天野さんちで会いましょう

矢芝フルカ

第1話 同僚の天野さん

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 高田希美たかだのぞみは通勤電車の中でため息をついた。

 回数を覚えているのは、訳がある。

 二人で一緒に仕事をした日の夜に、必ずあの夢を見ると気付いたからだ。


 もう9回目だ。

 これは・・・

 やはりもう・・・

 そうとしか考えられない。


 自分はきっと、天野あまのさんのことが好きなのだ・・・。




「社内不倫はリスクが高すぎるからやめときな」

「・・・やっぱりそう思う?」

「成就したとしても、仕事もお金も社会的信用も全部無くすんだよ? 天野さんって、未成年のお子さんが二人も居るんでしょ? 慰謝料と養育費のトータルで中古マンション買えるよ?」

ももちゃん、数字が妙にリアルだよ・・・」


 その日の昼休み、希美は同期の桃子と一緒にランチを取っていた。

 会社から少し離れた公園には、昼時にキッチンカーが軒を連ねる。

 外はまだまだ寒いが、車の前に並べられたテーブルには、電気ストーブが備えてあって、ひざ掛けも貸してくれる。

 できたてのルーロー飯は美味しいし、サービスのスープも熱々だ。

 何より、同じ会社の人間とかち合わないのが良い。

 だから、こんな話も気兼ね無くできる。


「でもね、同じ夢を9回も見てるんだよ? これってやっぱり何かあるんだと思うのよ」

 希美が言い募ると、桃子は首を振った。

「その何かが恋愛とは限らない」

「じゃあ桃ちゃんは何だって言うの?」

「夢はただの夢だよ。スピリチュアル界隈には興味が無い」

 桃子は眼鏡を曇らせながら、熱いスープをすする。


 経理課の桃子・・・馬場桃子ばばももことは、新人研修の時の宿泊所で同室だったのを機に親しくなった。

 こうしてランチを共にするのはもちろん、プライベートでも一緒に旅行に行くなどして、気の置けない間柄となっている。


「・・・まぁ、天野さんは物腰柔らかくて優しい人だから、希美がそう勘違いする気持ちは分からなくも無いけどね」

「やっぱり勘違いかな・・・」

「そういう事にしておきなよ」

 桃子の声音には、切実な色があった。

 だけど希美はどうしても、うなずくことができなかった。



 希美が9回も見続けている夢には、天野さんが出てくる。


しかも、どうやら夢のなかでは、希美と夫婦のようなのだ。


 アパートのような間取りの家。

 玄関のわきにダイニングキッチン。

 その奥に和室が二間ならんでいる。

 自分はダイニングの椅子に座っていたり、和室に座っていたりする。

 それは、日によって少しづつ違っていた。

 けれど、その目が見るのは、いつも天野さんの姿だ。


 これから会社に出勤する姿の天野さん。トレンチコートに袖を通しながら、

「行ってくるよ、具合が悪くなったらすぐに連絡をして」

 と、優しく言う。


 あるいは、仕事から帰ってきた天野さん。

「今日の調子はどうだった? 悪くないようだね、良かった」

 と、優しい笑顔。


 そして、私服でくつろぐ天野さん。

「今日は何か食べられるかな? お蕎麦があるけどどうかな?」

 と、少し心配そう。


 今日の夢は、起きたばかりの天野さんだった。

「おはよう、ああ、無理しないでいい。昨夜、調子が悪かったんだ。起こしてあげようね」

 と、希美の身体を抱き上げてくれたのだ。お姫様抱っこで!

 その、抱き上げられた感じも、天野さんの腕の強さも、全て鮮明に覚えている。


 こんな夢を9回も見せられて、「ただの夢」だと思えるだろうか?

 これは希美が天野さんを好きなのか、あるいは、天野さんが希美に気があるかの、どちらかに違い無い。

 その想いが、夢となって現れているのに違い無いのだと、希美は強く感じていた。

 


「あ、そうだ」

 希美はスマホを取り出して、今食べた「ルーロー飯」を入力する。

「何それ?」

 桃子が興味深そうに聞いた。

「ダイエットアプリ。2週間のお試し無料版」

「へー」

「食べた料理を入れると、カロリー計算してくれて、持って歩くと消費カロリーも計算してくれるの。それでね・・・」

スマホの画面を見せながら、希美が説明すると、桃子も熱心に耳を傾ける。


 天野さんの話は、それ以上、どちらからも出なかった。





「あ、高田さん、おかえりなさい」

 会社に戻ると、天野さんが居た。

 希美の胸がドキンと鳴る。

「た、ただいま戻りました」

 そう返して、希美は隣の自分の席に付く。

 天野さんの机には、食べ終わったカップ麺があった。

「・・・天野さんはカップ麺がお好きなんですね」

 希美が言うと、天野さんはちょっと苦笑いを浮かべて、

「好き・・・と、いう訳でも無いんですけど・・・」

 と、天野さんは頭を掻いてから、カップ麺の器を片付けに、席を立った。


 天野さんのお昼は、毎日カップ麺だ。

 それも、昼にコンビニに買いに行くとかでは無く、家から持って来ている。

 カップ麺はコンビニで買うよりも、スーパーやドラックストアで買った方が安いからだろうけど・・・。

 でも、さっきの様子からだと、仕方無く食べている・・・っぽい。


「奥さんが居るのに、それってどうなの?」

 希美は誰にも聞こえないくらいの、小さい声でつぶやいた。


続く

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