第40話 走り抜ける剣閃
「ヒルデの力って、すごいなあ」
アルヴァンは感嘆の声を上げる。
「うう、申し訳ございません、アルヴァン様。わたくしのせいで貴方様に要らぬご苦労をかけてしまって……」
「そんなことないよ。僕は楽しいから大丈夫。もう少し待っててね、ヒルデ」
すまなそうに言うバルドヒルデに、アルヴァンは笑って首を横に振った。
「アルヴァン様……やっぱり素敵ですわ!」
バルドヒルデは恍惚の表情を浮かべた。
――……お前も罪な男だな……。
「そうなの?」
ため息をつくフィーバルに、アルヴァンは首をかしげる。
あっという間に傷を癒やしたラングレイが再び襲いかかってきた。
今度は横から回り込んでくる。アルヴァンは市長の姿を捉えながら応じるように動こうとしたが、その途中で何かにぶつかったかのように動きが止まった。
動きを阻んだのはラングレイがアニマで作り出した障壁だった。先ほどは空中での足場とした固めたアニマを、今度はアルヴァンのすぐ近くに作り出して壁として使ったのだった。
アルヴァンはとっさに壁から離れるが、その行く手にもラングレイが即座に障壁を作り出し、動きを制していく。
同時に、ラングレイ自身は障壁の足場を作り出して空中を自在に動き回り、アルヴァンを追い詰めていく。
「発動が速いし頑丈だし、狙いも正確ですね」
不意に出現するアニマの障壁に動きを阻まれながらも、アルヴァンはラングレイの蹴撃をしのいでいく。
ラングレイが作り出すアニマの壁の隙間を縫うようにして間合いを詰めた。それに対して市長は逃げることなく、正面から迎え撃つ構えを見せた。
渾身のアニマを込めたラングレイの右の回し蹴りが繰り出される。
アルヴァンは避けようと身をかがめた。途端、市長の紅い瞳が怪しく光った。アルヴァンのすぐそばで、ボキッという乾いた音がした。ラングレイが関節の限界を超えた力で無理矢理脚を曲げたせいで、骨が折れた音だった。
通常の人体ではあり得ない角度になったものの、秘薬で強化された市長の右脚は止まらない。逃げる獲物を追いかけるようにして、ラングレイの右足がアルヴァンの側頭部を打ち抜いた。
銀髪の青年は塔から蹴り飛ばされたときよりもずっと強い勢いで吹き飛ばされて、屋敷の残骸の山に突っ込んだのだった。
意図的に折った右脚はすぐに治った。ラングレイは荒い息をつきながら土煙を上げる瓦礫の山を見つめていた。
心臓が異様なリズムで脈打っている。体が熱い。全身に張り巡らされた血管の中を血液が駆け抜けるのが、不気味なほどの明晰さで感じられる。頭からつま先まで、体中に恐ろしくなるほどの力をもたらす紅い血液は、炎を帯びているかのように熱かった。
「オオオオオオオ!」
ラングレイは吠えた。そうせずにはいられなかった。全身を駆け巡る異様な熱が、ラングレイを突き動かしていた。
自分はもう元には戻れない。闇夜に人のものとは思えない叫び声を轟かせながら、燃えたぎっているかのような頭の中で、ラングレイは静かにそう悟っていた。
だが、秘薬は完璧な出来だった。
屋敷を易々と半壊させ、苦もなくラングレイに深手を負わせてみせたあの青年を、これまでに出会ってきたどんなものとも異なる、あの黒いアニマを操るアルヴァンを、ラングレイは凌駕したのだ。
今度は奪わせなかった。故郷が炎に包まれたあの日の誓いを、果たすことが出来たのだ。紅く染まった市長の両目から、透明な涙が流れ落ちた。
しかし、まだ終わりではない。
「……ツ、ギハ、オマエ、ダ……!」
すべての元凶を見やった。あの日と同じ、紅蓮の髪の少女が、視線の先にいる。
「アアアアアアアア!」
全身を駆け巡る力を燃えたぎらせて、ラングレイは敵に向かって吠えた。
体の底から我を失うほどの熱がわき上がっていた。そのとき、異形の男は感じるはずのない感覚を感じた。
通常ではあり得ないほどに発達した、鎧のような背筋に守られた背中の中心に感じたのは、寒気だった。
振り返った。頭では何一つ考えてはいない。それはただただ、本能がさせた反応だった。
ラングレイの紅い瞳が見つめるその先で、瓦礫の山を押しのけて、街を包み込む闇よりも黒いものが出てきていた。
「ああ、すみません。お待たせしてしまったみたいですね」
そう言ってすまなそうに笑う銀髪の青年のこめかみからは、赤い血が流れている。
彼の様子は先ほどとなにも変わらない。右手に持った黒い剣も、身に纏う禍々しいアニマも同じだ。
だがそれでも、ラングレイには何かが根本的に変わってしまったように思えてならなかった。
「それじゃあ、続けましょうか」
黒い剣を構え直して、銀髪の青年が言う。
ラングレイは敵が動くのを待たなかった。
「アアアアアアアア!」
本能の命ずるままに雄叫びを上げながら硬い地面を蹴る。
突撃のさなかに右手をかざし、秘薬で増幅されたアニマで自分の脇に強靱な障壁を作り出す。それを足場にして軌道を変えながら、敵めがけて蹴りを繰り出す。
黒い刃が煌めいて、銀髪の青年はラングレイの蹴りをかわしながら切りつけてきた。素早く、撫でるように斬られた脚からまた赤い血が噴き出す。
こんな傷はすぐに治る。ラングレイはそのままアルヴァンに追撃をかけようとした。
しかし相手の方が速かった。
「やっぱり治りますよね」
そう言いながら、アルヴァンは次の斬撃を繰り出してきていた。とっさに下がったものの、黒い剣の切っ先はラングレイの右の腰を斬っていた。
またも勢いよく血が噴き出し、同時に出来た傷を癒やしていく。
痛みはある。だが頭の芯を焼くような熱さが勝る。
ラングレイは傷を無視してアルヴァンを攻めようとした。
しかし相手の方が速かった。
自分よりも遙かに。ずっと。
右の肘、右の頬、左の肩、胸、右の腿。アルヴァンが持つ黒い剣は、大幅に強化されたラングレイの目ですら霞んでいるようにしか見えない速さで、異形の肉体を次から次へと切り裂いていく。
黒い剣閃が走り抜けるたびに、夜の闇をラングレイの血が赤く染めた。
別に無抵抗で斬られていたわけではない。
回避が間に合わないのならばと、増幅されたアニマを防御に回し、守りを固めもした。
だがそれでも、大幅に強化された肉体とアニマをもってしても、不気味な黒いアニマを纏う刃を止めることは出来なかった。
なんだこれは。
ラングレイは思った。
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