あの悪夢 (『囚われる』番外編)

緋雪

第1話

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 行き止まり。

 

 細い路地の突き当たり、行き止まりに僕はいる。両側はコンクリートの壁。奥の左側に小さな門があり、勝手口のようなドアがその向こうに見える。この道は、この門への通路なのだろう。


 後方に向かって出ると、住宅街になっている。出口の電柱に小さく何かのマークが書かれたシールが貼ってあるが、意味はわからない。


 近くに喫茶店や花屋、パン屋などもある、普通の住宅街なのだ。けれど、視野に屋台の赤提灯が入った途端に、また、同じ行き止まりの前に戻されてしまう。



 実際に、その屋台の赤提灯を見たのは、あの行き止まりの壁の向こう。見たのは、一番最初に来た時一度だけだ。壁の段差に足をかけ、壁の向こうを覗いたら、その屋台があったのだ。


 赤提灯を掲げる屋台の向こうには何も見えず、その何もないところから、太った男たちが来て、屋台ののれんをくぐる。客のようだ。


「モモをタレで焼いてくれ」

「へい」

「お、珍しいな、女かい。じゃあムネを塩で」

「へい」

「お、生でもいけそうだな。二の腕を貰おうか」

「へい、お待ちを」


 そんな声が聞こえてくる。


 女? 二の腕?


 店主がこちらを見たような気がして、慌てて段差から降り、隠れるように座った。


 何の肉だろうと思いながら、タレの匂いに、焼き鳥に違いないと思う。そう思いたかった。

 何もないとこから人が現れるというのが不思議だが、夢の中ではよくあることだ。



 その夢を見始めてから今回で9回目。一体いつまでこの夢を見るのだろう。


 そう思っていた時だった。


 初めて、門の中から人が出てきた。老人だった。


「サイトを見て来た人でしょうか?」

「サイト?」

「また迷子か……」

 迷惑そうに老人がつぶやく。

「迷子?」

「お前さん、今、夢の中だろう?」

「あ……はい、多分」

「この夢は何回目だ?」

「これで……9回目です」

「ふむ。見つかったようだな」


 そんな意味不明なことを言われていると、一人の男がやってきた。

 老人は、物陰へと僕を隠した。


「あ、あの、ここで合ってますか? そこでマークを確認したんですが……」

「サイトを見て来られましたか?」

「ええ……」

 顔色が悪い。ひどくやつれている。

「よくいらっしゃいました。では、どうぞ、中へ」

 老人が静かに声をかけると、すがるような声で男は言う。

「あ、あの! 死にたいんです、僕はまだ、本当に!」

「大丈夫です。気持ちがラクになりますから。どうぞ、中へ」

 中に合図すると、中から二人の男が現れ、柔らかい物腰で二、三言声をかけると、その人をドアから中へ連れて行った。


「まだ……死にたい?」

 どういう意味があるのだろう……。


「どういうことですか?」

 僕は、立ち上がると、老人に問いかける。

「お前さんには教えておいた方が早いな」

「何を?」

「ここはな、『自救会じきゅうかい』、即ち『自殺願望から救う会』の入り口だ。」

「じゃあ、今の人は……」

「自殺願望がある人だな。それをこの中で治療して、ラクになって帰ってもらっているんじゃ」

「僕には自殺願望なんかない」

「お前さんは、夢からここに迷い込んだだけだからな」

「どういうことですか?」

「この場所にはな、空間のひずみがある。」

「歪み?」

「本来は、この場所はないんじゃ。が、一日のうち数回、数分だけ現れる。自殺願望のある人間が、ここに来られるようにしてあるんじゃよ。」

「じゃあ、そんなもの持ってない僕が何でここに?」

「時々、空間の歪みが、夢にまで作用してしまうことがある。それで、お前さんのような、関係のない人間が迷い込むことがある」

「僕は、どうやったら、この夢を見なくなりますか? 段々気持ちが悪くなって……。」


「はぁ……」

 老人は一度、溜め息をつく。これはよくある質問なのだろうか?


「屋台を見た者は、この場所からは逃げられんのじゃよ。どこに逃げてもここに戻されてしまう」

「そ、そんな!」

「何も見ず、反対側から出て行った者は、何事もなくこの夢から離れられる。が、ここがどんな場所か知った者、この壁の向こうの屋台を見た者は、この中に入って正面玄関から出るしかないんじゃ」


 僕はホッとした。

「そうか、正面玄関から出ればいいだけなんですね? どう行けばいいのか教えて下さい」

「誰にも見つからず正面玄関から出なければ助からない。中の構造は教えるわけにいかん決まりじゃ」

「見つかったらどうなるんですか?」

「肉は食われ、骨は埋められる。それだけじゃ」

 僕は、あの屋台の会話を思い出した。まさか、あそこで食べられているのは……。


「自殺願望がある奴は、殺されて幸せになれる。肉を食いたい奴はその肉が食えて幸せになる。誰も困らないだろう?」

「それは自殺幇助、いや、殺人だろ?」

「いや、『安楽死』させてやるだけじゃよ。死にきれん奴を確実に死なせてやってるんだからな」

「大体、自殺願望のある人を助ける場所って言ってるんだろ? どっかのサイトで?」

「そうじゃなあ。それは上の決めることでな。わしはただ、ここで案内をするだけの係だから、詳しいことは知らんのじゃよ」

 老人は、とぼけた顔をした。


「正面玄関から出ればいいだけなんですね?」

「誰にも見つからず、声も出さずにな」

「見つかったらどうなるんですか?」

「だからさっきも言っただろう。お前さんも肉と骨になるだけだよ」

「夢の中のことですよね? そんなの死んだからって現実じゃないんでしょう?」

「現実でも、似たような死に方をする」

「なんで……僕が何したっていうんですか?」

「運が良ければ、逃げられるさ」


 僕は正直、どうしていいのかわからなかった。

 逃げたい。もうこの夢は見たくない。こんな変な空間に囚われているのだ。早くなんとかしたい。でも……。

 そう思っていると、老人が言った。

「夢から来た者にはな、3回、チャンスが与えられる」

「えっ?」

「1回目で殺されても、現実世界で死ぬことはない。が、3回目で殺されると、それで終わりじゃ」

「1回目で死ぬことはない? 本当に?」


 僕は考えた。

 とりあえず中の様子を見て、どう逃げるべきか考えるのも有りかもな。夢の中で殺されたからって、怖い夢を見た、ってだけだもんな。

 チャンスは3回ある。


「行きます」

 僕は、覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る