第11話 前言撤回

「なんで?」

「鍵を持って出るのを忘れた」

「鍵って……うちのドアは暗証番号で開錠するから鍵はないけど?」

「そうだった。暗証暗号を書いたメモを無くした」

「え? 早く言ってよ! 番号変えないと」

「ごめん」

「とにかく入って。夏で良かった。冬だったら凍えてたよ?」

「紗羅、俺……」

「着替え買えた?」

「それは、うん」

「後でお義父さんにちゃんと請求しないとね」

「いや、別に……」

「まだ高校生なんだから!」


ショータの額や首元にうっすらと汗が見えた。


「暑かったよね。お風呂に入っておいで。汗流したら、昼間の形が崩れたアイス食べよう」

「ああ……」



ショータにタオルの場所を教えてから、部屋に戻って、もう一度部屋着に着替えた。


リビングのソファに座って、今度はテレビはつけずに、置きっぱなしになっていた雑誌を開いた。

にわかに人の気配を感じて、さっきまで余所余所しく感じていた家の中が、またいつも通りの安心できる場所に戻ったような気がする。



ふと疑問を感じた。


ドアの暗証番号がわからなかったのだったら、どうしてドアフォンを鳴らさなかったんだろう?

わたしがお風呂に入っていた時に鳴らして、出て来なかったから困ってしまった?

でも、だったら父親に連絡したらいいんじゃない?

それか、母親に。


どうして暗証番号を誰にも聞かなかったの?



その時、タオルを首にかけたショータがリビングに入って来た。


雑誌に目を落としたまま、さりげなさを装って聞いた。


「ねぇ、どうして暗証番号をお父さんに聞かなかったの?」


短い間。


「連絡先、知らないから」


しまった、と思った。

義父は確か言っていた。


『祥太はずっと母親と暮らしていて、会わせてももらえなかった』


ショータは、父親とずっと交流がなかったんだった。

そうなると、父親づてに、母親が家の暗証番号を聞いたことになる。


「だったら、お母さんに聞いたら良かったのに」

「……遅い時間だったから。起こしたくない」


ママはほとんど朝夜逆転生活してるし、自由業で時間の概念がないから、それに慣れてしまっていたけれど、一般的な社会人は11時くらいには寝てるんだ。


そうなると、ショータがドアフォンを鳴らさなかった理由はひとつ。


わたしに気を使ったことになる。


もしかして今までの馴れ馴れしい態度も、気まずさの裏返し?


雑誌から顔を上げると、いつの間にか隣に座っていたショータがじっとこっちを見ていた。


「な、何?」


ショータの髪の毛はタオルで雑に拭かれたせいか、寝癖みたいにあちこちに飛び跳ねていた。


「洗面所にドライヤーあったでしょ? 使えば良かったのに」



わたしの方は、さっき出かけるつもりで、乾き切っていない髪の毛をバレッタでアップにまとめたままだった。でも急いでいたせいか、まとめたはずの髪の毛が一房こぼれ落ちていた。


ショータはそれを手ですくった。


「これ、誘ってる?」


ショータが顔を近づけてきたけれど、なぜだか動けないでいた。


そのまま、ショータはどんどん近づいてきて、唇がふれそうになる寸前でそらすと、わたしの首元へと顔を埋めた。


!!!


「ちょっと! 今!」


「姉ちゃん隙だらけだな」


睨みつけるわたしを無視して


「もう寝る」


そう言って、舌をぺろりと出すと、ショータはリビングを出て行った。




前言撤回!


こいつに、「気を使う」という文字はないっ!


急いで洗面所に行って鏡を見ると、首元にはくっきりとキスマークが付けられていた。

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