わたしは昨日、誘拐されました。 ~消えたネットアイドル~

あめの みかな

ミッシング・アイドル、ミッシング・リンク

 僕には、もう四半世紀近くも探し続けている女の子がいる。


 加藤麻衣という女の子だ。


 最初はその名前が本名かどうかすらわからず、彼女が本当に実在する人物なのかどうかすらわからなかった。


 加藤麻衣という少女が確かに存在していることを知ってからも、未だにわからなくなることがある。

 彼女の存在は、ぼくが見た夢や幻のようなものだったのではないかとすら思うこともあった。


 けれど、はじめて彼女の写真を見たときの衝撃を、ぼくは未だに忘れることができないでいた。


 セーラー服の上に赤いダッフルコートを着たツインテールの女の子が、小さな胸の前で両手の指を組んでいる、そんな写真だった。


 世間では、10年程前に現れた1000年に一度の美少女に始まり、とうとう10000年に一度の美少女まで現れていたけれど、ぼくにとっての1000年や10000年に一度の美少女は間違いなく今でも加藤麻衣だ。


 当時、毎日マウスを右クリックして保存した画像は、今でもぼくのパソコンやスマホの中にすべて残っている。

 四半世紀前のデジカメで撮られた写真だから、画質はとても荒かったけれど、彼女の写真は、すべてぼくの宝物だ。

 彼女にしてみたらデジタルタトゥーでしかないのかもしれないけれど。


 彼女は当時流行っていたネットアイドルという存在だった。

 SNSどころかブログすらない時代だったから、ジオシティーズという無料のホームページサービスを利用して、サイトを運営していた。


 だけど、彼女はただのネットアイドルではなかった。



 加藤麻衣は、2001年の10月1日の夕方、


――わたしは昨日、誘拐されました。


 そんなキャッチコピーと共に突然ネット上に現れた女の子だったからだ。


 当時、14歳の中学3年生。

 サイト開設の8日後に彼女は15歳になった。


 2001年と言えば、インターネット黎明期だ。

 ISDN回線やテレホーダイといった、今の若者が聞いても全く知らないような環境でネットをする時代だった。


 あれから24年が過ぎ、彼女は現在38歳になっているはずだった。

 きっと当時の面影が残る大人の綺麗な女性になっていることだろう。

 結婚したり、子どもが何人かいたりするかもしれなかった。

 彼女が普通のネットアイドルだったなら。


 加藤麻衣は、棗弘幸という男に誘拐され、その男の家に監禁されているという異色のネットアイドルだった。

 サイト名は"MISSING"といい、それは英語圏で行方不明者を探すビラに必ず書かれている言葉だった。


 彼女を誘拐した棗弘幸という男の名は間違いなく偽名だろう。

 彼女が家族と共に住んでいた富良野市の、隣町の中学校の国語教師で29歳という話だったが、その肩書きも年齢もおそらくデタラメに違いなかった。

 そんな名の当時29歳の国語教師は、北海道中探してもいなかったからだ。


 棗にノートパソコンとデジカメを与えられた彼女は、セルフタイマーを使って撮影した写真の他、棗が撮影したと思われる写真や、誘拐された彼女自身の日記や手記のようなものを公開していた。


 ぼくが衝撃を受けた写真は、今思えば彼女が撮影したものではなく、棗が撮影したものだったのだろう。


 麻衣の家族が作成し、駅前で配っていたものだと思われるビラをスキャンした画像も、サイトには掲載されていた。


 笑ってしまったのは、加藤麻衣が自分のサイトをネットアイドルランキングサイトに登録しようとしたところ、


「実際に誘拐事件が起きている可能性を考慮し、当ランキングへの登録は見合せさせて頂きます」


 と、ランキングサイトの管理人から断られたというエピソードだった。


 それくらい、彼女のサイトはリアルだったのだ。

 彼女が誘拐などされておらず、棗という男はネットアイドルのプロデューサーか何かだとしたら、の話だったけれど。

 ネットアイドルのプロデューサーなんて、ぼくは聞いたこともなかったが。


 ぼくは今でも彼女は本当に誘拐されているのだと信じていた。

 だから、24年経ってもその安否を心配し、彼女を探していた。


 大学を卒業した後、ぼくは探偵学校に入学して基礎を学び、探偵事務所に就職して現場で経験を積んだ。

 麻衣の故郷である富良野市内に開業し探偵業を営むようになったのは、15年ほど前のことだった。


 北海道に来るまではずっとA県の厩戸見市(うまやどみし)という街に住んでいた。


 加藤麻衣に限らず、アイドルやネットアイドルという存在は、ぼくのようなファンの人生を大きく変えてしまうのだ。今の時代なら、YouTuberやTikToker、各種SNSで活躍するインフルエンサーもそうだろう。

 彼女の存在を知らないままだったなら、ぼくは地方公務員になり、ずっとあの田舎町に住み続けていたはずだったから。


 当時話題になっていた映画に、女子高生が中年の誘拐犯に誘拐・監禁され、共に生活するうちに互いに愛し合うようになるというものがあった。確か、実際に起きた事件を元にした映画だったと思う。

 誘拐や監禁などの被害者が、加害者と長い時間を共にすることにより、加害者に好意や共感、信頼や結束の感情まで抱くようになる現象を「ストックホルム症候群」というそうだが、その映画はまさにそれを描いた作品だった。


 棗弘幸がその映画を参考にしたかどうかはわからない。

 だが、加藤麻衣の手記を読む限り、少なくとも彼女は棗から映画の女子高生のように性的ないたずらをされたりはしていなかったし、監禁というよりは軟禁に近い状態で、彼の家の中だけなら比較的自由に行動ができていたようだった。

 それから、ふたりの関係がその映画と決定的に違っていたのは、誘拐される前からふたりは顔見知りであり、棗だけではなく、麻衣もまた相手に対して好意を持っていたということだった。


 棗がいつ麻衣を知ったのかはわからないが、麻衣が彼を知ったのは学校間の交流行事だと書かれていた。

 麻衣はそのとき彼に一目惚れしていたらしかった。


 加藤麻衣のサイト"MISSING"は、これまでにないネットアイドルサイトだったが、開設から2ヶ月ほどで閉鎖されてしまった。

 ぼくはたまたま、毎日アップされる彼女の写真だけではなく、彼女の手記をパソコンに保存していたからよかったが、今ではその手記を読む手段は、同じように保存していた者がたまたまネットにアップロードされたアーカイブだけになっていた。

 しかも、その手記はアップされてもすぐに消されてしまう。

 警察か、あるいはそれ以上の権力を持つ存在による、何らかの圧力がかかっているのは想像にかたくなかった。


 最後に更新された手記には、棗と共に富良野を離れ、枝幸(えさし)に向かうと書かれていた。

 枝幸は、北海道の北部に位置する町だ。毛がに籠漁日本一の町でもある。


 警察は当時、加藤麻衣の失踪を家出と誘拐の両面から捜査していたと聞く。

 彼女のサイトの存在が知られたことによって、警察から逃れるための逃亡だとしたら、富良野からさらに北に逃げるのは不自然な気がした。

 枝幸は日本の本土の最北端である稚内に近い。漁船を奪うなどすれば逃亡は可能だが、棗が麻衣を連れてロシアへ密入国するとは考えられなかった。


 逃げるなら北ではなく南だろう。

 札幌か、あるいは本州か、四国か九州か。沖縄かもしれなかった。


 それに、麻衣にネットアイドルサイトを開設するように指示したのは棗だった。

 彼がよほど間抜けな愉快犯でない限り、サイトの存在を警察に知られても大丈夫なように最初からすべて計算されていたはずだった。


 事件当時から24年が過ぎ、ぼくが富良野市内に事務所を構えてから15年が過ぎていたが、ふたりの足取りはいまだに全く掴めてはいなかった。

 探偵としての自分の力不足だけではなく、明らかに何らかの大きな力が働き、ふたりの足取りは完璧なまでに消されているとしか思えなかった。


 加藤麻衣の両親や兄は今も富良野市に住んでいる。

 ぼくの事務所は、その家のすぐそばにあった。


 彼女が無事家に帰れることができたのか、それとも今も誘拐されたままなのかすら、両親は固く口を閉ざしていた。


 麻衣には両親だけではなく、学という兄もいた。

 学はぼくと同い年で、彼女の手記にもたびたび登場していた人物だった。

 両親は再婚で、彼女と学は連れ子同士だった。

 つまり、ふたりは血の繋がらない兄妹ということになる。

 兄は引きこもりで、麻衣は手記の中で彼のことをいつも心配していた。

 家族の中で彼のことを気にかけていたのは、彼女だけだった。


 麻衣の両親には何度か話を聞いたことがあり、その度にぼくは煙たがられていたけれど、兄の学とはまだ一度も顔を合わせたことがなかった。

 彼は今も引きこもりを続けていたからだ。


 15年間、いや24年間、ぼくはこの兄の学こそが麻衣を誘拐した棗弘幸を騙る人物だと疑っていた。


 加藤麻衣は自宅で兄に誘拐され、彼の部屋に監禁されているのではないか。


 馬鹿げた推理だということはわかっていた。

 だが、枝幸に行くと書き残してネットから姿を消した彼女と棗弘幸のその後の足取りが一切掴めないのは、そもそも彼女は、世間的には誘拐などされていなかったからとしか考えられなかった。

 それ以前の足取りも、いくら調べてもわからなかった。

 家庭内誘拐なら、両親は捜索願を出さない。

 警察が動くこともない。


 つまり、事件にはならない。


 警察が当時、加藤麻衣の失踪を家出と誘拐の両面から捜査していたという情報は、彼女のサイトに書かれていた情報でしかなく、事件になどなってはいなかった。

 図書館で当時の新聞記事を読み漁ったから間違いなかった。


 兄の学はただの引きこもりの無職の43歳だが、加藤家の親戚には北海道警のお偉いさんがいることは調べがついていた。

 24年前、加藤麻衣を探すビラを駅前で配っていたのは、彼女の同級生たちだけで、兄の姿はもちろん、両親の姿すらそこにはなかったことも。


 棗弘幸の正体が誰であろうと、麻衣が誰と一緒にいようと、彼女が幸せならばぼくはそれでいいと考えていた。

 それがアイドルやネットアイドルのファンとしての正しい姿勢だと思っていたからだ。


 だが、彼女が幸せでないのなら、話は別だ。

 ぼくは、すでに加藤家の家に忍び込んでいた。

 ついさっき、両親が揃って出かけた隙に、リビングの窓にガムテープを貼り、「バールのようなもの」で叩き割っても音が立たないようにし、割って作った穴に手を差し入れ、内側から鍵を開け中に入ったのだ。


 加藤麻衣や兄の学の部屋は2階だ。

 その前にぼくは一度玄関を覗こうかと思った。


 中学3年生の女の子が履くような靴ではなく、大人の女性が履く靴があるかもしれないと思ったからだ。

 だが、やめることにした。

 この15年間、近隣住民が彼女を見かけたという情報はひとつもなかったからだった。


 覗くなら脱衣場や浴室、洗濯機の中だろう。庭には洗濯物は干されてはいなかったからだ。

 20~30代の女性物の服や下着が浴室乾燥や室内で干されていれば、麻衣がここにいることは間違いなかった。

 洗濯物は干されてはいたかったが、脱衣場のカゴの中から、彼女のものと思われる服や下着をぼくは見つけた。


 ぼくは足音を立てないようにゆっくりと、けれど確実に階段を上っていった。


「警察だ。止まれ。手に持っている武器を足元に置け」


 階段の下から声がした。


「✕✕✕✕だな。住居不法侵入の現行犯で逮捕する」


 警察官がふたり、ぼくを見上げていた。✕✕✕✕というのはぼくの名前だ。警官のうちのひとりは拳銃をぼくに向けて構えていた。


「お巡りさん、何を言ってるんですか?」


 本当に何を言っているのか、ぼくにはわからなかったのだ。


「ぼくは探偵です。この先の部屋に監禁されている加藤麻衣さんを助けに来たんですよ?」


「その麻衣さんから、この15年間、警察は何度も相談を受けてるんだよ。ストーカーに見張られていて、怖くて家から出ることも出来ないってな」


 本当に何を言っているのか、わからなかった。


 ぼくは彼女を引きこもりの兄から解放してあげったかっただけだ。

 いや、ぼくは一目でいいから、彼女に会いたかった。

 ただそれだけだっのに。

 そのためだけに、ぼくはこの24年生きてきたというのに。


 すべてを否定された気がしたぼくは階段を駆け上がり、そして、足を滑らせた。


 転がり落ちる瞬間にぼくが思い出したのは、


「この物語はフィクションです。実在する人物、団体等とは一切関係がありません」


 という、彼女のサイトのトップページに書かれていた注意書きだった。



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