春の夢
ひゃくえんらいた
春の夢
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
8回目でもなく、10回目では遅過ぎる。
今日、あの夢を見たのは9回目なのだ。
私はこの時になってようやく、
そもそも何故、怯え始めたのがこのタイミングなのか。
何せもう9回もあの夢を見ているのだ。
もっと早く焦り、真剣に考え始めていればやりようもあっただろうに。
だがしかし、それは結果論でしかない。
人は理解が及ばない出来事に
まして正しく状況を読み取ることなど出来る訳もない。
もしそれが出来る者があるとしたら、この物語の筋書きを知る作者くらいのものだろう。
さて、私がこの夢を初めて見たのは5日前のことだ。
大変な悪夢であるとは思ったが、それだけだ。
目覚め、夢現に冷や汗をかき、初めは喉の奥がカラカラであった。
けれども目覚めてしまえば夢は私を追ってはこれない。
夢とは誠に不自由なもので、醒めてしまえばそれまでなのだ。
それは一種の全能感を私に与えた。
私は安堵し、すぐにあの夢のことなど忘れてしまった。
けれどもその夜もあの夢を見たのだ。
僅かに内容は変わっていたが、おおよそのところは変わっていないと言って過言無い。
目覚め、私はまず自分が疲れていると思った。
精神的にも、そして肉体的にも。
というのも、私はこの夢を見る随分と前から夜中に目覚めることが常となっていた。
寝つきは良いのだ。
けれども必ず夜中の2時ごろに目が覚める。
意識が冴えてしまった私は、そこから再び入眠するまでにかなりの時間を要する。
気づけば明け方、なんてざらだ。
随分前に風邪をひき、かかった病院でそのことを聞き出された。
するとそれは眠っていないのも一緒だ、と、医者は言った。
だからその医者が以前に処方した睡眠薬を私は飲んだ。
不眠は体力を削り、肉体の衰弱は精神をも
とにかく私は睡眠薬を飲み、眠り、そしてまたあの夢を見た。
3回目だ。
あの夢を見るのは、もう3回目。
しかし人はただ生きているのでは無い。その日は金曜日だった。
私の仕事はカレンダー通りの休みとなっている。であれば金曜日も当然仕事なのだ。
どれだけおかしいと思ったところで、たかが夢のことだ。
実生活に勝るものなどないのだから、私は心にささくれのようにひっかかったあの夢を、考えないようにして仕事に向かった。
楽しい夜だった。
久しぶりに友と会い、酒の肴に思い出話に舌鼓し、日付が変わってから帰宅をした。
春の気配がするとはいえ、夜中となればまだ寒かった。
昼間は暑いからと薄着で出掛けた私は、寒さに体の芯まで冷えていたから、まず風呂に入った。
酒にひどく酔っていたのだ。
一人暮らしで深酒をし風呂に入るのは自殺行為だろう。
常ならばやらない危ない行為だ。
しかしその日はあの夢を忘れたいと言う
ふわふわとした気持ちのままに入浴をし、そして私は浴槽の中で4回目のあの夢を見て、目覚めた。
湯船はすっかり冷めていて、私は意識朦朧としながら体を拭き、パジャマを着て、ベッドへと入った。
寒気に布団を深く被ったが、がちがちと歯が軋むくらいに私は震えた。
これは高熱だろう。経験から分かる。
あの夢のことなど考えてはいられなかった。
否、私は考えないように努めた。
とにかく疲れと酔いと体の痛みと頭痛が私を襲い、私は寝た。
ここまでいけば、もう分かるだろう。
これで5回目だ。
6回目、7回目。
なす術もなく、回復するために寝る度に、あの夢を見た。
8回目を前にして、私はようやく回復し、ベッドから起き上がった。
日曜日になっていた。
ここまでくれば、私もさすがに焦りだし、これはどうしたことだろうと頭を抱えた。
まずはインターネットで検索をした。
夢占い、都市伝説、掲示板の書き込み。
インターネットで探せるであろう情報は全て漁った。
しかし私と同じような状況の者はいなかったし、そんな話はどこにもなかった。
夢占いはなんとも的外れであった。
これは吉夢、新しい段階への移行や未来への希望の象徴、深層心理からの重要なメッセージ、そんなことが書かれていた。
あぁそうかと納得してしまいたかったが、だがそれは違う。
何せ私は同じ夢を7回も見ているのだ。
これが何かの啓示やシンボルだというのならば余りにもしつこい。
そんな不確かなものに縋るようなことはやはり出来ない。
私はお祓いについて調べ、早速神社へと向かった。
初穂料は安くはなかったが、やらないよりはマシだろう。
次に私は日曜日も空いているという繁華街の病院へと向かった。
心のクリニックだ。
これが何らかの病気である可能性は捨てきれない。
医者は
軽くあしらわれたのだと感じた。
病名が欲しいのだろうと、そういう顔をしていたと思う。
その頃にはもう夜になっていて、私は夕飯を済まし、歯を磨き、風呂に入り、そしてベッドに入った。
手がじんわりと熱くなり、私は暗闇が怖くなり、明かりをつけたまま眠った。
眠れたかと言えば、眠れてしまった。
夢を見るのは怖いのに、お祓いに行ったことが私に変に希望を与えていた。
まぁ、分かるだろう。
疲れていたからその日はぐっすりとよく眠れた。
8回目の、あの夢も見た。
月曜日だ。
私はすぐに有休を取った。ひどい風邪を引いたと上司に伝えた、嘘はついていない。
私は友を頼ろうとした。
しかし月曜日だ、働いていない友もいるが、そういう奴は朝早くから起きてはいない。
誰にもつながらず、父と母の顔が過ったが、私はどうしても親には頼る気にはならず、仕方なく当てにしたのがインターネットだ。
占いの館の霊感占い。有料で直接占い師と会話が出来る、そういうサイトに頼った。
占い師は親身に、真剣に話を聞くと、最後に私に言った。
この護符を枕の下に敷いて眠りなさい。
護符は決して安くなかった。初穂料よりも高額だった。
私は買わなかった。
馬鹿にするなと、どこかでまだ余裕がのこっていたのか、私はまだ遮二無二ではなかった。
今思えば買えば良かったと思う。
効果があってもなくても、ないよりはマシに違いないのだ。
他にやれることなど思いつかなかった。
凄腕の霊能者も、やけにこの手の話に詳しいオカルトライターも、私の知り合いにはいない。
仕方なく、藁にもすがる思いでSNSに書き込んだ。
もしかしたらバズり、同じような体験をした人に繋がり、打開策を教えてもらえるかもしれない。
残念ながら、私の書き込みは特に流行ることもなく過ぎ去ってしまった。
私は疲れていたのだと思う。
ソファに座り、お気に入りの音楽をイヤホンで聴きながら気持ちを落ち着けようとして、うっかり寝てしまった。
こうして、あの夢を見たのだ。
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
10回目を見てはいけない。
これは絶対だった。
もう私は眠ってはいけない。
そのプレッシャーが吐き気となって胃からせり上がり、私は吐いた。
胃酸の酸っぱさが口の中に広がり、食道が痛い。
私も思う。
何故もっと早く
何故眠ってしまったのか。
こんなにも無防備に眠らなければ、私はもっと生きていられたのに。
けれども仕方がなかった。
どこかで馬鹿げていると思ってしまっていた。
夢が現実となることも、現実が夢に侵されることもないと思っていた。
しかしいざ、目の前まで来ると、私は俄かに怯えることを抑える事が出来なかった。
案外人間とはそうなのかもしれない。
のほほんとしている内に、もう事は取り返しのつかないところまで来てしまっているものなのだ。
あの夢は予知夢だったのか、呪いだったのか。
それとも今これが夢なのか、まだ私は現実なのか。
私は夢を見ていた。
あの夢を見るのは9回目だった。
9回目だったはずだ。
つぎはもう駄目なのだ。
夢の中で、10回目のあの夢の中で、私は。
どうだろう。
私は今起きているのだろうか?
寝ているのだろうか?
私はもう、夢を見ているのだろうか。
とても疲れて、瞼が重い。
10回目は見てはいけない。
10回目は、見ては―――
※ ※ ※
どこまでも続く暗闇だ。
深淵はぽっかりと空いているというが、今私の目の前に広がっているものこそが深淵だった。
そこにあの人が死んでいた。
あの人は死んでいたのに、立ち上がって私を見た。
1回目、あなたは「9」と言った。
2回目に「8」。
3回目に「7」、4回目に「6」。
5回目「5」。
6回目「4」
7回目「3」
8回目「2」
9回目「1」。
今、私の目の前のあなたは何も言わない。
違う、あなたとは誰だ。
あなたは私か。
あぁ、これは夢か。
これは、夢なのだ。
明日目覚めれば私は、いつも通りに会社に行って。
いつも通りに帰宅をして。
いつも通りにベッドに入る。
あぁ、けれど。
それに何の意味があろうか。
たった一人で、繰り返し繰り返し。
なんのカウントダウンも無い変わり映えの無い日々を。
繰り返し、繰り返し。
私はまた、生きるのか。
※ ※ ※
目が覚めた。
10回目の夢に、『0』はなかった。
私は生まれ変わった。
見れば時計は2時だった。
真夜中の、静かな時間。
私は空を見上げ、いつも通りの住宅街の合間の空を見上げた。
「……あぁ、星だ」
のっぺりとした濃紺の空に、ぼんやりと小さく、星は光っていた。
春の夢 ひゃくえんらいた @tyobaika
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