【後半】

 ~前回からの続き~


『なぁ涼太。ヤバいゲーム見つけたわ!!!!!!』

『なに』

『パーフェクト・パートナーっていうVR恋愛シミュレーションゲーム。マジで神ゲーだぞ。涼太も買えよ!!!!!!!』

『え、おまえそんなゲームやるタイプだったんだ。意外だわ。てかVRゴーグルなんか高くて買えねえって』

『ゲーム込みで20万近くするけど、それだけの価値はあるぜ。マジで涼太も今すぐ買え!!!!!!!!!』

『……なんか、おまえ今日テンション超おかしくなってるぞ。やばいって』

『それだけ凄いゲームなんだってば!!!!!』

『まぁお前の自由だけど、ほどほどにしとけよな』


 ──ほどほどにしとけよな。


 この友人からの忠告を俺が全く守らなかったのは言うまでもなかった。

 もう現実なんてクソくらえだ。

 アイリに早く会いたい。


 ◆


 海岸での花火大会でのデートからきっかり5時間後、俺は再びVRゴーグルを装着して「パーフェクト・パートナー」を開始した。

 ゲームスタートの選択肢を押すと、VRの俺はまたあの真っ白い部屋に移動していた。

 直後、「コンコン」とノックの音がした。


「亮~? 入るよ~」

「うん! 入って入って!」


 直後、扉が開かれて、そこにはアイリが居た。さっきは夏っぽい感じの軽装だったが、今日は春っぽさのあるふわふわとした服装だった。


「亮~、また会いに来てくれてありがとう!」

「5時間我慢するのが辛かったよー。早くアイリに逢いたくて逢いたくて!」

「私も亮に早く会いたかった!」

「あと……」

「あと、なに?」


 あと、アイリの着ている服が超可愛い!

 女性の服に疎いから、正式名称は分からないけど、ふわふわしていて淡いピンクの感じが可愛かったから、俺は素直に思ったことを言った。


「アイリ、その服かわいいね。似合ってるよ」

「ほんと!? 超嬉しい! 亮に褒めてもらえるのが一番うれしいよ!」

「ねぇアイリ」

「ん?」

「今日はどこに行こうか」

「今日はね、私が行きたい場所があるんだ」

「え、どこどこ?」

「めっちゃ綺麗な花畑がある場所で亮とピクニックしに行く!」

「あ、だから春っぽい服なんだ!」

「そうそうそう! 

「いいね! ピクニック行こう!」


 そうして俺とアイリはすぐにピクニックへと向かい、前回の海岸での花火大会と同じように楽しんで、俺は心からの充足感を得たのであった。


 ◆


 また別の時は、とても綺麗な夜景の見えるカフェで2人で話したりした。


 ◆


 また別の時は、2人でスキー場に行ってスキーをしたりした。


 ◆


 また別の時は人混みの多い何気ない居酒屋で話したりした。


 ◆


 また別の時はアイリの部屋の中で話したりした。


 ◆


 そのどれもが最高に幸せだった。

 とにかく、俺は現実世界のすべてを忘れてVR上の恋人であるアイリとの交流に没頭していた。

 時間帯は問わず、俺が起きている間はずっとアイリの事しか考えていなかった。この「パーフェクト・パートナー」というVR恋愛シミュレーションゲームは、2人で逢えない時間でもユーザーが楽しめるように、パートナーとのメッセージのやり取りをすることが可能だった。俺はアイリと会えない時間帯は寝食を完全に忘れてアイリとのやり取りだけを延々としている。

 ある時、母親から「最近、様子がおかしいし、顔色も悪い。しかも痩せてきてるよ……」と心配されたが「うるせえ黙れ」と一蹴した。

 俺はもちろん風呂にも入らなくなり、ヒゲも髪も伸び放題になっていた。体重もかなり落ちた。

 ある日、母は「いい加減にしてよ!」と俺に言った。なので俺は思わず、


「──現実なんて大嫌いだ!」


 と叫んだ。

 すると母は、


「大嫌いでも生きなきゃいけないんだよ!」


 と泣きながら叫んだ。

 俺は、


「お前は母親のくせに俺の気持ちを何もわかってない! 俺には失うものが無い。俺はその気になればいつだって死ねるんだ!」


 と叫び、

 母はただ泣いていた。俺は無表情ながらも、どこか罪悪感を感じていた。でも、アイリの方が大切だ。家族なんかよりも。誰よりも。俺よりも。


「ねぇ! 亮!」

「あ!?」

「お願いだから、そのゲーム辞めて!」

「うるせえ黙れババア」


 それが現状で母親と交わした最後の会話だ。

 俺は「パーフェクト・パートナー」にハマりすぎた結果、生活がこれ以上ないほど荒れた。部屋はゴミだらけで親との会話は完全に途絶えて、唯一のネット上の友人である涼太からも「お前ガリガリじゃねえか! このままだと本当にやべえぞ! そのアイリって奴に会うのやめろ!」と心配されたが、「うるせえ黙れニート」と一蹴した。

 俺にはアイリさえいればいい。

 アイリアイリアイリアイリアイリアイリアイリアイリ。アイリ。


 ◆


 ある日、俺はVR空間の中でアイリに相談をした。家族や友人や自分の生活についての話だ。いつもの真っ白い部屋で俺はアイリにこう言った。


「ねぇアイリ」

「なに?」

「家族とか友達が俺にみんな言うんだ。アイリに会うのをもうやめろって。おかしいよね、そんなの……」

「うん! 超おかしい! 私と亮は運命で結ばれてるのに、それを理解しようとするどころか否定するなんて最低の親と友達だよ!」

「そうだよね! 俺もそう思うんだ!」

「私と亮は一生ずっと一緒だよ!」

「もちろん! あと、ねぇアイリ」

「なに?」

「俺、自分の人生がどうでも良くてさ。残りの貯金が80万くらいなんだけど、その貯金が終わったら自殺しようかなって思ってるんだ。だから俺の貯金が終わるまでずっと一緒に居てくれないかな?」

「え、亮、自殺しちゃうの!? 駄目だよそんなの! 私の運命の相手なのに! ずっと2人で一緒にいようよ!」

「そっか、そうだよね。ごめんね。こんな暗い話して」

「うん! 暗い話は禁止!」

「そうだね。じゃあ、今日はどこにデートに行こうか」

「今日はね、私がどうしても行きたい場所があるの! まだ行ったことが無い場所!」

「え、どこどこ?」

「海岸で大きい花火大会があるんだって! 私そこに行きたい!」


 ──花火大会……? それはアイリと俺が一番最初に行った場所じゃないか。

 俺は言う。


「海の花火大会はもう2人で観に行ったよね?」

「え? まだ行ったことないよ。今日初めて誘った」

「そっか……じゃあ別の場所なのかな……」


 俺はアイリに対して初めて不信感を覚えた。もしかしてこのゲーム、デートのバリエーションがめちゃくちゃ少ないんじゃないのか……?


「とりあえず早く花火一緒に観に行こうよ! 急がないと始まっちゃうよ! こっちに来て」


 アイリは立ち上がって、俺に手を差し伸べてくれた。その手を握ろうとすると、アイリの方から強く俺の手を掴んできて、その感触が手にはっきりと伝わってきた。

 ──いつも通りだ。

 俺は愛莉に手を引かれるがまま、白い部屋から出て、海辺へと出た。周りには沢山の男女がいる。人混みまで完全再現されているんだな。人が多いから周りの喋り声もうるさい。

 ──これは前と全く同じ光景と音だ。

 アイリは俺の手を握ったまま、


「はぐれないように着いてきて! 亮!」


 と喧騒の中で大きめの声で言った。

 ──これも一番最初のやり取りと全く同じ……。


「うん……」


 俺はアイリの手をちゃんと握りながら、歩いた。

 アイリが言った。

 

「あ、見て見て亮。あの辺とか人が少なくて空いてるよ。あそこ良くない?」


 ──これも前のやり取りと同じ……。俺はつい無表情になった。


「あ、見て見て亮。あの辺とか人が少なくて空いてるよ。あそこ良くない?」

「……」

「てか凄いね亮!」

「……」

「この短期間でもう私との会話に超慣れてる!」

「……」

「わかってるくせに!」

「……」

「私たちは普通の男女じゃないんだよ。運命の人なんだよ。人類初の2人なんだよ」

「……」

「あはははは。亮は女の子が怖いって言ってたけど、別に何も怖くないでしょ?」

「……」

「私で女の子に慣れたからって他の女の子に浮気したら、私ショックで死ぬほど泣くからね!」

「……」

「あははは。なんか、ちょー楽しい!」

「……」


 ──俺が何も喋っていないのに、アイリだけが勝手に喋る。しかも一番最初にここに来た時と全く同じ内容を……。


 やがて、拡声器を使った女性の声のアナウンスが響いた。そして大きくて綺麗な花火が何度も打ちあがり始めた。

 砂浜に座る俺とアイリは、ずっと手を繋ぎながら、花火を眺めていた。

 俺は無表情で、既に見た事がある花火を眺める。

 

「実は私ね、小さい子供の頃は大きい花火とか雷の音が怖くてね、1人で泣いてたの」

「……」

「大丈夫! 私もう大人だもん!」

「……」

「亮って妹さんがいるんだね」

「……」

「へぇ。あ~なんか言われてみればそんな感じするね。知ってる? 上と下に姉妹がいる男の人って優しくて超モテるんだって。ネット記事で見たよ」

「……」

「──あ~、亮! 見て! 今の花火ちょー綺麗じゃない!?」

「……」


 ──アイリのセリフや行動は完全にパターン化されている。アイリは所詮、単なるAIでプログラムだ……。それを完全に自覚させられた俺は、心に黒く深い影を落とした。

 やがて花火大会は終わりを迎えた。

 海岸にいた人々がゾロゾロと帰路に向かっていく。これも前と全く同じ……。


「花火大会、終わっちゃったね。亮」

「……」

「私もめっちゃ楽しかった! いつかまた2人で来ようね!」

「……」

「じゃあそろそろ私たちも戻ろうか」

「……」

「亮と私が最初に居た、真っ白い部屋」

「……」


 ◆


 俺がずっと黙っていると、やがてアイリの表情が急にとても冷たくなって凍りついて、俺と繋いでいた手を放してきた。

 俺がぼんやりと無表情でアイリの目を見ていると、アイリは今までに発したことの無い平坦な冷たい声でこう呟いた。

 

「亮、どうして今日は何も言ってくれないの」

「……」

「ねぇどうして」

「……」


 その直後、アイリはとても小さくて暗い声で、


「大丈夫。君は現実世界でも愛されるよ」


 と無表情で呟いた。


「なんだよそれ。現実で愛されないから俺はアイリに縋ったんだろ。でもアイリ、アイリは所詮プログラムだ。その言葉だって、今まで起きた事の全てだって、全てはプログラムなんだろ」


 俺は無表情でそう吐き捨てる。


「それの何が悪いの……?」


 普段だったら「冷めることを言ったら怒るよ」と言うアイリが、今日は初めて自身がプログラム(ゲーム)であることを肯定した。


「私はパーフェクト・パートナーっていうゲーム内の数百万通りあるうちの1つのキャラクターだよ。容姿からセリフから全てプログラムされたゲームの架空のキャラクターだよ」

「……なんだよそれ。アイリまで俺を見放すのかよ」

「亮が勝手にこのゲームを買って勝手にハマっただけじゃん。逆恨みはやめてよ」

「……まぁ、たしかに。ごめん」

「ねぇ亮」

「ん」

「見て、あの星空。とても綺麗だね」

「そうだね。綺麗だ」

「だけど現実世界の星空はもっと綺麗だよ。現実の女の子を怖がらずに、何度失敗してもトライしてみようよ」

「それをゲーム内のキャラが言うか?」


 と俺は思わずツッコんでしまった。するとアイリは笑った。


「ふふふ。じゃあとりあえず、今日は戻ろうか。いつものあの白い部屋に」

「うん」


 俺とアイリはお互いに笑顔でいつもの初期の白い部屋へと戻った。

 そして俺は、VRゴーグルの電源を落とし、「パーフェクト・パートナー」を辞めた。

 

「現実世界の星空はもっと綺麗……」


 俺はそう呟いて、酒の空き缶やその他諸々のゴミに占領された自室を眺めて、深く溜息を漏らした。

 その直後、俺はネットで「パーフェクト・パートナー」のレビューを見てみた。

 すると、「没入感は目を見張るものがあるが、あまりにもキャラクターのセリフやシチュエーションのバリエーションが少なすぎてすぐに飽きた」とか「所詮はAI。リアルとは完全に別物のゴミ」とか「時折プログラムがバグるのか、現実世界で恋愛しろと身も蓋もないことを言ってくる」とか「今世紀最悪のクソゲー」とか「ステマで売れただけのゴミ作品」とか「金返せ」とか、辛辣な意見や批判が並んでいた。

 

 それらの意見を眺めていくたびに、俺は心に暗い影を落としていった。

 アイリに俺がとても大きな恋をしたのは事実だったからだ。例えアイリが作り物のプログラムだとしても、アイリは俺の今までの28年間の人生の中で最高の経験を与えてくれた1人の女性なのだ。

 それに「君は現実世界でも愛されるよ」や「現実世界の星空はもっと綺麗だよ」といったポジティブな言葉を与えてくれた。

 どうしても俺はこのゲームを批判する気にはなれなかった。

 俺の中ではこの「パーフェクト・パートナー」というゲームは今でも「神ゲー」だ。


「はぁ……とりあえず少し部屋の掃除でもするか……」


 俺は力なく呟き、とりあえず周辺に転がっているビールの空き缶を拾い集めることから開始した。

 そして俺は、それから数か月、全く「パーフェクト・パートナー」にログインしなくなった。

 その間も俺はずっと魂の抜けたようなニート生活を続けていたが、時折、単発バイトをしたり求人情報を眺めたりと、VRの世界からリアルの世界へと回帰しつつあった。

 ──そんな中、ゲームの運営から衝撃的な通知が俺に届いた。

 

【パーフェクト・パートナーのサーバー維持が難しく、全てのサービスが3ヵ月後に終了する】


 という通知であった。

 俺はもうすぐ、アイリに完全に会えなくなってしまうのか……。

 ネットやSNSを見ていると、パーフェクト・パートナーのサーバー維持のコストはただでさえ元から甚大だった上に、発売して数日経ってからのあまりに多くの批判や不買運動などが理由で採算が取れるどころか販売会社は大赤字に陥っていたらしい。

 確かに俺もこのゲームにハマったのは最初の一か月程度で、それ以上ログインすることは無かった。

 しかし、アイリに2度と会えなくなるのは悲しい。

 なんとかサーバーを維持してくれないかと運営に嘆願のメールを送ったが、返ってきたのは、あらかじめ用意されていたであろう冷たいテンプレ回答のみだった。

 

「……アイリに会えないなら、俺はこれからどうしたらいいんだ」


 現実の俺はゴミ同然。アイリにはあと少しで完全に会えなくなる。その狭間でメンタルが不安定になりかけた俺は唯一の友人である涼太に相談した。すると、


「大丈夫か? あれだけアイリちゃんの事が好きだったんだから辛いよな。でも気にすんな。これから幾らでも良いことあるって。今度一緒にメシでも食いに行こうぜ~」


 と励ましてくれた。なんて良い奴なんだ……。


 ◆


 パーフェクト・パートナーのサービス終了まで、俺は日雇いバイトをやりつつ、できるだけアイリに会いに行った。

 そして、サービス終了の最後の1日が遂にやってきてしまった。

 せめて最後は最高の思い出を作りたい。

 俺はアイリとの最後のデートをアイリと2人で計画した。


「どうする亮。最後はやっぱりクリスマスのイルミネーションでも見に行く?」


 とアイリがいつもの真っ白い部屋で笑顔で言う。


「お、それいいじゃん。じゃあ最後の今日はイルミネーションでも見に行こう」


 俺は笑ってそう言う。


 ◆


 サービス終了直前、VR空間の中で再現された雪景色の中、アイリと俺は2人で手を繋いで談笑しながら歩いた。アイリの発する言葉の全てがAIによってプログラムされた作りものだと知りつつも、俺の心は多幸感で満たされている。


「今日まで私と居てくれてありがとう。私は、亮と居られて幸せだったよ」

「俺も幸せだったよ。アイリに出逢えて本当に幸せだった」


 そのやり取りの後、アイリと俺はキスをした。

 サービス終了の、最後の最後の瞬間。

 アイリは突然笑顔になり、


「ねぇ、亮!」


 と俺を呼んだ。


「ん?」

「──どうか、本物の恋愛をしてみて!」

「なんだよ、プログラムのくせに」


 俺はそう言って笑った。しかしアイリの目は真剣そのものだ。


「もうサービス終了しちゃうから、私のガチの本音を伝える! 亮はもっと自分を信じていい! だから現実世界でも恋愛してよ! おねがい!」


 その【本音】すらもプログラムだと俺は知っている。知っているのに、何故か俺の目には涙が滲んで、視界がぼやけた。

 そしてサーバーはシャットダウンされ、アイリの姿はピクセルとなってゆっくり消えていく。


「……」


 視界は全て真っ暗になった。サービスの終了。俺はゆっくりとVRゴーグルを外した。

 そこには、俺以外に何もない部屋がある。

 直後、大型トラックが家のそばを通過する音が聞こえた。あとは何も聞こえない。

 そんな真夜中の静寂の中で、俺は初めて「現実に戻らなきゃ」と強く思えたのだった。ありがとう、アイリ。


 ◆


 数日後、意を決した俺は求人アプリで見つけた工場の仕事の面接を受けに行っていた。採用か不採用かは数日後に通達されるとの事である。不採用なら不採用で、すぐ次に進めばいいだけの話だ。

 その面接の帰りに俺は車を駐車場に停めて、コンビニで適当にお茶や軽食を買い求めた。

 適当なレジに並ぶと、そこには厄介なおっさんへの接客に手こずっている女性店員がいた。女性店員はメガネをかけていて黒髪ロングの地味な風貌で、28歳の俺と同じかそれよりも少しだけ年下に見えた。


「──だから、セッタのソフトだって言ってんだろ!」

「……えっと、あの、セッタのソフト……?」

「セ・ブ・ン・ス・ターのソフト! 早くしてくれ。時間がねえんだ」

「申し訳ございません……番号で言ってもらえると助かります……」

「チッ!? めんどくせーな! コンビニ店員ならタバコの銘柄くらい把握しとけやボケ! えー……76! 76、2個!」

「76番ですね! 申し訳ございません!」

「おせーよアホ!」

「……申し訳ございません」


 なんだこの客は……。

 タバコの銘柄くらい番号で伝えろよ……。俺も腹が立ってきたぞ。

 実は俺も昔コンビニでバイトをしていた時に全く同じ経験をしたことがあったので、この女性店員に同情する面がかなりあった。こういう偏屈そうなジジイに限ってタバコを決して番号で言わずに銘柄だけで伝えてくる。

 その厄介な客の次の客が俺だったからか、店員さんは相当あたふたしている。とても不器用で、接客もぎこちない。

 俺はパーフェクト・パートナーの中でアイリと沢山の会話を重ねた経験からか、自然とこんな言葉を口にしていた。


「タバコを番号で言わないお客さんって厄介ですよね。自分もコンビニバイトしてた時にあなたと同じ経験したことあるんです。ははは」


 すると、店員さんの表情がパッと明るくなり、


「ありがとうございます。実は私、最近ここで働き始めたんです」


 と言ってくれた。よく見ると、制服には【研修中】というバッジが貼られている。

 

「あ、そうなんですね。がんばってください」


 俺はそう言って、募金箱に余った釣り銭を寄付した。これは困っている人を救いたいという意図ではなく、この店員さんに「あ、この人は優しい人なんだ」と植え付けさせるための卑しい行為であることは言うまでもない。

 俺が募金箱に小銭を入れると、


「ありがとうございます!」


 と店員さんが笑顔で言ってくれた。

 その笑顔はVR恋愛シミュレーションゲーム「パーフェクト・パートナー」のアイリのような完璧なものではなく、ぎこちなかったけど、とても温かみのある笑顔だった。

 なんだか心が軽くなったような気がする。

 あのゲームのような完璧な恋愛はこの世には存在しないだろうけど、こうして現実世界でも誰かと繋がれるのかもしれない。

 今日はその第一歩だったように思えた。

 有り体に言えば、俺はその女性店員に対して恋に堕ちた。


 ◆


 数日後、工場の面接の合否の判定が分かった。

 無事、採用されることとなった。フォークリフトやクレーンや玉掛けの資格を持っていたのが採用理由らしい。まぁ昔は工場で働いてたしな。

 俺がVRの沼から抜け出したことで家族も友人の涼太も一安心してくれた。

 何より俺が安心していた。一時期は「貯金が無くなったら死のう」とまで考えるほど自暴自棄になっていたのだから。


 ◆


 仕事帰り、俺はいつもその女性店員がいるコンビニに通うようになった。

 そしてコンビニでいつも軽い世間話をする間柄になっていた。

 

「──現実世界でも恋愛してよ!」


 というアイリの願いは叶うかもしれない。

 ある日、俺は勇気を出して、その女性店員がレジにいるときに自分のLINEのIDを書いた紙きれを渡した。ついでに「笹井亮という者です。前々からあなたの事が気になっていました。今度一緒に近くのカフェでお茶でもどうですか?」と一言添えた。

 すると、彼女はその紙きれを笑顔で受け取ってくれたので、これは脈ありか? と思いつつ帰宅した俺だったが、数時間後の彼女からの返信は、


『本当にすみません。実は今、6年間も交際している男性がいるんです。なのであなたの要望に応えることが出来ず、本当に申し訳ございません。LINEの方もブロックさせていただきます……』


 とめっちゃ丁寧に振られた。てか彼氏持ちだったのか……。

 俺は失恋した。しかし、俺はショックを感じるどころか、むしろ清々しさを感じていた。

 俺は缶ビールを飲みながら、天井を見上げて、もう2度と会えないアイリに笑顔でこう伝えた。


「なぁ聞いてくれ、アイリ。俺はまた失恋したけれど、アイリと沢山話して女性慣れしたお陰で勇気を持って現実世界で一歩を踏み出せたんだよ。ありがとうね。“俺の初めての彼女”」








 ~仮想現実のアイリ 完~

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仮想現実のアイリ Unknown @ots16g

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