夢見た世界で

黒いたち

夢見た世界で

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 目覚めると、心臓が早鐘のように鳴っていた。

 眉間みけんをつたう汗をぬぐい、起きあがる。

 ふかいため息をついて、さっきまでの夢を思いかえす。

  

 夢のなかでは、恋人の涼真りょうまが、いつもの優しい顔とはちがう、不気味な笑みをうかべていた。


『ねえ、菜々緒ななお。俺のこと好き?』


 甘い声なのに、その瞳は仄暗ほのぐらい。


『ほんとに? じゃあさ、証明してよ。俺以外の男と話さないでって言ったら、できる?』

 

 夢のなかで、私は必死に答えている。

 なにを言っても彼には届かず、二の腕をきつくつかまれる。


『君は、俺のだけものだ』


 涼真の顔がどんどん歪み、世界が暗転する。

 そして目をあけると、しずかな朝の部屋になる。




 涼真のアパートのまえで、ため息をつく。

 待ちに待ったおうちデートのはずが、気が重い。

 あれは夢だと、もう一度自分に言い聞かせ、チャイムをならす。


「いらっしゃい、菜々緒。……今日もかわいい」


 うれしそうに出迎えてくれた彼に、胸があたたかくなる。

 部屋は整頓されており、私はクッションがならんだソファに座る。


 涼真がコーヒーをれる香りが、部屋いっぱいにひろがり、私の心は落ち着きをとりもどす。


「コーヒー、熱いから気をつけて。今日はクッキーを焼いたよ」

「ありがとう! 涼真のクッキー、大好き」


 涼真はほほえみ、私のとなりに腰をおろす。

 そうして、頭をこてんと私の肩にのせた。


「ねえ、俺のことも大好き?」


 甘い声に、背筋が凍る。

 夢で何度も聞いた声音こわね。いや、ただの夢だ。たとえ9回くりかえしていても。


「……大好きだよ」

「よかった」


 涼真の顔がちかづく。


「じゃあ、スマホみせて」


 その目は笑っていなかった。

 私の心臓はおおきく跳ねた。


「……どうして?」


 涼真はすこし考えるそぶりを見せたあと、やわらかく笑う。


「確かめたいんだ。俺の夢が、ただの夢かどうか」

「夢?」

「もう9回も見てる。君が浮気する夢。ただの夢だと言い聞かせてたけど、きのう大学で話していた男はだれ?」

「ただの友達だよ!」

「菜々緒、君は俺だけのものだ。絶対に」


 つかまれた腕がいたい。仄暗ほのぐらい瞳にとらわれ、私は言葉がでてこない。

 ――夢の中の涼真と、現実の涼真が、ひとつに溶けていく気がした。

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夢見た世界で 黒いたち @kuro_itati

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