第23話 完全
「”鮮血”……」
あの刀身の長さ、優に1.5メートル以上はある。
剣を一本の円柱に見立てた場合……直径約3センチ程度と仮定すると、その血液量はほぼ1リットル。現象で言えば大量出血だ。それだけの血液が流れ出れば失神は必至。しかしミーシャさんは眉一つ動かさず、楽し気に”失血ソード”をブン回している。
加えて血小板の同時操作。浪人時代に読み漁ったどの論文にも記載がない芸当だ。
やはり
「他にも、白血球量を調整すれば瞬間的に免疫機能の強化も可能です」
「すっ……すっごぉ!!かっけぇーーー!!!河瀬先輩ヤバいっすね!!」
模範的な後輩ムーブで賛美を口にするイオナさん。
初対面で
「凄いのは……ミーシャですよ。それに、これからの貴女達だ」
弱っていく言葉尻を閉じる様に、彼は両手を強く合わせる。
「さぁ、手本はお見せしました!このレベルを目指して、まずはご自身の”能力”を把握する所から始めましょう!」
クリアファイルを取り出そうと、カバンに手を伸ばす。
しかし、未だミーシャさんは満面の笑みで剣を振り回していた。……どうやら楽しくなってきちゃったらしい。
「ミ、ミーシャ。もう実演は終わったから”凝血”解いてね……?」
「ぶんぶーん」
そう言って首を左右にブンブン振る。奇しくも、”振り回す方”のブンブンと”拒否”のブンブンのダブルミーニングになっている。
「あっ、危ないから!!早く解いて!!……もーっ!!なら僕が強制的に……っ」
リストバンドを一瞥し、閉眼して意識を集中させる河瀬先輩。だが、剣の舞は一向に止まる気配がない。
「さ、流石に回し過ぎじゃないですか……!?」
レルンさんを始め、周囲からも不安の声が出始めた。
バトンを扱う様に、前後左右斜めを問わずあらゆる角度で回し続ける。時に膝の下に潜らせたり、空中に投げてキャッチしたり……どれほどの強度か分からないが、あの鋭い切っ先を思い出し、能力者でもないのに血の気が引く。
「ダメだ!意識が全部”楽しい”に持ってかれて、僕が入る隙が無い!!」
文章だけで言えばこれほど微笑ましいものは無いが、現状は只々恐怖でしかない。
皆一様に恐怖し、彼らから距離を取り始める。
だが、今しがた興味津々に円舞を見ていたギャラリーがドン引くのを不思議に思ったミーシャさんは、距離を詰めようと歩を進めた。
「ちょっ……近づいたら駄っ……」
「こけっ」
円舞に集中していた彼女は、何もない床の上で躓く。口から放たれた間抜けな擬音の通り盛大にコケてしまい、その両手から、高速回転したままの剣が我々の方へ飛来してきた。
「あっ……ああぁっ!!み、皆さん避けて下さい!!」
「「「きゃあぁぁっ!」」」
既に退避の予備動作に入っていたギャラリーは、悲痛な叫びと共に散開する。
軌道上に取り残されたのは、この場の誰よりも興味津々で観覧していた俺、只一人。
「かっ……哉太さん!!」
「え……」
気付いた時には遅く、血の凶器が悍ましい程の縦回転をしながら目の前に迫っていた。
あ、これ……多分死ぬやつかしら……
「っ………!」
反射的に目を瞑る。
しかし、待てど暮らせど痛みはやってこない。
代わりに刺激されたのは聴覚。蜘蛛の子を散らせた筈のギャラリーから、どよめきの声が上がっていた。
「あれっ……俺、死んだ……?」
「哉太は死なないよ」
目を開けると、那奈美の背中があった。
彼女の右手には、紅の剣の柄が握られている。
「えぇっ!!?お、おまっ……!あのスピードの剣をキャッチしたのか!?」
なんという動体視力だ。更に一瞬で俺の前に躍り出る俊敏性。
やはり”能力”が無くとも、彼女のポテンシャルは途轍もない……
「い、いや………違いますよ……」
思考を遮るように、先輩が震える声を上げた。
不思議に思い周囲を見渡す。
そして那奈美の足元に視線を映した瞬間、あり得ない物を目にした。
「………けっ、剣!?」
もう一つ、彼女が持つものと全く同じ血の剣が転がっていたのだ。
ミーシャさんは、一本しか出現させていない筈。
研究者であれば、結果から原因を探るなど茶飯事。故に俺の脳は、この信じがたい光景の原因を理解し、そして腰を抜かしてしまった。
「………造ったのか……!?那奈美………」
頷く事も無く、彼女は剣を持たない左手で自身の右肩に触れる。
ギリギリと軋むような音と共に、肩から純白の物質が生えてきた。
次第に伸長していくそれを掴み、引き抜く。
出現したのは二本。一つは軽くしなっており、もう一つは先端が尖っていた。前者に関しては、二メートル近くの全長がある。
「ま、まさかお前……それ、”骨”……か……!?」
「ほんと、下らない事考えるなぁ」
右手の剣に力を込める。瞬間、それは形状と硬度を変え、一本の細い紐と化した。
しなった骨の両端に軽々と括りつけ、もう一方の骨を紐に引っ掛ける。
「”骨”とか”眼”とか”鮮血”とか……さも持ってるみたいに言うけど、単にそれしかないだけじゃん」
血と骨で形成されたそれは、まさしく”大弓”。弦に見立てた血で、骨の矢を引く那奈美。その構えの先は、遥か右方。
「さっきから空調利きすぎて暑いんだよねー。だから、スイッチ切っちゃうね」
右手を離す。弦によって張り詰めた緊張が一瞬で解かれ、矢は直線方向に凄まじい速度で飛んでいく。
瞬きの間に着弾するが、この防音下では音は響かない。数百メートル先の景色も視認できない。
「……き、切ったんですか……?スイッチ……」
唖然とする河瀬先輩の問いに、那奈美は大弓を下ろしながら答える。
「気になるなら見てみなよ。鞄の中の双眼鏡で」
「えっ!!?な、何でそれを……」
聞くまでも無い。……”透視能力”だ。
今の今まで、何故考えずにいられたのだろうか。
いつかの麻酔針。彼女は自ら細胞分裂を加速させ、一瞬で耐性を獲得した。
もし、分化し終えた筈の全組織でそれが行えるのだとしたら。血の剣も、骨の硬質化と延長も、異常な視力も……全ての実現が可能となる。
「二つ名なんて、私には必要ない」
能力を『それ以外の欠如』と言い換えた那奈美にとって、”無能力”とは……
「私が、私こそが……本当の『ホムンクルス』なんだから」
即ち、”完全”を意味している。
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