書き下ろし~ラッキーナンバーに願いを込めて~
Youlife
ラッキーナンバーに願いを込めて
あの夢を見たのは、これで9回目だった——。
時々思い出したかのように、繰り返し出てくる夢。
大手雑誌社の文学賞を受賞し、本を出すことが決まった夢。
子供の頃からずっと思い描いていた作家になる夢が叶い、歓喜する夢。
仕事や家事をこなしながら、ずっと続けていた努力が報われる夢。
表彰式の会場で、家族から渡された花束を抱えながら涙ぐんでいる夢。
でも……普通に考えたらとても叶いそうにない夢。
なのに、何でこんなに何度も繰り返されるのか。
「あおい、起きろよ!」
夫である隆介の叫び声で、あおいはようやく目が覚めた。
小説を仕上げているうちに眠気に襲われ、ダイニングテーブルの上に置いたノートパソコンの前で顔を伏せて寝付いてしまったようだ。寝ぼけまなこをこすりながら大きなあくびをしたあおいに、隆介は眉間に皺を寄せながら壁に掛かった時計を指さした。
「ごめん、もうそんな時間なんだ……」
「今日はフミの高校合格祝いで、久しぶりに外食する約束だろ? まさか、忘れてないよな?」
「だよね……なにやってるんだろ。のんきに寝てる場合じゃないよね」
「仕事で疲れてるのは分かるけど、外食の約束破ったら、さすがのフミもキレちまうぞ」
「いや、仕事じゃないのよ、これは」
あおいは、自分の机の上を指さした。ノートパソコンには、縦書きの文章が画面いっぱいに表示されていた。
「なんだ……物書きになることを、まだ諦めてないんだね」
「『なんだ』? そんな言い方しないでよ!」
「でも、公募に入賞したのって、確か最初の時だけじゃないか。あれはビギナーズラックだったんだよ。その後は全然、鳴かず飛ばずだろ? 悪いけれど、それがお前の実力なんだよ……」
「わかってる! わかってるけど……このままでは納得できなくて」
あおいはノートパソコンのキーボードに手を置いたまま、言葉少なめに語った。
隆介はあおいの様子を見て、鼻の辺りをこすりながら苦笑いした。
「……まったく、昔から諦めが悪いよな、あおいは。でも、俺はそんな所に惹かれたんだよな」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもないよ。先に行ってるから、早く準備しろよ。フミを怒らせないうちにな」
隆介は顔を赤らめながら、そそくさと玄関へと向かっていった。
あおいはもう少し作品を手直ししたかったが、文美音の約束を破ることの方が心苦しかった。折角の合格祝いをすっぽかしたら、後々まで恨まれてずっと嫌味を言われるのは勘弁してもらいたかった。
あおいは仕事の傍ら、子どもの頃からの夢である作家を目指し、小説やエッセイを書き続けていた。最初に書いた「青春のリグレット」が、応募した文学賞で奨励賞を獲得したのをきっかけに、暇を見ては雑誌社や新聞社主催の公募に作品を送り込んでいた。しかし、最初の入賞以来、作品がなかなか日の目を見ることは無かった。だからこそ、提出する前に出来るだけ時間をかけて、作品を完璧に仕上げたかった。
あおいは、家族とともに電車を乗り継ぎ、ミッドタウン日比谷に到着した。
チーズが好きだという文美音のために、隆介がミッドタウン内にある産地直送の手作りチーズを売りにするイタリアンレストランを探し出し、予約してくれた。
ビルからは緑に囲まれた皇居や日比谷公園が見え、都心にありながら落ち着いた雰囲気があった。
前菜にも、野菜と共にチーズが盛り付けられ、文美音は我先にとトングでチーズばかりを取り出していた。
「こら文美音、野菜も食べなさい。トマト、みずみずしくて美味しいわよ」
「嫌だ。私、チーズだけで十分だから。パパとママこそ、歳を召してビタミン不足にならないよう、しっかり野菜を食べてくださいな」
文美音はあおいの忠告を一切無視し、チーズを次々と口に頬張っていた。
「ところでフミは、高校に入ったら何をするんだ? バイト? 勉強? 部活?」
「もちろん部活でしょ? だって、軽音楽部があるんだよ? 仲間とバンド組んで、いろんなジャンルの曲を演奏してみたいな」
「ふーん、文美音は子どもの頃ピアノやっていたから、キーボードをやりたいのかな?」
「ブッブー、違います。ギター希望なの」
「ギター? あんた、やったことないのに?」
「フミは俺の部屋に置いてあるエレキギターを子どもの頃からいじってたんだよ。出る音がピアノよりもかっこいいってさ」
隆介はギターを弾くしぐさをみせながら、得意げな様子で語っていた。隆介は若い頃ロックバンドを組んでおり、今も当時使っていたギターを部屋の片隅に置いていた。
「どういうことよ? ピアノの練習、あんなに一生懸命やってたじゃない? コンクールにも出たし、それなのに……」
あおいはマルゲリータのピッツアを口にしながら、何度も首を傾げていた。
「フミは小さい頃、お前が仕事でいない間は俺の部屋でよく遊んでいたんだ。俺のギターに興味示してさ。だから俺、フミにギターの弾き方を教えてあげたりしたんだ」
「そう、鼓膜が破けそうな凄い音が出てビックリしたけど、それがだんだんカッコいいって思うようになってさ! パパが聴いてるビートルズやジョン・レノンの曲に合わせてギターを弾いたりしていたんだよ」
「そうか……隆介、昔から好きだもんね、ジョン・レノン」
あおいは普段家に居ない時間が長く、逆に隆介はフリーライターとして家に居る時間が長い。二柳家の現状がそのまま文美音の嗜好に強い影響を与えてしまったようだ。
「パパのお陰で、私もビートルズやジョンの曲を小さい頃から良く聴いていたんだよ。特に好きなのが、聴いててすっごく眠くなりそうな感じの曲なんだけど……ごめん、すぐ名前が出てこないや」
「ああ、『
「私、子守唄代わりに聴いてた思い出があるよ。あまりにも心地よくて、聴いてるうちにウトウトしてきちゃうんだ」
「アハハハ、確かにすごく眠たくなるもんな。ちなみにジョンは『9』がラッキーナンバーだからと言って、自分の作った曲にも『9』を付けてるんだよ。例えば『レボリューションNo.
あおいは二人の会話を聞きながら、自分のラッキーナンバーが何番だったのか気になった。過去のラッキーな出来事を思い出しながら、探り出そうとしたものの、記憶をいくらたどっても、それらしき数字は出てこなかった。
「ねえママ、何ボケっとしてるのよ? ほら、クワトロフォルマッジが来たよ。チーズと蜂蜜がたっぷりで、美味しそう! ママの分も食べちゃおうかな」
「だ、ダメだよ。私、蜂蜜は好きだから、これは文美音にはあげないからね」
「ケチ! じゃあ、こっちのチーズ一皿、全部私が頂くからね」
テーブルに向かい合ったあおいと文美音は、互いに食べたい料理の載った皿を持ったまま睨み合っていた。間に挟まれた隆介は、肩身の狭い思いをしながら延々とワインを飲み続けていた。
自宅に帰ると、あおいはダイニングテーブルの上に置いたままのノートパソコンを立ち上げた。
締切りがあと三日後に迫り、作品そのものは完成していた。あとは、主催者に送るタイミングをいつにするかだけであった。
ここまで何度も落選を経験したあおいは、時間が許す限り作品を完璧に仕上げたかった。しかし、推敲すればするほど粗が目についてしまった。
この言葉でいいのか、ベタな展開になっていないか、登場人物はもっとアクが強い方がいいのではないか——等々。
結局「このままじゃ今回もダメだろうな」と気持ちが萎えてしまい、作品を送るタイミングがどんどん後送りされていった。
時計の針は十二時を回り、次第に眠気に襲われ、頭の中がもやもやとし始めた。
明日は仕事で、家を早く出発しなければならない。
あおいはキーボードから手を離し、大きなあくびをすると、ノートパソコンを閉じて寝る支度をしようとした。
「今夜もまた同じ夢を、見るのかなあ……」
思い返すと、同じ夢を見たのはさっきの昼寝で九回目だった。
そう言えば、食事会の中で、隆介がジョン・レノンのラッキーナンバーを「9」だと言っていたような記憶があった。
「いちかばちか、賭けてみるか……!」
あおいは咄嗟に立ちあがると、隆介の部屋へと駆け出していった。
「ごめんね、ちょっといいかな?」
「なんだよあおい、まだ起きてたのか?」
隆介はウイスキーの入ったグラスを手に、少し充血した目であおいを睨んでいた。どうやら食事から帰った後、ちびちびと晩酌をしていたようだ。
「ジョン・レノンのラッキーナンバーは、『9』だったよね」
「そうだけど?」
「わかった、それだけよ。おやすみなさい!」
「な、何だよ。変なの」
あおいは隆介の部屋の扉を閉じようとしたが、その時、壁に貼られた大判のジョン・レノンのポスターが目に入った。
「ごめんねジョン、私にちょっとだけあなたのラッキーパワーを貸してくれるかな?」
あおいは両手を合わせながらそう呟くと、不審者を見ているかのような隆介の視線に耐えつつ、そっと部屋の扉を閉めた。
九回目の夢——きっとここが踏ん切りをつけるいいタイミングなのかもしれない。
もちろん、ジョン・レノンのラッキーナンバーとあおいのラッキーナンバーが同じ可能性は限りなく低い。でも、いつまでもウジウジと決断できないでいるならば、ここは一つジョンの力を借り、少ない可能性に賭けてみようと思った。
あおいは再びノートパソコンに向かうと、作品を完結させ、データを文学賞の主催者へと送った。
これでもう後戻りはできない。ここからできることは、どんな結果になるか、祈るような気持ちで発表の時を待つことしか無かった。
★★★★
「ただいま」
作品を提出してから二か月後、時計が午後九時を指そうとする頃にあおいは仕事から帰宅した。
「あおい、ちょっとこっちに来いよ」
エプロンをかけた隆介が突如台所から顔を出し、突如あおいを手招きした。
「どうしたのよ、急に」
「これ、お前にって。さっき速達で来たんだよ」
「八州出版? え? まさか……」
あおいの名前が書かれた封書の裏には、あおいが申し込んだ文学賞の主催社名が書いてあった。あおいは息せき切ってはさみを探し出し、封を開けて手紙を取り出した。
「入賞のお知らせ?」
あおいの作品は、審査員特別賞を受賞していた。
惜しくも大賞には届かなかったが、七年前に別な文学賞で奨励賞を獲って以来の快挙となった。
「どうした? 結果は」
「入賞……したみたい」
「すごい! 俺にも見せてくれよ」
隆介はあおいの手から手紙をさらうと、食い入るように見つめた。そして、読み進めるうちに、隆介の手紙を持つ手が震えだした。
「ど、どうしたの?」
「これ、ただの入賞のお知らせじゃない。本として出版したいので、お話を聞かせて欲しいって書いてあるぞ」
「ええ?? ほ、ホントに?」
隆介は、手紙の最後に書かれた「※」の部分を指さした。
そこには、主催会社としてはこの作品を本として出版したいので、一度相談の機会を設けたいとの但し書きが記してあった。
「よかったなあ……毎晩遅くまで頑張って書いた努力が実ったね」
「違うよ。私の力だけじゃないよ」
そう言うと、あおいは隆介の部屋に入り、壁に貼られたジョン・レノンのポスターの前に立った。
「ジョン、ありがと」
あおいはジョンの写真にそっと口づけした。
「おい、何やってるんだ! 今、俺の大事なジョンに、キスしただろ?」
隆介は慌てて両手を広げてジョンのポスターの目の前に立った。
「お礼をしただけよ。私からジョンに、ささやかなお礼をね」
「ジョンがお前に、何かしてくれたのか? ジョンはもうこの世にはいないんだぞ? 頭、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。さ、早速打ち合わせの予約をしないとね。それから、表彰式に着ていくスーツも選ばなくちゃ。会社に着ていく服じゃ地味だもんね。あ、そうそう、隆介も文美音とともに表彰式に来てよ。花束持参でね!」
あおいは捲し立てるように話すと、ジョン・レノンのポスターの前で呆然としている隆介の前を鼻歌を歌いながら通り過ぎていった。
時計の針は、ちょうど午後九時を指していた。
ポスターに写るジョンの写真は、心なしかはにかんでいるように見えた。
(了)
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