は、なんとたったりんご五個分の値段! 銀貨一枚で買えるんです。そのうえ、魔石の欠片で存分に働いてくれるので、とても助かっています——」
ぽかんとした様子の職員に、思うままにつらつらと語ってしまっていたクラネははっと我に返る。
「す、すみません。つい」
「いえ。ツヴィさんはジーヴル様の魔法道具が、本当にお好きなんですね」
また溢れそうになる熱意を呑んで、クラネはこくりと頷く。
「はい。本当に助かっているので」
生活だけではない——クラネはかつて、ジーヴルの魔法道具に命を救われたことがある。ジーヴルの魔法道具は、クラネにとって生の導のような存在だ。
それから、職員はわずかに微笑んだ。
「それは、よかったですね」
クラネはきょとんとしたが、魔法道具に関する仕事に就けたことを祝福してくれたのだろうと受け取り、「はい、よかったです」と答えた。
それからクラネは築五十年の年季の入ったアパルトメントに帰宅し、明日の出勤支度を整えた。
そして逸る胸を抑えながら、始発に送れないように早めに就寝——はしなかった。
帰宅してから、およそ一時間十五分後——クラネはひんやりとした暗い色の葉が生い茂る、北アムレス山の山道をせっせとのぼっていた。
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