Avenger
緋西 皐
道化師は笑う
適当に生きてきたわけじゃない。お前みたいな弱虫が被害者ぶるたびに心底腹が立つ。だから俺はお前を追放した。あの砕けそうな満月の夜、ありきたりな酒場の日常。
「君よりも優秀な人材が入ったからもう来なくていいよ」
彼はそう告げられた。いつもより何時間も早く馬車に揺られた。馬の蹴る音は、その後ろに去っていくのは、彼のどこか体の一部のようだった。彼は失った。
彼は何年かけてここまで来たのだろう。何を耐えて我慢して来たのだろう。自宅の部屋の有り余る時間は、その部屋の空っぽさを、彼に何も無いのを思い知らせた。
その窓を叩く誰か不審者。歪に気持ちの悪い、歯茎剥き出しで笑う道化師。道化師は「窓にへばり付くのは大変だ。開けてくれ」と叫んだ。彼はお得意の見て見ぬふりをした。すると道化師は夏の蝉か、過ぎ去りしの後悔のように、喧しく何度も叫び窓を叩いた。彼は負けた。
「あなたは幸運です。どうですか。私と出会ったのです。どうですか。私をどう使いますか。どうですか。私と出会ったのです。どうですか。あなたは幸運です――ここに力はあるのです。知らしめませんか」
道化師の憎たらしさに惑った。あれが自らのものだとわかった。俺は凍った涙の道を炎で焼き尽くして歩くと決めた。道化師は笑った。俺の頭のネジを一つ寄越せと言った。俺は差し出した。時は巻き戻る。俺はお前を殺しに行く。ついに行く。
俺は得た力を以て悪党をねじ伏せた。自分の人生の重さを知らしめた。俺はいくつもの悪夢を焼きつくした。人々を救った。有り余るほどの力が世界を糾弾した。
古きを焼き払い、新しきを為した。同胞を得た。私たちはその空白の大地に虹色の街を建てた。そこに在るべき形の校舎と図書館を建てた。陰謀論を語る長老たちはもれなく穴に埋めた。
俺はありとあらゆる幸福をこの手にし、人生の回答になった。世界で最も強い人間になった。全ての女を我がものとした。膨大な土地を自由にした。各地で平和を訴え、その為に戦った。払った代償の分まで、今までを無駄にせぬように戦った。
「誰が悪者なんだ? 誰が? なぁ誰がだ?」
道化師は俺の耳を齧らんばかりに顔を寄せてよく訊く。俺は言うまでもなく力を行使した。俺が悪とするのは、あの理不尽で満たされなかった世界、あのような人間のいる世界。お前がいる世界。
幾つかの日常と戦いを経た。だが復讐は終わらなかった。次の敵、次の悪党が現れては邪魔をする。俺はそのたびに焼き払った。
新月の鳴り響く夜。俺は運悪く流れ弾があたった。普段ならどうも無いものの、その夜は少し疲れていた。帳は落ちていた。街の灯は静かだった。
伝令がそこにやってきて知らせた、勝利したと。奇妙なことにそれが、この夜ばかりは小鳥のさえずりのように美しく聞こえて、あの復讐心が息を潜めた。だからその後悔のない人生に酔って、眠ることにした。
俺の街が出来上がるのを感じた。荒々しい声は大工の仕事模様で、柱を立てている。ほんのりと感じる熱は、それら人を労う工房の釜土だ。刺々しい風は添えられる薔薇ゆえの摩擦だろう。それも町を思うがこそ。
――白い空白に目を眩ましたばかりに道化師は笑う。彼を笑う。栄える景色はまさしくその街の炎に包まれるさま。そして道化師は笑う。彼をあざ笑う。その火種は誰が持っていたか。
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