目覚めの扉

今井涼

目覚めの扉

あの夢を見たのは、これで9回目だった。


目覚めるたび、胸に奇妙なざわめきが残る。同じ場所、同じ空。石畳の道を歩き、古びたカフェの前に立つ。扉の向こうには誰もいない。それでも、なぜか心は懐かしさに満たされる。風が頬を撫で、どこかから微かにコーヒーの香りが漂ってくる。


「おかえり」と誰かが囁いた気がした。


目を覚ますと、現実のはずの世界に戻る。けれど、違和感は消えない。目に映るものすべてがどこかぼやけていて、何かが欠けている気がする。まるで、本当に目覚めたのか疑わしいような。


日常はどこか曖昧で、昨日と今日が溶け合っていく。誰かと交わしたはずの会話も、指の隙間から零れ落ちるようだった。時計の針の動きすら信じられず、私は確かなものを探していた。


そして今見たばかりの、9回目の夢。私はいつものようにカフェの前に立っていた。けれど、扉は開いていた。微かなコーヒーの香りが強くなる。中には見知らぬ男がいた。男は静かに私を見つめ、静かな声で言った。


「ここは夢じゃない。君が今いる場所こそ、夢なんだ。」


私は笑った。「そんなわけない。だって、私は……」


言葉が続かなかった。喉の奥が苦しくなる。目の前が揺れる。視界がひび割れ、景色が静かに崩れ落ちていく。まるで、ガラス細工が砕けるように。頭の奥で、何かが弾ける音がした。


「さあ、もう帰ろう。」


男が差し出した手に、私は躊躇いながらも指を重ねた。その瞬間、視界が白く塗りつぶされる。温かな感触が手のひらに残り、次の瞬間には消えていた。


──目を覚ますと、私はカフェの前に立っていた。


どうやってここまで来たのかも覚えていない。


それが、最初で最後の“現実”であるかのように。私は扉を見つめながら、ふと自問する。


「今、私は目覚めているのか?」


その問いに答える者は、誰もいなかった。ただ、風だけが静かに頬を撫でていった。そして、どこか遠くで扉が開く音が聞こえた気がした。


その音が、私を迎え入れるのか、それとも遠ざけるのか。私は静かに目を閉じた。答えは、きっと夢の先にしかないのだろう。だから、私は歩き出す。この扉の向こうにある、確かな何かを確かめるために。一歩、一歩、確かめるように。

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目覚めの扉 今井涼 @imai_ryo

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