第39話 別に! なんでも! ありません! わ!

「根性は認めますわ。ですが、もう終わりでしてよ、市長閣下。アルヴァン様のお手を煩わせるまでもありません。その命、このわたくしが燃やし尽くして――」


 ため息をついて腕を持ち上げようとするバルドヒルデを、アルヴァンは手で制した。


「待って。ラングレイさんはなにも考えずに起き上がったわけじゃない」


 アルヴァンが言った。満身創痍のラングレイを見つめるその瞳は期待に輝き、顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。


「ぬぬぬぬぬ……。アルヴァン様がそうおっしゃるのであれば……」


 不満そうにしながらもバルドヒルデは上げかけていた手を下ろす。


「ありがとう、ヒルデ」


 アルヴァンは礼を言った。


「それと、下がっていてもらえないかな。この人とは、僕がやりたい」


 銀髪の青年は腰に差した漆黒の剣に手をかけていた。その体からは、どす黒いアニマがにじみ出ている。


 ラングレイは震える右手を懐に入れると、小さなビンを取り出した。ガラス製のビンはとろりとした紅い液体で満たされている。ごくわずかな量に過ぎなかったが、その紅い液体からは強力なアニマが感じられた。


「なにを出すかと思えばわたくしの血ですか。そんなもので今更なにをすると――」


「いや、これは違うよ」


 あきれたように言うバルドヒルデの言葉をアルヴァンは首を横に振って否定した。


「その通りだ。これは長い時間をかけて私が調合した秘薬……。貴様の血液が元になってはいるが、街の住民たちに配っているものとは全くの別物だ……。万が一、封印が解けてしまったときに、貴様を始末するための、切り札……!」


 そう言ってラングレイはビンのふたを開け、中身を一気にあおった。


 その動作は緩慢だったが、アルヴァンは止めるそぶりすら見せなかった。銀髪の青年は抜きはなった漆黒の剣を両手で構えたまま、期待と興奮に満ちた目でラングレイを見つめているだけだった。


「……奪わせは、しな……い。もう、二度と……もう、誰も……!」


 ラングレイが空になったビンを放り投げる。


 市長の体はガクガクと震えていた。だが、頭部から滴り落ちていた血はいつの間にか止まっている。そして、元から大柄だったラングレイの体がメキメキと音を立てて膨張していった。


 膨れあがった筋肉が着ていたダブレットを内側から引きちぎる。鋼鉄を打ち付けてあるブーツも歪んで破れた。体全体が二回りほども大きくなり、髪は地面に届くほど長く伸びて、燃えるような深紅に染まった。


 バルドヒルデと同じ紅い色に変わった瞳が、ぎょろりと動いてアルヴァンを捉えた。


「……コノムラハ、ワタシガマモル」


 おかしな発音で市長が言った。


「いいですね」


 心底うれしそうに笑って、アルヴァンは手の中の簒奪する刃を握りしめた。


――ハッ、今度はちゃんとやれよ、相棒!


「もちろん」


 アルヴァンがフィーバルの言葉にうなずいた直後、変貌を遂げたラングレイが仕掛けてきた。異常な発達を遂げた全身の筋肉を駆使して急加速した市長に対して、アルヴァンは簒奪する刃を構えて迎え撃つ姿勢を取った。


 だが、一直線に突っ込んでくるかに見えたラングレイは不意に飛び上がった。そして、空中にアニマを固めた足場を作り出し、それを蹴ってアルヴァンを飛び越していった。


「あら?」


 市長の視線の先にいたのは、バルドヒルデだった。


 ラングレイはバルドヒルデに向かって飛びながらさらにアニマの足場を蹴って加速していく。その勢いのまま、巨躯が聖女に襲いかかる。


 鋼鉄のブーツを失った代わりに、先ほどまでとは別次元のアニマを得たラングレイの巨大な足が、バルドヒルデに繰り出される。しかし、その一撃は間に入った黒い剣によって受け止められていた。


「アルヴァン様……」


 バルドヒルデは自分を守るように市長の前に立ちふさがるアルヴァンの姿に、うっとりと見とれた。


「わたくしを守ってくださったのですね! 素敵ですわ、アルヴァン様! わたくし、歓喜の涙を禁じ得ませ――」


「……つまらないことをしないでもらえますか」


 紅蓮の聖女はキラキラと目を輝かせていたが、アルヴァンは目の前のラングレイだけを見て言った。その声にはわずかばかりではあったが、確かないらだちが込められている。


「僕が先ですよ、ラングレイさん」


 アルヴァンはぐっと力を込めてラングレイを押し戻す。


「キサマ……」


 警戒するように少し距離を取りながら、ラングレイはうなった。


「イイダロウ……。ソレナラバ、オマエヲサキニ、カル……!」


 ぎょろりと動く紅い瞳が銀髪の青年を捉える。それを見たアルヴァンはうれしそうに笑った。黒い剣を覆う禍々しいアニマが、じわりと力強さを増した。


「………………」


――あん? どうした?


 無言で頬を膨らませるバルドヒルデにフィーバルが言った。


「別に! なんでも! ありません! わ!」


 バルドヒルデはそれだけ言うとぷいっとそっぽを向いた。


 それを合図にしたかのように、紅い瞳の市長と銀髪の青年が同時に動いた。


 どす黒いアニマを纏う簒奪する刃を脇に構えて、アルヴァンがラングレイに迫る。ラングレイもまた、正面から突撃していった。


 簒奪する刃は長剣だが、それでも血の秘薬で体格が増したラングレイの脚の方が間合いで勝る。塔から蹴り飛ばされた時を遙かに上回る速度で繰り出された市長の右足が機先を制した。


 しかし、楽しげな光を帯びたアルヴァンの目はその攻撃を見切っていた。


 前に出る勢いを殺すことなくしなやかに体をひねり、紙一重で蹴りをかわすとともに漆黒の剣でラングレイの右足を深く切り裂く。傷口からは異様なほどの勢いで真っ赤な血が噴き出した。


 アルヴァンが驚いたように少し目を見張る。

 あふれ出た大量の血液は瞬く間に傷口を覆い尽くし、組織を癒着させ、簒奪する刃がつけた傷をふさいでしまった。

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