あゝ人生とはまったく

小林一咲

皮肉な人生

 机に突っ伏したまま、菊地は小さく呻いた。


 七月の昼下がり、じりじりと照りつける日差しが障子を透かして室内を茹で上げている。蒲団の上に転がったまま、腕を枕にしていた菊地は、ぼんやりと天井を見つめた。


「これが人生か」


 呟くと、どこかの猫があくびでもしたような間の抜けた響きが返ってきた。


 書いた。書きに書いた。半年以上、朝も夜もなく机に向かい、鉛筆を握りしめ、手が痛くなるまで原稿用紙を埋めた。構想に三ヶ月、執筆に三ヶ月、推敲に二ヶ月。八ヶ月の歳月を注ぎ込んだ大作が、選考の一次にも引っかからず、代わりに遊び半分で書いた千字ほどの短編だけが予選を通過した。


 何かの間違いではないか、と菊地は手紙を何度も読み返した。だが、どう読んでも結果は変わらない。


「大正文藝賞」――それが今回、彼が挑んだ文学賞の名だった。


 菊地は小説家を志していた。いや、正確に言えば「小説家になれたらいいな」と夢想し続ける生活を送っていた。


 中学を卒業して以来、書生の仕事を転々としながら執筆を続けていたが、一向に芽が出ない。谷崎も芥川も、みな二十代で世に出たというのに、菊地はもう二十七だ。そろそろ身の振り方を考えなければならない年齢だった。


 それだけに、今回の賞には賭けていた。手応えもあった。これはいける、今度こそ、と信じていたのだ。それがどうだ。箸にも棒にも引っかからず、千文字の戯れ文だけが通るとは。


「何が悪かったんだ」


 枕元の原稿を手に取り、改めてめくる。精魂込めた労作だった。時代背景、人物の心情、構成、すべてに気を配ったつもりだった。しかし、結果はあまりにも無情だ。


 反対に、千文字の短編は酷いものだった。酔っ払った勢いで書いた、どこにでも転がっていそうな失恋話。使い古された筋書きに、月並みな比喩。こんなものが通るとは、皮肉な話だ。


「人生はまったく」


 再び呟いてみると、やはり間の抜けた響きがする。可笑しくなって、ふっと笑った。


 そうか、これが人生か。


 何をどう工夫しても報われないことがある。逆に、肩の力を抜いたものがするりと世に出ることもある。結局、物事は思い通りにはいかない。そんな当たり前のことを、ようやく悟った気がした。


 風が吹いて、机の上の原稿がはらりとめくれる。千文字の短編。その紙切れ一枚が、ひょっとすると菊地の人生を変えるかもしれない。


「まあ、いいさ」


 菊地は寝返りを打ち、笑いながら目を閉じた。


 ――人生はまったく、奇妙なものだ。

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