手を繋いで

島本 葉

郁子へ

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 数えているわけでもなくて、今日があの日から10日目だと言うことだ。



 郁子に初めて出会ったのは旅行先だった。宿への帰り道が分からなくなり近くにいた彼女に尋ねたのだ。

「道に迷ってしまって」

「あら、奇遇ですね。でもわたしも迷ってしまって」

 朗らかに笑う郁子に一目惚れだった。

 連絡先を交換し、必死にデートの約束を取り付けた。



 僕の迷子はたまたまだったけど、郁子はいわゆる方向音痴だった。

 放っておくと、ふらふらとどこかに行ってしまう。

「もう手を繋いでおくよ」

 遊園地でも夜の散歩でも、彼女が迷子にならない様に、僕はぎゅっと手を握った。



 結婚して、幸せな日々が始まった。

 子どもには恵まれなかったけれど、郁子と二人の生活はとても満たされた毎日だった。

 ケンカして口をきかなかったある時のこと、郁子が僕の手をちょんちょんとつついてきた。

「なんだよ」

 憮然としていた僕の手を郁子がそっと握る。

「仲直りの儀式です」

「そんなのあったか?」

「今決めました」

 二人で笑い合ってケンカは終わった。


 

 仕事も定年を迎えたある日、突然郁子が倒れた。

 入退院を繰り返して、最近はもう入院したきりだ。

 郁子のいない家は灯が消えたように寒く薄暗い。

 毎日見舞って手をそっと握る。けれどずっと眠ったままの郁子が握り返すことはなかった。



 春が近づいたある日、郁子が目を覚ました。

 奇跡だと思った。

 手を握ると、弱々しかったけどもきゅっと握り返してきた。

「太郎さん」

 小さな声で僕の名を呼ぶ。僕も彼女の名を呼ぼうとしたけれど、声にならなかった。

「わたし、あなたに会えて幸せでした」

「……僕もだよ、郁子」

 朗らかに微笑む郁子に、僕も言葉を返した。

 


 夢はいつもそこで終わる。

 

 


 

 その直後、郁子は苦しそうに咳き込んで顔を歪めた。

 慌ててナースコールを手に取ろうとすると、郁子が僕の手を強く握った。

 残った力で何かを伝えるかのようで──。

 僕は強く手を握り返した。



 少し遅れてナースコールを押した。

 郁子の手を強く握りしめても、彼女が握り返すことはもうなかった。

 最後に見た郁子の表情は、幸せそうな笑顔だった。

 


 

 あのときの僕は正しかったのかな。

 

 僕は、ずっと夢に見るよ。


 完

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手を繋いで 島本 葉 @shimapon

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