いつか君と見た海を君の隣で聴いていたいよ

エモリモエ

◼◼◼

一目惚れだった。

初めて行った保護犬カフェで。

真っ白で妖精みたいな君と目が合った。

「ああ、君だ」って。

その瞬間に思ったよ。


興味はもともとあった。

けど。

犬を引き取るつもりは全然なくて。

動物とふれあって、保護犬活動のタシになるなら、カフェの売り上げに少しは貢献しようか、くらいの。

気軽なキモチだったのに。

君と出会った途端、もう一緒に暮らすことを考えていた。


離婚して半年。

男と寝食を共にするなんて、もう絶対無理だと思ってた、私。

けど、君とだったらやっていけると思った。


今思えば。

私は寂しかったのかもしれない。

ただ、この寂しさを他人と分け合うことはしたくなかった。

寂しさも痛みも私だけのもの。

それが私の生き方で、君にはそれが分かると思った。

何故かな。

君の目の奥に私と同じ寂しさを見つけた。


カフェのオーナーが言っていた。

保護したのは東日本大震災の被災地の一角で。

そのあたりはちょうど多くの人々が、逃げきれなかったり、ペットを連れて行くことを泣く泣く断念した、そういう地点なのだという。

だから、たぶん、他のペットたちのように、君も捨てられたのだろう。

そして。

私が想像もつかないような、恐ろしい光景を見たのかもしれない。

きっと。

悲しい思いをしたに違いない。


思い出すのは君と暮らし始めたばかりの日々。

ゲージの中で怯えて尻込みする君を見守るだけの何日間かが過ぎて。

ストレスのせいで吐くことも次第に減って。

いつしか私という存在が同じ空間にいることを許してくれるようになり。

少しずつ、君は太って。

噛み癖がなくなるころ。

今度は吠え癖がはじまって。

吠え癖のほうは、でも、結局なおりきらなかったけど。

それでも、だんだん、お互いがなくてはならない存在になれた。


君という色が差して、私の人生は華やいだ。

暮らしてみると、君はやんちゃな性格で、いつも走り回ってたっけ。


オモチャで遊ぶのは頭がいい証拠なんて言うけど。

ボール遊び、好きすぎだよね?

毎回私が音を上げるまでボールを投げさせるの、どうかと思う。


いつだったか。

一晩、私が帰らなかった時、君に無視されたことも忘れられない。

職場の同僚が怪我をして、付き添いが必要だったんだよ。

どんなになだめても、咎めるようにこちらをジッと見つめたあとで、ぷいっと顔を背けられた。

おまけに、すっかり怒った君は、大好きなおやつを前にしても、頑として食べようとしなかったよね。

正直、驚いたよ。

ハンストされるなんて考えてもなかったから。

本当にびっくりした。

それは丸一日続いて。

私は「もう絶対に置きざりにしません」と君に約束した。


一緒に海にも行ったね。

不思議な顔をして海を見つめていた、君のことを思い出すよ。

震災を体験しただろう、君。

あの日の海を君も見たのかな。

海を見つめていた君の顔はとても静かで、私には何も分からなかったけど。


思い出すのは楽しかったことばかり。

いろんなことがあったね。

面白いことがいっぱいだったね。


震災から十四年。

君はすっかりおじいちゃんになった。

このごろ足元がおぼつかなくなっていたのは知っていたけど。

去年、骨折して。

それがきっかけで寝たきりになった。

もともと動くのが好きな性格なのに、自分の体が思うようにならないのはつらいと思う。


気難しく、食も細くなった。

最近は肺の機能も落ちて、息がしにくい。

夜になると特に、ゼイゼイ呼吸が苦しそう。


私は君の背中をなでる。

お腹を触らせてくれないのは他にもどこか痛いから?

お医者さんに相談したら「お年寄りだからねえ」と言われた。

もらった薬は苦いらしく、飲ませるのは毎回、戦い。

でも、痛みなく、君に長生きしてほしいんだよ。


最近。

君は何もない所をじっと見ている時がある。

君は何を見ているのかな。

私には見えない、何を。


もうすぐ君は死ぬ。

そのことを私は知っている。

そのことを君も知っている。

君の死に耐えられないのは私のほうだということも。


気がつくと、いつの間にか泣いている。

君の背中をなでながら。

君は首を伸ばして、私の顔をなめる。

泣くようなことじゃないよと言いたげに。


君は強い。

私もいつか君のように生きられるのかな。

君のように我儘に。

君のように孤独を抱えて。

それでも優しく、生きていけるのかな。


君は幸せだったかな?

君が私を幸せにしてくれたように。


もし、そうだとしたら、とても嬉しい。


今はただ、君の隣に横たわり、君の呼吸を聞いている。

この瞬間の幸せが、かけがえのないものだと分かっているから。

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