当家の妖精さんの話をしよう

安崎依代

 当家には、全長183cm、体重72kgの『妖精さん』が生息している。


 この一文を見ると『むしろ妖怪の間違いでは?』と思われるかもしれないが、私からしてみればは立派に妖精分類である。


 生息地は我が家のお布団。『ぬあー』という間抜けな鳴き声を上げる。ダシがよく効いた美味しいお味噌汁をお供えするとご機嫌だ。よく働き、優しい気性をしている。


 さて、この妖精の詳しい生態なのだが……



  ❖   ❖   ❖



 洗面所で歯を磨いていた僕は、廊下を行き過ぎていった妻の口からブツブツとこぼれ落ちる言葉を聞いた瞬間、うっかり口の中の泡を飲み込んでしまった。


「ちょ……っと!? 美亜みあちゃんっ!?」


 むせ返りながらも慌てて廊下に飛び出せば、自分の部屋の扉に手をかけていた美亜ちゃんは『?』という視線を僕に向けてくる。


「待って待って、今の何? 行き詰まってた新作の原稿? どう聞いても僕の生態観察日記にしか聞こえない言葉がこぼれてなかった?」


 美亜ちゃんの片手には、ボンヤリと光を放つスマホが握られていた。ドアノブからもう片方の手を離した美亜ちゃんは、僕に向き直りながらもタシタシタシタシタシッと高速で何かをスマホに打ち込んでいる。


 無言のまま僕を見上げる美亜ちゃんの無表情の中から『是』という答えを読み取った僕は、美亜ちゃんの手からスマホを取り上げるべく距離を詰めた。


「全長183cm、体重72kgの成人男性は『妖精さん』とは言えませんっ!!」


 しかし美亜ちゃんは僕の突撃をヒラリとかわしてしまった。その様、猛牛をさばく闘牛士がごとし。おまけにその間も指は忙しなくスマホをいじり続けているのだから、器用なことこの上ない。


「妖精さんっていうのは、美亜ちゃんみたいな人のことを言うんだよっ!? 美亜ちゃん、自分が世間から何って呼ばれてるか忘れたっ!?」


 物理で美亜ちゃんを止められないと覚った僕は、言葉で美亜ちゃんの説得を始める。しかし美亜ちゃんの顔に浮かぶのは『解せぬ』という不満だけだ。


 身長147cm、体重は米俵3/4程度(本人が実際にそう表現している)


 職業はプロ小説家。シュールレアリスムとナンセンス、ブラックジョークが散りばめられた独特な作風は、文壇界から『現代のルイス・キャロル』と評されているらしい。


 常に透き通るように青白い肌。目元に常に薄っすらクマを浮かべていても可憐な顔立ち。緩くふたつに結った髪が、いくつになっても少女らしい年齢不詳な雰囲気に拍車をかけている。


 外見はシマエナガ。中身は幼女。締切に臨む様は猛虎のごとし。


 そんな彼女は世間様から『文壇界の妖精』とあだ名されている。


「そんなワケ分からない文章を送りつけたら、担当さんが困るでしょっ!」


 そんな彼女は絶賛修羅場中だ。


 何でも、急にお願いされた新作短編のネタが何も思いつかなかったらしい。数時間前まで普段の無口っぷりはどこに行ったのかという勢いで弱音を吐いていたから知っている。


 ただ、残念ながら何と言っていたのかは、布団に寝転んでいた僕のお腹に突っ伏して高速高音で悲鳴のように愚痴っていくスタイルだったせいで分からなかった。


 筆が少しでも進んだならば、それは喜ばしいことだ。しかし。


 ──いくら何でもさっきの文章をそのまま送りつけられるのは……っ!


『さすがに恥ずかしい!』と、僕は再び決死の覚悟で美亜ちゃんに飛びつく。なぜか今度の美亜ちゃんは、やけに大人しく僕の腕に捕まってくれた。


 嫌な予感がした僕は、慌てて美亜ちゃんのスマホをのぞき込む。素直に提示されたスマホの画面には『メッセージを送信しました』という無情な文面が表示されていた。どうやら文壇界の妖精さんは、先程呟いていた文章を本当に担当さんに提出してしまったらしい。


「……美亜ちゃん」


 僕の腕の中に猫の爪切りスタイルを思わせる体勢で捕まっている美亜ちゃんは『どやっ!』という満足を無表情の中に溶かして僕を見上げていた。何とコメントすればいいのかも分からない僕は、途方に暮れた顔で美亜ちゃんを見下ろす。


 そんな僕に何を思ったのか、美亜ちゃんはニヤリと無表情を崩すと、色素が薄い唇を開いた。


坂崎さかざき美亜の新作に、どうぞご期待ください」


 若干の笑みを込めて言い放った妖精さんは、スルリと僕の腕の中から抜け出すと自室へ消えていった。


 パタリという扉の音に振り返ってみても、そこには無情に閉め切られた美亜ちゃんの部屋のドアしかない。きっと今から美亜ちゃんは、担当さんからの返事を待つ間にサクサクと原稿を進めてしまうのだろう。


 ──え? マジ?


 僕を『妖精さん』って言い習わす小説を世に出すの? 本気で? 全長183cm、体重72kg、『彼』と言い習わされる妖精さんが出てくる小説なんて、グロいというか、もはや変態臭しかしないんですけども。


「……きっと担当さんが止めてくれるよね? そうだよね?」


 僕は引きった声を部屋の向こうへ投げかけたけども、もちろん返事が返ってくることはなかった。




 半年後、坂崎美亜書き下ろし短編『当家の妖精さんの話をしよう』が掲載された文芸誌は異常な売上を叩き出し、後にその短編がタイトルになった坂崎美亜短編集が発売されることになるのだが……


 この時の僕はそのことも、短編集発売決定の報を持ってきた美亜ちゃんがフスフスと鼻息も荒く渾身のドヤ顔を決めることも、もちろん知らないのであった。



【了】

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当家の妖精さんの話をしよう 安崎依代 @Iyo_Anzaki

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