第7話 しりとりのしから

「座れてよかった…」

「ですね。徒歩通学なので全く考えが回っていませんでした」

 八時に屋敷を出発し、予定通りに駅に着いた僕と綾瀬さんは、通勤通学ラッシュの波に巻き込まれるようにして電車に乗った。人の波に体を委ねる綾瀬さんに置いていかれぬよう必死について行くと、流された先に二人分の空いている席があったというわけで、運良く座れた。

「戰山はとんでもない田舎ですから、着く頃にはきっとガラガラになっていますよ」

「そっか、森林浴、楽しみだね」

「目的地は村なので森林浴ができるかは分かりませんけど少し楽しみではあります。本題は母と妹の捜索なので割とシリアスな気分ですよ、僕は」

 綾瀬さんの服装はふわりとしたガーリーなワンピースで、意外性はないものの、普段メイド服姿しか見ていないので特別感はあった。

 一方私服を普段から全くと言って良いほど着ない僕は黒のジーンズにボーダーのTシャツ。リュックサックの中に防寒用のパーカーを入れておいた。典型的な冴えない高校生だ――中学生かもしれない。すでに綾瀬さんの隣にいるのが恥ずかしくなっているのでもう服装は気にしないことにしよう。

 電車はすでに何駅か通り越していて、学生やサラリーマンが出たり入ったりを繰り返している。その中には僕の通っている木町高校の制服を着ているものもたくさんいたが、僕を僕だと認識している人はきっと誰もいないだろう。人とはあまり他人に興味がないのである。きっと、意識を向けたとしても、綺麗な風貌の綾瀬翠という人間までで、糸巻暇という僕という存在はこの車両内で綾瀬さん以外に意識している人はいない。それは寂しいことにも思えるが、外見に特出した特徴がない人間には当然のことであり、この車両においての九割は僕と等しいので劣等感を持つ必要は皆無のはずである。

 常に最悪の事態を想定している僕は現状にとても満足していた。想定していたトラブルとしては、綾瀬さんに対する痴漢や電車の事故、担任の矢尻に目撃される、などがあったが今のところどれもなさそうだった。

 実に平和である。

 これを幸先がよいと喜ぶべきか、嵐の前の静けさと身を引き締めるべきかは後者の方が賢明であるのだろうけれども、呑気な僕の脳みそは前者のような思考をしていた。

「暇だね」

「暇ですね」

「おやつ持ってきたけど食べる?」

「おやつ?何持ってきたんですか?」

「おにぎりと唐揚げ」

「おやつっていうか…、それ昼食でしょう。朝食をたべたばかりなのであまりお腹が減ってないんです」

「だよね、わたしもそう」

 ご飯は暇な時に食べるのではなくお腹が空いた時に食べる方がいい。

「じゃあしりとりする?」

 綾瀬さんは再度提案した。

 綾瀬さんの口調は平坦なもので、慣れていないと機嫌が悪いように聞こえたりするほど無愛想なのだが、僕は、ほとんど棒読みと言っても差し支えないほど覇気に欠けた綾瀬さんの声から、多少の感情を読み取ることができる。

 今、彼女はものすごく楽しんでいる。

 大の大人が『しりとりする?』と言ってしまうほどだ。自分を客観視していたら、なかなか言える台詞ではない。

 それも、年下の僕が暇つぶしに年上の先輩に甘えるように遊びを提案する、というものではない。旅行の期待に思考を乱され、特に考えもなく口から出た言葉だ。

 けれどもこれは仕方ないと思う。そもそもテンションが高いのは悪いことではないし、むしろ舞い上がった綾瀬さんは非常に可愛らしいのでむしろいつもテンションをMAXにして生活していて欲しいものである――という僕の独りよがりの押し付け願望は置いておくとして。

 お屋敷の使用人は基本的に休みなく毎日働き続けている。

 僕だって最後に休暇をもらったのは一年前だ。確かその時は高校の友達がどういうわけか命の危機に晒されていたんだっけ。その時は母様も木町さんも嫌な顔をせずに休みを受け入れてくれた。

 とにかく使用人に休みというものはない。遊びに行くにしても、それは僕であったらお嬢様の付き添いという形になる。つまり、一人で好きに使える自由時間は一日のうちで睡眠に使う時間程度のものである。

 だから黒糸縅家の人間とそれに使える使用人はお互いの生活を円滑にしてゆくため仲良くなるのは当然の帰結だと言える。

 一人で外出をしない、外出をする際はお嬢様の付き添いという形をとる。言い換えれば、僕は毎日執事服で過ごすことになる。だから綾瀬さんのように、おしゃれが趣味で服を集めない限り、今日の僕のような服装になるのは仕方がないのだ。全くもって仕方がない。僕は悪くない。お金もないし。

「いいですね、しりとり。旅行と言ったらしりとりですよ」

 しりとりの誘いからここまで思考が回るとは、やはり僕は服装に関してまだ吹っ切れていないのかもしれない。

「やった、じゃあ先行はわたしからね。しりとりの『し』からはじめるよ」

「どうぞ」

 『り』じゃないのか、というツッコミを求めている様子ではなかったのでスルー。天然な綾瀬さんである。

「『湿布』」

 『ぷ』責め。

 悪くないが、性格は悪い。

 しりとりというゲームは単純であり、流そうとすればいくらでも流せてしまうような軽いゲームなのだが、本気で戦っていると時間も忘れて没頭してしまうこともある。

 最強は『る』責めだが、対策されていることもあるし、なにより『ぷ』責めの厄介なところは、責める側も特に意味もなく好きな文字に『っぷ』をつければある程度戦い続けられるという容易さもあるので――やはり悪くない。

 やるじゃあないか綾瀬さん。このクール(根暗)な僕に火をつけるなんて。

 この勝負、勝たせてもらおう。上等である。

「『プール』」

 そっちがその気なら、僕だって攻めよう。攻撃は最大の防御。力こそパワー。

「『ループ』」

「『プラモデル』」

「『ルール』」

 返された。

 綾瀬さんはふんとドヤ顔である。

 少しイラっときた。

「『ルーブル』」

「『ルーズボール』」

「『ルイス・キャロル』」

「『瑠璃も玻璃も照らせば光る』」

「『瑠璃も玻璃も照らせば分かる』」

「やるね鹿螻蛄くん。ルイス・キャロルって誰?友達?」

 綾瀬さんによって頭がおかしくなりそうな『る』責めが中断された。

「不思議の国のアリスを書いた人ですよ。さすがに、しりとりで友達の名前を出すほど馬鹿者じゃないですよ、僕は」

 不思議の国のアリスの著者、ルイス・キャロル。

「確かあの人は作家の他に数学者とか写真家とかもやっていたんだっけね」

「すごいね、ダ・ヴィンチくんみたいだね」

「ダ・ヴィンチくんって…、友達ですか」

「うん、友達。ルイス・キャロルちゃんも友達だよ」

 綾瀬さんは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 なにを言い出すのだこの人は。

「友達なんですか」

「そう――そういえば、しりとりに友達の名前を出すほど馬鹿者じゃないんだよね、鹿螻蛄くんは。だから『ルイス・キャロル』は禁止だよ。友達の名前をしりとりに出すなんて絶対におかしい。やり直して」

 なるほどね。

 いやなるほどできない。いくらなんでも幼稚すぎる。

「綾瀬さんさっきお友達のキャロルのこと忘れてたじゃないですか。誰?って聞いてましたよね」

「それは…、鹿螻蛄くんを試したんだよ」

「そうなんですか。僕は試されていたのか。悔しいですね――あ、ルイス・キャロルちゃんはどんな子ですか?仲良いんですか?」

 カウンター開始。

「――元気な子だよ…?」

「どんな人です?趣味とか、好きな男のタイプとか」

「趣味は読書で…確か細身の男の子が好きだった気がする」

 やはり、綾瀬さんは勘違いしている。

 ルイス・キャロルは男だ。

「ルイス・キャロルは男性なのに細身の男が好きなんですか。まさか友達の性別も知らないなんてことはないですよね」

 綾瀬さんはやってしまったという顔をした。くだらない茶番。

「――そう…。そうだよ。キャロルちゃんはホモだよ」

 それは無礼にも程があるだろう。いやこれを認めないとこっちが無礼になってしまうのか。難しい時代。

 とにかく――恥を知れ。

「なんで『ちゃん』付けしてるんですか」

「なに鹿螻蛄くん。男の子に『ちゃん』付けしちゃいけないの?それいまのご時世、それは完全にアウトだよ」

 完全にアウトなのはこの人の頭だ。

「わかりました、わかりましたから。『る』始めればいいんでしょう?恥ずかしいから電車で謎理論展開しないでくださいよ」

 指摘しても治るものではなさそうなので僕が折れることにした。が、しかし、綾瀬さんはあまり納得していないようで首を傾げている。年に似合わない可愛さではあるが、口から出る言葉は碌なものではないので呆れてしまう。

「いいよ、じゃあ『る』責めとか禁止にしよう。つまらないから」

 なにが『いいよ』なのかはわからないし、そもそも最初に『ぷ』責めを始めたのは綾瀬さんなのだけれど…。

「じゃあ僕が『る』から始めますよ――『ルクセンブルク』」

「誰?」

「国ですよ」

「ふーん。『くま』」

「『鮪』」

「『ろば』」

「『暴露』

「ローマ」

「『マクロ』」

「ねぇ!『ろ』責めしないでよ」

「あ、無意識でした。すいません」

 わざとだった。

 こんな調子が三時間続くのかなと考えていると…。

「しりとりはやめにしよう。わたしもっと面白いの考えたの」

 綾瀬さんがまたすごいことを言い出した。

 しりとりより面白いものなんてあるのか――いやそれはあるけどそういう意味ではなくて。自分でしりとりより面白いものを作り出したというのかこの人は。

「しりとりより面白い?本当ですか、それはどんなゲームなんですか?」

「おもろしいよ」

「おもろしい?」

「面白いよ」

 断言。言い切っている。

 なんなんだこの自信は。

「教えてくださいよ、そのゲームを」

「いいよ」

 綾瀬さんは背筋を伸ばして話し始めた。

「わたしが考えた面白いゲーム。その名も『あたまとり』」

「アタマトリ?」

「そう。しりとりは言葉の『尻』を取るからしりとり。あたまとりは言葉の『頭』を取るの」

 この人はやはり馬鹿だ。

 旅行とか関係なく根本的に頭が悪いのかも知れない。

綾瀬さん、それじゃあただの同じ文字から始まる言葉を羅列するゲームになってしまいますよ」

「あ、そっか」

 残念ながら冗談ではなく本心で考えていたらしい。もしかしたらしりとりの『し』から始めたのはこれを考えていたからか。

 大丈夫なのかこの人。心配になってきた。

 結局この後も、僕たちは戰山駅に向かう移動時間を、ぐだぐだなしりとりをしながら過ごすのだった。

 ある『登場人物』が現れるまでは。

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