第19話 『ぬる燗 40℃』
夜半を過ぎ、静けさが店内を包む頃、『宵のしずく』の扉がそっと開いた。入ってきたのは、くたびれた表情の中年男性だった。
「いらっしゃいませ。」
律が声をかけると、男性は無言でカウンターに腰を下ろす。その肩はどこか重たげで、目の下にはうっすらと隈ができていた。
「今日はどんな気分ですか?」
少し考えるようにしながら、男性は低くつぶやいた。
「…温かいのを頼むよ。少し、ほっとしたい。」
律は軽く頷き、湯煎器に酒をかけた。
「それなら『ぬる燗』をどうぞ。40℃くらい、程よい温かさが体にしみ込む感じです。」
湯気が立ち上る様子を眺めながら、律はゆっくりと話しかける。
「ぬる燗はね、冷たさが抜けて、けれど熱すぎず。まるで疲れた心を包むように、ゆっくりとほどけていくんです。」
グラスに注がれた酒を前に、男性はかすかな笑みを浮かべた。
「…今日は部下に厳しく叱責してしまってね。アイツ、どんな顔して帰ったんだろうな。」
律は静かに耳を傾けながら、もう一杯を注いだ。
「仕事の責任が重いほど、自分を責めがちになりますよね。でも、時にはこうして心をほどくことも大事です。」
男性は少しだけ肩を落とし、グラスを手に取った。
「うん、そうだな…。怒りたくて怒ったわけじゃないんだけど、上司として厳しくしなきゃいけない時もある。でも、そのたびに自分が嫌になるんだ。」
「責任感が強いからこその悩みですね。でも、人も酒も、あまりに冷たすぎると固まってしまいます。ぬる燗のように、少し柔らかさを持って向き合えたらいいですね。」
男性はふっと息をつき、酒を口に含んだ。
「…確かに。肩の力が抜けていく気がするよ。ありがとう、律さん。」
律は微笑みを浮かべ、静かに湯煎器を片付けながら、疲れた心がほぐれていくのを見届けた。
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