第3話 旧世界ー3 母ー1

 久々に乗ったバスは、アラタに懐かしさを感じさせなかった。


 と言うのも、アラタが乗る時間帯のバスは混雑しており、ろくに座ることもできずに大抵何時間も立っ他まま乗車し続けなければいけない。


 それに対し、今回乗ったバスは時間帯が昼に近いからか、席はガラガラ。過去にアラタが見てきた光景とは別物のような姿をしていたためだ。


 アラタとミナは縦一列に座る。空席が多いとこんな贅沢な座り方だってできる。二人で窓の外の景色を眺めながらバスに乗っていくことにした。


 決して小さくない街の景色が次々と後ろに流れ、乗車して数分も立たないうちに不目根田町のトンネルへと差し掛かる。


 窓の景色は消え、窓には反射したミナとアラタの顔が見えた。お互いがお互いの反射した顔を見て話しかける。


「しかしミナ、なんで今日は俺をわざわざ起こしに来たんだ。


 今日、なんか特別な日だっけ。


 それともカルト宗教施設に出かけるのを前から計画していたのか?」


「・・・は?何言ってるの!?今日はお母さんの誕生日だよ!!誕生日くらい皆で揃って家でケーキを食べるんだよ!」


 ミナは途中から、反射したアラタの顔ではなく、直接アラタの方を向いて言った。アラタも呼応するようにミナの方を向く。何も言い返すことができなかった。



 ミナはずっと家族のことを考えていたのだ。



 ミナだけが。



 アラタは自分がさらに情けなくなる。自分は何て小さな人間なのだろう。自分のことだけ考えて、迷って、挙げ句の果てに引きこもる。


 これからカルト宗教施設に向かうのだ。


 ミナを守るためにも心は強く保たなければいけないというのに、その自信も気力も粉々に砕け散ってしまった。


 やがて暗闇が終わり、窓から外の景色が見えるようになると、アラタはポツリと言葉を漏らす。


「───もう俺が弟でいいよ・・・」


 アラタの弱音は誰にも聞かれることはなく、そのまま景色と共に流れ去っていった。




 ・




 それから二人はかつて学校へ行っていた時に利用していた駅でバスを降り、電車に乗ってカルト宗教施設へと向かう。


 時刻は正午を過ぎ、昼食をとってもいい時間帯であったが、二人の頭の中はカルト宗教施設のことでいっぱいであった。


 二人はスマートフォンを買い与えられていない。持っているのは連絡用に渡されたキッズケータイのみ。


 二人は駅の路線図を見ながら母がいるであろうカルト宗教施設へと向かう。


 最寄りの駅からしばらく歩くが、ミナがあらかじめ地図を用意していたようで迷うことはなかった。




 列車を降り、改札から出ると、すでに例のカルト宗教の怪しげなポスターや人間が目につく。こんなのが野放しにされているのを見るたび、世の中が歪んでいることをアラタは実感する。


 ───人が弱っているところに漬け込むクズの詐欺組織だろうが。なんで警察は取り締まらねえんだよ。


 アラタは目の前に落ちていた宗教勧誘のポスターを見つけると怒りを込めて蹴り飛ばした。


 しかし、貧弱なアラタに蹴られたポスターは大して移動することはなく、音も立てずふわりと少し浮くと、再び地面にに張り付いたのだった。


 駅のホーム内には少なくない人がいたが、改札を出た後には「詐欺に注意!」と書かれたタスキをかけた警察と、カルト宗教の信者と思われる人間くらいしか見当たらない。


 クソ暑いのにご苦労なことだ。



 先ほどからやり場のない怒りの感情がアラタの内側で渦巻いていた。警察に文句の一つでもいってやりたかった。


 しかし、それだけだ。そう思うだけ。


 何か実際に暴れて騒ぎを起こす訳にはいかないし、さっきのポスターも本当は蹴り飛ばさない方が良かった。コンクリートの家の窓から誰が見ているのかわからない。


 ここでアラタができることはなかった。


 アラタは気持ちを切り替えると、先に地図を見てズカズカと進むミナの跡を駆け足で追いかける。


 駅の通路に取り付けられている窓から、背丈の低い建物がここら一帯に広がっているのが見えた。


 高層ビルだらけの都心の中で、ここら一帯は珍しく住宅地だった。


 コンクリートでできた街。家の塀からは申し訳程度に植えられた木がポツポツと顔を出している。


 ミナとアラタの故郷とは違い、相変わらず都心では蝉の声が聞こえない。


 すでに昼を過ぎた時間帯、コンクリートまみれの街というのもあって、室内に逃げ帰りたくなる暑さがアラタを襲った。しかし、今更逃げかえるわけには行かないし、何よりミナを一人で行かせる訳にはいかなかった。


 ───唯一の大切な人なんだ。


 駅の出口から二人は街を見渡す。アラタの斜め右前に立つミナも心なしか緊張しているように見えた。


「・・・行こう。」


 ミナは後ろで固まっているアラタの方へ顔を向けて言う。二人は意を決して駅の出口から出て、階段を下り、街へ入っていくことにした。


 暑さとは別の原因で体から滲み出てきた汗がアラタの頬を伝う。



 カルト宗教施設が近づいてくると、アラタは自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。


 気のせいか、付近の建物には全て塀があり、なおかつ高い。昼間とはいえ都内の中心部であるのに人気ひとけは少なく、駅前とは違い、塀から見える緑は徐々に増えている。


「ミナ、カルト宗教施設に到着したら具体的にどうするつもりなんだ?」


「え?決まってるじゃん。信者のふりして施設に入って母の居場所を受付の人間に聞き出すんだよ」


「し、施設に入るのかよ」


「何アラタ?まさか施設を遠くから眺めて終わりだとでも思ってたの?そんなんじゃ母さんは見つからないよ」


 アラタだってなんとなくミナが行おうとしていることは察しがついていたし、腐っても自分の母親だ。自分がやってやりたいくらいだった。


 しかし、勇気なんてとうに消え失せたアラタにそんな度胸はなく、なおかつ、勇気云々ではなく、客観的に見て危険な行為に違いないのは明らかだ。


 カルト宗教施設に凸はやばい。


「やばいってミナ!!」


「やばいのはろくに母親の誕生日を祝うことすらできない私たちの家庭でしょ!!」


 確かにそうだ。そうだけどもやばい。納得しかけたアラタは首を振り、再びミナにめるよう呼びかける。


 が、ズカズカと進むミナを止まることはなく、無理やり引き留める勇気も度胸もアラタにはなかった。



 ただ今の彼にできるのはミナに文句を言いながらついていくことだけだった。



 ・




 やがて、カルト宗教施設に到着する。








 カルト宗教施設付近には、大した背丈のビルはなく目の前に立つ宗教施設も都心に並ぶビルに比べると大した大きさではないのだが、アラタに威圧感を感じさせるには十分な大きさだった。


 鉄柵の門扉が人一人分通れるくらい開いており、くるもの拒まずと行った雰囲気を感じさせた。


 逆に去るものは去らさせないという意志も心なしか感じる。


 他の建物と比べ1.5倍ほど高い煉瓦造りの塀には、駅でも見かけた気色の悪いポスターが所狭しと貼り付けられていた。


 道端にはこの壁から剥がれたであろう少ない数のポスターが落ちている。


 風が吹いてアラタの足元にポスターが寄ってくるがアラタはそれを蹴り飛ばし踏みつけた。


 ミナとアラタは二人並んで門の前に立つ。


 四階ほどの大きさだろうか。施設は外見からドーム上のスペースが右手にあることは分かった。


「行こう、アラタ」


「・・・うん」


 短めに返事をし、ミナとアラタは人一人分開いた門から中へと入っていく。


 門から施設の入り口まで少しレンガの道が続いていた。


 アラタは施設内の庭を見渡す。塀の内側にもポスターはびっしりと貼られており、アラタはゾッとした。


 庭には緑が多く、ここだけは蝉の声だけが聞こえる。自分の故郷をこんなところで思い出させられることになった。


 そうこうしないうちに施設の建物の入り口に到達する。


 煉瓦造りの施設だが、入り口は自動ドアであり、すでに受付の人間はこちらの方を向いているのが見える。


 ニコニコと笑顔を向けている。


 まだクソ暑い施設外にいると言うのに、それはアラタに悪寒を感じさせるには十分なものであった。


 アラタは「妹」を引っ張ってでも引き返したくなってくる。


 ミナの腕を掴むがすでに時は遅く、ミナは施設内へと入っていく。それに引きずられるようにアラタも共に施設へと入った。


 冷房がよく効いた空間だ。


 普通なら冷房の効いた部屋に留まっていたいと思えるが、ここは違った。


 ミナもそれは感じているようで足早に二人は受付へと向かう。


 受付には年に見合わないほど艶やかな黒髪をした60歳くらいのおばさんがいた。

 ヅラだろう。


 目は空いているのか開いているのかよくわからない。


 が、こちらの方へ顔を向けて何か言おうとしているので、立って寝ているわけではないのは分かった。


 同じ人間であるはずなのに宇宙人でも見たような気分にアラタは陥る。ミナはアラタの腕を握った。


 アラタはミナが震えているのに気づく。当たり前だ。怖いのは自分だけではない。


 アラタはミナの手を強く握り返す。


 情けない自分に対しての怒りをアラタはなんとか勇気に変え、ミナの代わりに声を振り絞る。


「───セニム・サチコ・・・セニム・サチコを知りませんか。


 ・・・ここにきているはずなんですが」


 ミナは自分より先に声を出したアラタに驚き、アラタの顔を見る。


 アラタの表情は強張ったままだ。しばらく受付と二人の間に沈黙が続く。


 アラタは受付から目を離さず、受付が返答するのを待っている。


 受付は口に手を当てしばらく考えている様子を続けていた。痺れをきらしたアラタが再び受付に問おうとする。


「あのっセニム・サチコを──」


「おにぎり63号のことですか?」


「は?」


 アラタの言葉を遮って初めて受付のおばさんは言葉を発した。なんのことを言っているのかアラタはわからなかった。


 が、数秒経って何を言おうとしているのか理解できた。「おにぎり63号」と言うのは戒名というやつだろう。このカルト宗教上の呼び名だ。


 アラタはさらに怒りが込み上げてきた。


 ───寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞクズどもが


 受付と二人の間にはプラスチックの板の仕切りがあるが、書類などをやり取りするであろう穴が空いていた。アラタはそこから手を突っ込んで胸ぐらを掴んでやろうと腕を持ち上げる。


 ───いける。


 軟弱者と化したアラタでも今なら怒りに任せて行動できるような気がした。しかも、相手は老人だ。


 最低な思考だが、向こうはさらにその上をいく悪行を行なっているので倫理観とかは今のアラタにとってはどうでも良かった。


 しかし、アラタが手を出すより先にミナが叫ぶ。


「セニム・サチコを返してください。


 私たちの母親の名前はセニム・サチコですっ」


 アラタは腕を引っ込めてミナのほうを見る。ミナは涙ぐんでいた。


「・・・返してよ───日常を・・・」


 ミナは続けてポツリと呟く。


 施設の奥からは騒ぎを聞きつけた人がゾロゾロとやってきていた。


 皆、アラタたち二人より年上の人物であるのに、目だけはキラキラと輝いており、気色が悪い。ホラー映画の中にでも入った気分だった。


「い、いくぞミナ!」


 アラタはミナの手を引き、急いでカルト宗教施設を後にする。

 幸い、朝に準備運動は散々してきたので、スムーズに彼らから距離をとることができた。


 宗教施設を後にする際、アラタは一度施設の方を振り向いた。


 施設の人間たちに怒った様子はなくただ笑顔で手を振ってアラタたちにさよならを告げている。


 そこには母親の姿も確かにあった。


 もう何年も見たことのない屈託のない笑顔でアラタとミナに手を振っていた。

 母親はとうに狂気の一部と化していたのだった。




 ・





 カルト宗教施設から去った後、二人は唖然とした気持ちで帰路に着き、大きめな駅のコンビニでようやく昼食を買う。


 財布はミナしか持っていないため、今日一日中、アラタはミナに払わせっぱなしであった。


 そのまま特に会話することもなく、二人は先ほど起きた出来事に未だ気を取られた状態で故郷である不目根田ふめねた町へ行くバス停までやってくる。


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