青い空

海湖水

青い空

 僕は手に持った小説を机に置いてため息をついた。

 僕がこの会社、「倉崎屋」に勤め始めてから3ヶ月が経とうとしていた。

 倉崎屋は社員三人のみの超小規模な会社だ。業務内容は、浮気の調査から脱走したワンコ探し、引越しの手伝いに同人誌販売の売り子など、まあ、言うなれば「何でも屋」というやつだ。

 社員は社長の倉崎くらさきさんと、後輩の足立あだち、そして僕。倉崎さんはガタイがよく、表情もコロコロと変わる僕の大学の先輩だった人だ。僕よりも随分と年齢が離れているように見えるが、実際には3歳差である。まあ?僕が若く見えるということもあるけど?とにかく、かなりおっさんみたいな見た目をしている。

 足立は逆に、表情を全く動かすことのないクールビューティー。前に待ち合わせをした時、何度か待ち合わせ場所でナンパを受けていた。正直表情が読み取れないこともあってはじめは苦手だった。まあ、今ではその眉の動き一つで何を考えているのかわかるのだが。

 僕が倉崎屋に入ったのは、就職活動で困っている時に大学の先輩だった倉崎さんの誘いがあったからで、初めは就職先ができたと随分喜んだものだった。

 しかし、今はこの会社には不安しか生まれていなかった。


 「倉崎さん、ちょっと話があります」

 「おお、どうした中野なかの

 「前回の依頼、あまりにも報酬が安すぎませんか⁉︎移動費とか入れたら赤字確定ですよ⁉︎」

 「あーそれな。まあどうにかなる」

 「そう言ってどうにかなったことないじゃないですか‼︎このままじゃ会社が潰れちゃいますよ‼︎」

 「……しゃーねーなぁ」


 僕がそう叫ぶと、倉崎さんは机の中から一枚の紙を取り出した。僕は足立に手招きすると、その紙を三人で覗き込んだ。


 「次の依頼だ。報酬は結構出るぜ‼︎」

 「それって今の赤字をどうにかできるんですか……?」

 「社長、この依頼の内容、意味がわからないんですが」


 そう足立が口を開くと、倉崎さんは一瞬考えるようにしてから話し出した。


 「今回の依頼な、俺もよくわかってないんだわ。いつもなら依頼主の人に直接会うんだが、今回は忙しくて会えないって言われちまってよ。とにかく俺たちは依頼通りに

 「先輩、まあとりあえず娘さんに会えばわかると思うので会いましょう」

 「本当かぁ?まあそれ以外に方法ないしなぁ」


 とにかく、僕らの新しい依頼が始まった。




 「で、なんでなんですかね、娘さんを釣りから離そうとするの」

 「僕に聞かれてもわかんないよ。勉強しなきゃいけないのに釣りに夢中とかなんじゃない?」

 「それでもここまで報酬は出しませんよ、普通」


 娘さんとの集合場所に向かう途中、僕と足立は車の中で今回の依頼について話し合っていた。いつもは事前にもらっている情報などを共有するのだが、今回はあまりに情報が少ないこともあり、話し合いは難航するばかりだった。


 「とりあえず、ついたぞ」

 「ここって、釣り場ですか?」

 「そうだな。向こうが指定してきた」

 

 僕らの目の前には何人かの釣り人が釣り糸を海に垂らしていた。

 依頼人の娘を見つけるのは案外簡単だった。休日とはいえ、調べてみた感じでは人気のないこの釣り場にいる若い女性、それも学生となると1人しか見当たらなかった。


 「あなたが若杉さんですか?」


 足立が話しかけると、彼女は僕らの方を向き、ぺこりと会釈した。

 彼女の服装は「ガチ釣り人」という言葉が似合う姿だった。僕らもとりあえず横に並ぶと自己紹介をさらりとすると質問を始めていく。


 「なんで、君が釣りをやめろって言われてるのか知ってる?」

 「知りません」

 「そっか。釣りをしようって思った理由とかってある?」

 「ありません」

 「……とりつく島もないな」


 僕が心の中で小さく呟くと、足立の目の色が急に変わった。なんだなんだと思っていると、足立も質問を投げかけていく。


 「若杉さん、変わってる、とかって言われます?」

 「…………………」

 「じゃあ、質問を変えますね?あなた、恋してます?」

 「…………」

 「まあ、初対面の人に言いたくないですよね。先輩、とりあえず今日は終わりに」

 「釣り竿のことが好きなんです」

 「……それは、趣味としてですか?」

 「……恋愛的にです」


 僕は耳を疑った。釣り竿が、恋愛的に好き?そんな話、見たことも聞いたこともない。足立の方に目をやると、予想はしてたが、まさか本当だとは思わなかった、という顔をしていた。いや、違うのは眉の角度なんだが。


 「えーっと、じゃあ僕からも質問を。そのー……釣り竿くん?釣り竿ちゃん?との出会いは?」

 「釣具店です」

 「……そもそも釣り竿くんって男の子?女の子?」

 「……釣り竿に性別があると思いますか?」


 僕は頭を抱えた。ダメだ、恋愛経験ゼロなのが悪いのか?全く言っていることが理解できない。

 僕のそんな姿を見て、足立が若杉さんに話しかけた。


 「すみません、うちの先輩の調子が悪そうなので、今日は帰らせてもらいます」


 そう手短に切り上げると、頭がパンクした僕をズルズルと引き摺りながら車に押し込むと、発進させた。


 「先輩、大丈夫ですか?」

 「大丈夫じゃない……釣り竿に恋って何?初めて聞いたんだけど」

 「私も初めて聞きました」

 「そもそもそんなことあり得るの?これって現実なのか?」

 「世の中にはエッフェル塔と恋仲だと言う人もいるんですよ。あり得ないことはないと思います」

 「そっか……足立はあんまり驚いてないんだな」

 「驚いてはいます。予想の範疇だっただけです」


 しばしの沈黙ののち、足立は再び僕に話しかけた。


 「今回の依頼、蹴りましょう」

 「……マジで?」

 「ええ、大マジです。先輩、女子学生の恋路を邪魔しようと言うんですか?」

 「いやいやいや、そういうわけじゃなくてだな……」

 「今回の依頼、どう考えても親が若杉さんの恋愛感情を認識してます。で、普通と違うからやめさせようとしてるんですよ」

 「……まあ当然の感情のようにも感じるが」

 「先輩は空が何色に見えますか?」


 足立の急な質問に、僕は一瞬フリーズしたものの、とりあえず見たままの色を返す。


 「青だ。まあ曇りなら灰色かもしれんが」

 「私もです。でも先輩が見ている青色って、私が見てる青色と一緒なんですかね?」

 「……どういうことだ」

 「その人の認識してる色が、自分と同じかどうかなんて、私たちにはわからないじゃないですか。きっと、私たちには青く見えた空が、若杉さんには緑色に見えたんですよ」

 「…………」

 「親御さんは、理解できないわけです。恋愛感情というものは知っていても、無生物に恋するなんて経験はないから、理解はできない。空の色と一緒です。緑色という色は知っていても私たちは緑色に見えないから理解できない。だから変えようとしたんです。自分たちと同じ色に」


 僕はそれを聞いて頭を抱えた。

 足立の言う言葉が正しいのかどうか、自分にはわからなかった。でも、言いたいことは少し伝わった。だから……


 「オーケー、わかった。いや、正確にはよく分かってないんだが。社長には依頼はやはり受けないと伝えておく」


 僕のその言葉に、足立は表情をぴくりとも動かさず、すみませんと言った。僕は大丈夫と口を動かして、時計を覗き込んだ。

 倉崎さんに戻ると伝えた時間まで、まだ随分と時間が残っている。


 「なんか食って帰るか。何が食いたい?」

 「肉です」

 「欲望に忠実だな」


 窓の外から見えた空の青に、少し緑が見えた気がした。

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青い空 海湖水 @Kaikosui

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