第7話 怪物
「……お母さん?」
「はい。あなたが倒した魔獣は、モンスター化したあなたの母です」
淡々とした、事務的に処理された報告なような言い方。感情の欠片も感じられない声だった。
「いや、母は魔蝕病ではないから、モンスターにならないはずですよね」
僕は震える声でそう言った。命のやり取りとは違う緊張感に体が固まる。
「ふふ。知らないんですか?」
彼女はまるで子供をあやすように言葉を紡ぐ。
「ダンジョンの深層では、人は怪物になるんですよ。人も物も、すべてが等しく浸蝕されてしまうんです。私もあなたのお母さんもね」
「彼女は、私にあなたのことを相談していました。『どうすればもっとあなたに寄り添えるのか』と。だから、深層に連れて行くのは簡単でした」
「なんでそんな」
呟いた声は、自分でも驚くほど弱々しい。言葉を出そうとしても、喉が詰まってそれ以上出てこない。
「それは、あなたが導き手だからですよ」
「……導き手」
彼女は僕の呟きにゆっくりと頷いた。
「はい。第二の人類の導き手に、あなたがなるんです」
「あなたの運命が困難であるほど、善いんです。どうか、第一の導き手を支えてください。ゼロ地区にいる彼女を」
「それでは、頑張ってください」
「私はこれから、このダンジョンの主を破壊します」
そう言い残し、彼女はくるりと背を向けた。歩みは軽やかで、迷いは一切ない姿。
「ああ、それと――」
その目は、どこまでも深く、残酷な光を宿していた。
「人類を、信じないで」
ピンクの髪が揺れたかと思えば、彼女はもういなかった。音もなく、風のように消え去る。すでに、四階に駆け上がり見えなくなった。
「……っ!」
声が出ない。息が詰まり、喉がひりつく。代わりに、心臓が激しく打ち鳴らされた。頭が理解を拒む。それでも彼女を追わなければという本能だけが、体を突き動かそうとする。
「くそ……!」
僕はなんとか体を動かし、彼女の跡を追う。
「早いッ」
四階から最後の階である五階までの道中に魔石が散らばっている。今まで以上に濃厚なダンジョンの流れから力を汲み取り、身体を強化する。それでも、追いつくことはできない。
この世界では、奇抜な恰好をしている人は強くなる。いや、強いからそんな恰好をするのか。奇抜というか、おしゃれというか。
ダンジョンの出現で、人に耳や尻尾ができて、髪の色まで変わる人が現れるようになった。要するに、コスプレっぽい服装だったり、癖が強い人は大体強い。
独特な雰囲気を持ち合わせた彼女を、僕は勝手に尊敬していた。だが、ここまで強いとは全然思わなかった。彼女は四階をものともせずに突破する。
五階へと向かうエスカレーターを駆け上がり、そして最後の階層が眼下に広がる。
――ここに、このダンジョンの主がいた。
「ああ」
間に合わなかった。ダンジョンの主は撃破され、もういない。すぐにこのダンジョンは空っぽになる。
崩壊が始まる。
ダンジョンの力の流れが滞り、空間そのものが崩れていく。壁に走るひび割れ。足元から漂う不安定な霧。壁が広がり、ダンジョン化していた映画館の姿があらわになる。
「よお」
東雲さんの声ではない。
「ラウンド二だァ」
斬撃で引き裂かれた体。魔素による身体強化で血を抑えて、男は立っていた。
「ワンルーム」
異能が発動する。だが、すぐに空間が弾け飛んだ。崩壊が進むダンジョンでは空間が歪み、魔素が掻き消えていく。魔素と相反するもう一つの力も消えていき、すべてが消失し始める。
「ハァッ」
男は血を吐きながら口元を歪ませる。目が狂気に輝いていた。
「はいどーも、こんにちは公島チャンネルでーす」
「今日は深層で配信してまーす。案件で軍用のドローンをもらいましたァ!」
男の後ろには小型のドローンが飛んでいる。対浸蝕が施された映像記録装置。軍が使っている刻印が見える。
「霧雨ダンジョンで魔蝕野郎をまたぶっ殺したいと思いまーす」
耳障りな大声が映画館に響く。
「コウジマァ!」
僕は苦しみながら名前を叫んだ。だが、僕の言葉を無視して公島は声を張る。
「コイツらにィ!」
「殺された家族の仇を討ちます!」
一年前、霧雨市にダンジョンが出現した。黒い霧が街を覆い、人類の生存可能区域がまた一つ減った。
僕たちは霧雨市からグラウンドゼロ――ゼロ地区付近の安全区域に避難しようとした。すでに人類にとって安全という言葉は幻想になっているのに。
避難所で、僕の父親は目の前でモンスター化し、同級生たちの家族が犠牲となった。
人が人であることを奪われ、理性も感情も喰い尽くされていく。
生き残りたい。僕が絶対に生きると宣言したところで何も変わらない。死にたいと思いつつ、自分の命を殺すことをしなかった臆病者。
人間としても、獣としても生きることのできなかった半端者。父親が死んでも、母親が死んでも、ただ変わらない。僕は、終わりゆく世界に身を任せて生きるニンゲンモドキだった。
そんな自分が嫌いで仕方がない。
足元が崩れ瓦礫が次々と落ちていく。霧は薄れて、天井に空いたひび割れの隙間から混沌が覗いている。
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