人であること

管野月子

そうやっているのがいいんだよ

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 9回。いちいち数えている自分に呆れてしまう。

 どんな夢なのか人に話すほどでもない。いや……話せば誰もが不吉だと呟いて、不安と疑心に満ちた声で噂にするだろう。噂はやがて街全体を飲み込み、砂と岩に囲まれた楽園コロニーを汚染する。それは俺の望むところじゃない。

 だからあの夢のことは、まだ誰にも話していない。




 くたびれたベッドから窓の外を眺めると、空はまだ闇の色だった。

 カタカタと風が窓ガラスを揺らすも嵐の気配ではない。星が見えないのは雲が出ているのか、それとも霧が流れてきたのか。普段なら乾いた空気に、今は湿度を感じる。遠くで泥蟲の吐く息が大気を濡らしているのだろう。


 また眠りに引き戻されるかと期待するも、その様子は無い。

 夜明けにはまだ遠い。

 ため息をつく。

 日の出まではごろごろしていたいと思っていたのに、汗を吸って冷たく湿ったシーツに横たわり続けるには、あまりにも不快すぎた。


 のそりと起き上がり、薄い壁一枚隔てた隣の部屋、ドア代わりに垂らしたカーテンの隙間から何気なく相棒の様子を眺めた。

 テリネは毎日、夜明けと日没の頃に、ビルの屋上から街の外を観察する。

 夜は蟲が嫌う周波数帯の音波で街を防御しているが、それも絶対の守りではないからだ。人とは少し違った感覚を持つテリネは、必ず自分の目と耳で異変が無いか確認を怠らない。

 この時刻なら、まだ休んでいる頃だろう。

 眠っているところを起こしてはと思い様子を伺ったが、ベッドに人影はなかった。


 誰もいない部屋に断りの声をかけて部屋に入り、シーツに触れる。ベッドを離れてずいぶん経つのかぬくもりは無く、俺は眉間にしわを寄せて顔を上げた。


 誰もが眠りの中にある時刻。起きているのは街を警護している者と、悪夢に起こされた俺ぐらいだ。もしかすると徹夜で作業している研究者や医者もいるかもしれないが、俺が知覚できる範囲に動く者の気配は無い。

 少しの間息を潜め耳を澄ましていたが、テリネが戻ってくる様子は無い。


 嫌な予感がした。


 誰しも眠れない夜というものはある。

 単に喉が渇いて起きたのかもしれないし、今の俺のように夢に起こされた可能性もある。こんな時刻に開いている酒場は無いが、一人、夜風に当たりたい日もあるだろう。

 そう……と思いはしたが。


「あいつに、それは無いな」


 テリネは誰よりも夜の恐ろしさを知っている。

 ただ暗闇に恐怖するのではなく、夜という、星が陰に入る時間帯の特性を警戒している。人間が造り出し人類の敵となった人工生命体――蟲。奴らは周囲に明るさに関係なく、「夜」に活動する。太陽が出ている時刻では動きを止める。

 まるで石化の呪いにかかったように。

 なぜそのような生態なのか、文明が衰退し始めている現代科学では解明できていない。


 上着を羽織りランタンを持ち、屋上に向かう階段から上の様子を伺うが、やはりテリネの気配は無かった。

 だったらあいつの行き場所は、おそらくあそこしかない。

 地下へと向かう階段に足を進め、一段一段、街の下の地底部へと降りていく。そこは……この星の千年を超える歴史が積み重なった、広大な遺跡群だった。




 延々と続く鉄階段は、まるで古い文献にある地獄に降りていくようだ。

 または冥界。死者の国へと繋がっているのだと。


 普段、数十階程度の階層を降りることはあっても、更に地下に潜ることは滅多に無い。昇降機など一部にしか設置されていないのだから、降りればその分、自分の足で上らなければならなくなる。

 怠い、以前の問題だ。

 地上の街に住む者は、中継地点の階層まで行って、そこから更に下で活動する者たちから発掘した物を受け取り日用品や食料を渡す。地下都市で暮らす人たちは、地下水の管理を行い発掘した遺物を研究復元し、地上の街の生活を支える。

 そういった上下の行き来で成り立つのが、今の時代の「街」の在り方だ。


 テリネが時折、地下の遺跡に足を運んでいることは知っていた。

 遺跡から見つかるのは昔使われていた遺物ばかりじゃない。人を含めた当時の動植物の遺骸や、蟲の元となるモノ。

 そして……何か「人」には視えず聞こえないものを、テリネは遺跡から感じとっている。


 研究者や発掘師たちも休んでいるのか、階段途中にある中継施設の常夜灯だけが鈍く辺りを照らし、生きる者の気配は無い。

 響くのは俺の足音ばかり。

 ランタンの灯が揺れ、異様に伸びた影が躍る。ひどく非現実めいた景色だ。


 俺は今、 あの夢の続きを見ているのではないだろうかと錯覚する。


 永遠に明けない夜の世界。地の底では泥の中から浮かぶ泡のように、異形の化け物たちが湧き、辺りを汚染していく。いや……この世界を造り替えていく。

 その闇と異形の中に一人立つ、テリネ。

 白く発光するように浮かぶ肌。暗い紺鼠こんねず色の適当に切った髪が揺れ、水晶を思わせる紫の瞳が向けられる。

 人としての表情は無い。

 言葉も感情も失い、ただそこに立っている。


 果てしない広大な闇の空間に。


 彼を初めて見つけた時のように。


 テリネは――彼は、人の姿をしているが本当に人……なのだろうかと。


 そう思うような、異形の気配。


 人の殻を破り現れる本性は、命を喰らい別のモノへと変質させる蟲へと――。




「テリネ」


 崩れかけた遺跡の高い位置に設置された青白い常夜灯が、月の明りのように、鈍く辺りを照らしている。その一角、地下水に濡れた広場に一人、ぼんやりと立つ人の姿があった。

 俺の声に、ゆっくりと人影が振り返る。

 表情は無い。

 そいつは俺の相棒にそっくりだが、初めて見るもののように見えた。


「ザツロ」


 相棒にそっくりの人型が、相棒と同じ声で俺の名前を呼んだ。


 俺は一度瞼を閉じて軽く頭を横に振る。

 バカな妄想に引きずり込まれるな。これは夢でも夢の続きでもない。目の前にいるのは間違いなく、蟲どもから街と人々を守る相棒のテリネだ。

 俺はランタンを掲げたまま、テリネの元に足を向けた。


「ずいぶん、早起きだな」

「ふ……」


 軽く鼻で笑うようにして答える。

 昼間はいつも眠そうにだらだらとソファに横たわっていることが多いが、その実、常に神経を研ぎ澄まし警戒している。今、ここまで深い地下遺跡に降りているということは、街を襲う蟲の危険は遠いと感じてのことだろうが――。


「何か、感じたか?」

「……泥蟲の遠吠えが、煩くて」


 ベッドで目を覚ました俺には風の音しか聞こえなかったが、テリネの耳には霧の元となる蟲の声が届いていたのだろう。

 どんな叫びか想像できないが、蟲共の声など想像するだけでも煩わしい。

 テリネはぼんやりと遺跡を眺めながら、まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。 



「砂と岩の大地を支配する異形の生命体。そいつらは全て、人の敵だ」



 あえて口にすることで、自分の位置を確認しようというのか。

 それともただ不安を吐いているだけか。わずかに視線を落とすテリネの横顔が、自嘲するように歪んだ。


「……同時に僕たちは、その敵が生み出す資源で生かされている」

「先人たちは人を生かすために合成生命体を造ったんだ。まさか化け物に変貌へんぼうするとは思わなかっただろうけどな」

「今この瞬間も……遠い地平線の向こう側では泥蟲が、大気に水蒸気を放出している。やがてそれは霧になって砂漠を、荒野を、街を覆って命を育む」


 人が涸らした大地を潤すものとなる。


「時々、殺していいものかと……思う」

「いいんだよ」


 即答した。

 少し、驚いた顔でテリネが俺に顔を向ける。


「俺たちはこの世界、この時代に生まれて、生きていくんだ。その生を脅かす奴から身を守ることに何の躊躇ちゅうちょがいる」

「ザツロ……」

「相手が神だろうと世界を蘇らせる神聖な生命体だろうと、俺は俺と、俺の仲間を守ることに全振りしていくぜ」


 生きているんだ。悩むことなんかない。

 だというのに……。


「それに俺が一生の間に殺せる数なんざ、たかが知れている。その程度で蟲は全滅なんてしない。悔しいが」


 そうだ。たとえ百まで生きて、一日一匹、生涯三万を超える数を殺したとしても、この星から消えたりはしない。奴らはしぶとく、形を変え知恵をつけて、世界の覇王であり続けるだろう。

 そして人は遺跡の上に築いた小さなコロニーで、細々と生き長らえていくに違いない。共生といえるほど穏やかな関係でなくとも。


 大きく息を吐いてテリネを見下ろした。

 普段は何があっても平然として、動揺ところか悩みも無いように見えると言うのに。実は人一倍神経も細かい。いちいち口にすると拗ねてしまいそうだが。


「ったく、お前……蟲と感覚を共有しすぎて、自分がどっち側か分からなくなっているだろ」

「あぁ……まぁ、うん」


 心は人の側にありながら、蟲や妖精を知覚できる感覚器官を持つ。

 テリネが一番嫌うのは、そんな異形の自分自身なのかもしれない。


「俺から見れば、そうやってぐだぐだ悩んで落ち込んで、ヘラっている辺り十分人間だぞ。蟲は自分の存在意義や敵を喰らうことに、いちいち迷うものか」


 こいつは真理だ。

 ぽかんとしていたテリネが苦笑する。


「……そう、だな」


 呟いて、苦笑する。


「残念ながら、僕は人間だ」

「蟲になんかさせるかよ」


 9回も繰り返した、あれはただの夢だ現実じゃない。

 振り切るように拳を顔の高さで突き出すと、テリネも同じように拳向け、軽く小突き合わせた。


「いい加減帰るぞ。地上に戻る頃にはとうに朝だ。俺をここまで降ろしてきたんだ、朝食はお前が作れよ」

「ハニートーストだっけ? ほんと、甘党だな」

「いいだろ。どうせ今日は霧で昼間は何もできないだろうから、隊商から貰ったご褒美を使って豪華にいこう」

「了解」


 笑いあって俺たちは冥界から地上に戻っていく。

 長い階段は正直怠いが、テリネとだべりながら行けばきっとあっという間だろう。





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