第9話。針と糸の交響曲:七海とひとみの、静かな祝祭
7SEEDSデザイナーズオフィス。窓の外は、東京の喧騒を微かに伝えるだけの、静謐な夜だった。 篠原七海は、額にうっすらと汗を浮かべながら、丁寧にドレスの裾を調整していた。 それは、彼女が数週間、寝食を忘れて作り上げた、渾身の傑作。 深い藍色の生地は、月の光を吸い込み、神秘的な輝きを放っていた。
七海は、完成したドレスをゆっくりと回転させ、その完璧なシルエットを確かめた。 細かいプリーツ、繊細な刺繍、そして計算し尽くされたドレープ… 全てが、彼女の並々ならぬ情熱と、卓越した技術の結晶だった。 しかし、その完璧なドレスよりも、七海の心を強く惹きつけていたのは、別の何かだった。
それは、このドレスを誰よりも早く、誰よりも先に見て欲しいという、切実な願い。 そして、その相手は、このオフィスの受付、佐藤ひとみだった。
数ヶ月前、七海は、このプロジェクトの企画段階で、大きな壁にぶつかっていた。 デザインは完成していたものの、技術的な問題、そして時間的な制約から、完成は絶望的と思われた。 そんな時、ひとみは、七海に勇気を与え、背中を押してくれた。 彼女は、七海の才能を信じ、彼女の情熱に共感し、あらゆる面でサポートしてくれた。 七海にとって、ひとみは単なる受付担当ではなく、かけがえのない存在、そして恩人だった。
七海は、深呼吸をして、ひとみのいる受付へと向かった。 彼女の足取りは、普段の力強い歩みとは少し違っていた。 それは、緊張と期待、そして深い感謝の気持ちで満たされた、静かな歩みだった。
受付には、いつものように、穏やかな笑顔で来客に対応するひとみがいた。 七海は、ひとみに気づかれると、少し照れくさそうに、そして誇らしげに、ドレスを差し出した。
「ひとみさん…見てください。」
七海の言葉は、静かで、少し震えていた。 ひとみは、七海の表情をじっと見つめ、その瞳に宿る、強い意志と、静かな喜びを感じ取った。 そして、ゆっくりとドレスを受け取った。
ひとみは、ドレスを丁寧に広げ、その美しいシルエットに見入っていた。 彼女の表情は、驚きと感動、そして深い共感で満たされていた。 それは、単なる服を見る表情ではなく、七海の魂が込めた作品を理解し、その情熱に心を打たれた表情だった。
数分後、ひとみは、ゆっくりと顔を上げ、七海を見た。 彼女の瞳には、涙がキラリと光っていた。 それは、喜びの涙、そして、七海の努力と才能への感動の涙だった。
「七海さん…本当に…素晴らしいわ。」
ひとみの言葉は、七海の胸に、温かい光を灯した。 それは、単なる褒め言葉ではなく、ひとみからの、心からの祝福だった。 七海は、ひとみの言葉に、全ての苦労が報われたような、深い安堵感を感じた。
その瞬間、オフィス全体が、静かな祝祭の場へと変わっていた。 それは、針と糸の交響曲、七海とひとみの、静かな、そして美しい物語だった。 ドレスは、単なる衣服ではなく、二人の絆、そして七海の才能と努力の証として、そこに存在していた。 そして、その輝きは、これからも、ずっと、二人の心に灯り続けるだろう。
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