シモクレン

宵宮祀花

瞳に焼き付いた花

 校舎裏、体育館との通り道に、ひっそりと咲いている花がある。

 裂けたアケビにも似たその花が、わたしは何だか好きになれなくて。友人の彩音に零してみた。乾いた風が強くて、制服のスカートもセットした髪も滅茶苦茶なびいていたけれど、そんなことお構いなしに苦手な花を見上げた。


「やっぱりどうも可愛く思えないんだよね……他になかったのかな」

「うちのモクレン、全部赤紫色だからね。白いのとか薄いピンクのもあって、それは結構綺麗だよ。厳密には違う種類? 名前? らしいけど」

「そうなの?」


 言われて、改めてモクレンの花を見上げてみる。遠目に見る分には華やかだけど、近付くとその意外な大きさに驚く。威圧感と言ってもいい。花なのに。

 それを言うと、彩音はおかしそうに笑った。


「花言葉に崇高とか荘厳ってあるんだって。強すぎじゃない?」

「頭が高いね」


 わたしの言い様に、彩音がまた笑う。

 お酒でも入ってるかのようなテンションだけど、彩音は年中無休でこの様だ。


「まあでも、確かに、白いのは可愛いかもね。色の白いは七難隠すって言うし」

「それちょっと違くない?」


 呆れたような物言いを無視していると、彩音は諦めて「てかさあ」と切り替えた。


「ちょうど今頃……卒業シーズンに咲く花だからさ、それで寂しい思い出と重なって苦手って人もいるみたいよ」

「ああ……」


 何となく、それはわかる気がした。

 世間一般からすれば何の関係もないのに、勝手に自分の中で結びついて苦手になる可哀想なものたち。わたしのモクレンも、きっとそういうものなのだろう。

 だってこの花が咲く季節は、わたしから大事なものを奪ったから。花に罪はない。でも、どうしても連想してしまう。毒々しい色も、近くに寄らないとわからないこの幽かな、けれど忘れようもない特徴的な匂いも。

 わたしが愛した花を散らせた、あの日を思い起こさせる。

 モクレンの花は、上を向いて咲く。地上にあるものになんか興味ないとばかりに。だからか、剥がれて落ちた花びらが余計惨めに思えて、尚のこと苦手になる。


「……あのときも、この花、近くに咲いてたよね」

「あー、咲いてた咲いてた。てか、この花何だろって話してたじゃない?」

「そっか。それでわたしが雑にググって、名前だけ見たんだっけ。忘れてた」


 正確には、忘れていたかった。


「あはは、そうだよ。そーいや麻衣が先に調べてくれたんだった」


 彩音の声は明るい。まるであのときから、日常が地続きであるかのように。

 それとも、わたしの察しが悪すぎて、彩音の心を読み切れていないだけだろうか。


「それでさ、調べてくうちに楽しくなっちゃって」


 彩音の声は変わらず明るい。まるで他愛のない雑談でもしているみたいに。

 わたしはさっきからずっと隣を見ることが出来ていないから、彼女がどんな表情をしているのかもわからない。知りたくない。


「歩道橋から落ちたんだよねー。あはは。マジでウケる」


 けらけらと笑う声は、聞き慣れたものと全く同じだ。

 三年間一緒だった親友の、本当に楽しくて仕方ないときの声。


「いや、ウケないよ。滅茶苦茶痛い思いしたんじゃない」

「そうだけどさー」


 彩音は自分の痛みなんかどうでもいいみたいに、そんなことよりと横に置いた。


「あたしあのときさ、ずっと見てたんだよ」


 耳元で彩音が囁く。

 いたずらを思いついた瞬間みたいな、笑いを含んだ子供っぽい声だ。


「歩道に咲くモクレンの花と、麻衣の顔」


 綺麗だったなあ。と、彩音がうっとりと溜息を吐く。

 傍らに落ちていたスマホの画面にも、赤紫のモクレンが表示されていて。歩道橋を駆け下りたわたしの鼻腔を、モクレンの匂いが掠めて。

 あのときの彩音の瞳に、そんなものが映っていたなんて知らなかった。


「わたしとあの花なんか見てないで、もっといいもの見たら良かったのに」

「なに言ってんの。あたしは別に、モクレン嫌いじゃないし。それに……」


 わざとらしく其処で言葉を切って、勿体つけながら咳払いまでしてみせて。

 こういうときは、大抵ろくでもないことを言う前触れだったりする。


「麻衣とモクレンのツーショ、凄く綺麗だったよ」

「……全然うれしくない」


 彩音がまた、声を上げて笑った。

 なんでこんなに暢気で明るくいられるんだろう。わたしは寂しくて仕方ないのに、彩音はそうじゃないのだろうか。


「てゆーか今日は卒業式なんだから、もっとシャキッとしなさいよね」


 彩音がわたしの背中を叩く仕草をした。聞き慣れた声で。いつも通りのやたら高いテンションで。すぐに落ち込みたがるわたしを、思い切り引っ張るように。

 けれど其処に、良く知る手のひらの感触はない。


「わたしは……」


 いつも漫才コンビの相方みたいに、決まって右側に立ちたがった彩音がいるはずの場所を、わたしは見た。


 乾いた風が吹いた。


「わたしは、一緒に卒業したかったよ」


 其処には、学校にあるはずのないハクモクレンが咲いていた。

 わたしの肩に、小さな白い花をつけた、か細い枝を伸ばして。


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シモクレン 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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