Depth37 心
鬼崎は自らの力が認められる世界を作りたかった。きっかけは些細な願望だった。始まりはただ愛されたかっただけなのかもしれない。彼は親に捨てられ、児童養護施設に保護された。そこに集められているのは、鬼崎のような捨て子をはじめ、虐待や育児放棄、貧困にあえぐ子供たちだ。彼は物心がついてすぐに、相部屋に住む少年を半殺しにした。「目が気に入らねぇ」それだけの理由だった。彼にとって暴力だけが他人に自分を認めさせる手段であり、その蔑んだ瞳が恐怖に染まるのを見ることだけが愉悦だった。
何度か少年院送りになってからもその暴力性は消えず、どこにも居場所はなかった。彼は施設を追い出された18歳以降、いわゆる半グレと呼ばれるグループに所属して犯罪行為を行いながら生活していた。そのグループはヤクザの管轄する闇金の下部組織で、取り立てた金に応じて報酬を受け取る。そのためにはもちろん恐喝や暴力も含むあらゆる行為が正当化されていた。だが分け前は少なく、みなが不満を漏らしていた。結局、どこに行っても社会の本質は変わらなかった。権力を握ったものが弱者から搾取する。表面を取り繕うか、気にしていないか、それだけの違いだ。
あるとき鬼崎はヤクザの1人に嵌められた。生意気だったからかもしれないし、ただ憂さを晴らしたかっただけかもしれない。ともかくその男は、当時一番の若手で下っ端だった彼を標的にして、集団でリンチした。その男自身もヤクザの中では下っ端だった。だが、少しは信頼し仲間だと思っていた半グレのメンバーは鬼崎を裏切ってそのリンチに加わった。流石の彼でも1人ではどうしようもない。彼は意識を失い、気が付いたときには、暗く薄汚れた不可思議な空間にいた。
死んだのか?最初はそう思った。死後の世界の方がいくらかマシだろうと思っていたが、どちらも大差はないように感じる。「ああ、どこもかしこも腐ってやがるんだ」そう悟った。少しして、目の前に気色の悪い化け物が姿を現したとき、それを確信する。「やっぱりな」しかし、絶望はなかった。
あるのは強い憎悪と怒りの感情だけだった。全てを否定されてきた。両親にすら己の存在を否定され、同じような境遇のガキからも蔑まれ、仲間だと思った奴らですらあっさりと裏切った。理不尽を押し付ける世界を憎悪し、そのすべてが怒りの対象だった。生まれや運を実力と勘違いする傲慢な権力者たち。群れることでしか生きられない底辺。幸せそうにのさばる弱者ども。なによりもそれを許すこの世界。
「全部だ……全部ぶっ壊してやるよぉ!気に食わねえ奴らは皆殺しだ……。まずはてめぇからなぁ?」
彼はその魚を殺すと決めた。そしてその瞬間、彼の横には人喰いザメが現れて、その魚を喰らいつくしていた。彼は嗤った。久しぶりに心の底からこぼれた笑いだった。
「死ね!死ね!死ねぇ!」
自らの想像通りにそのサメは動いた。心地よかった。何かを蹂躙し、その未来を奪うことが。
その後の彼は何度か実験を繰り返し、自分の能力を把握した。そして、事件が起きる。鬼崎は彼を貶めたヤクザと半グレの裏切者に復讐を遂げたのだ。簡単なことだった。スタンガンで意識を奪った後に、心海へと引きずり込んだ。怯え切った彼らをその能力と自らの拳で痛めつけるのは心底快感だった。最後にはキングジョーが彼らを噛み千切り、現実の死体も哀れな状態で発見されることとなる。これが”人喰い事件”として世間をにぎわせ、彼は自分の生きる道を見出した。
「俺様は、こんなところでくたばる雑魚じゃねえ」呼吸ができず意識が混濁し、死と絶望の淵にあった鬼崎はその一心で、ポケットにあったものを手に取った。それは、ハットの人物――クラーケンから受け取った一本の触手だ。それはまだ命あるかのようにその細い身をよじっている。彼は溢れてくる自らの血と共に、その触手を無理矢理に飲み込んだ。
――ドクン。
心臓が強く打つと同時に、腹の底からどす黒い感情と興奮が湧き上がるのを感じる。みるみるうちに傷は癒え、心息がみなぎるのが分かった。今ならなんでもできる。そんな全能感が彼を包んだ。うっとりと天を見上げる彼は、また嗤っていた。
「優音!あぶねえ!」
その笑い声に優音が振り向くと、そこには鬼崎が恍惚とした表情を浮かべて立っていた。そして、その手に握られたナイフが彼女を襲った刹那、猪俣が咄嗟に彼女を抱きかかえて庇った。彼は背中を大きく切られ、口からも少量の血が吐き出される。
「猪俣、くん?どうして」
彼の顔にもう恐れの色はなかった。
「わかったんだ、お前の心が助けを求めてるって……」
八代と矢切は鬼崎に向かって発砲しつつ駆け寄ってくる。鬼崎はもはや避けようとすらしなかった。その身に受けた銃弾は飲み込まれ、傷口は瞬く間に塞がっていく。彼は陶酔しきった様子で高笑いを浮かべていた。
「今日からッ!俺様が世界だぁ!」
優音は混乱していた。鬼崎が生きていること、そして、猪俣が身を挺して自分を救ったこと。なにより、私に猪俣の言うような心なんてない。だが、否定しているはずなのに、その言葉は彼女を捉えて離さなかった。初めての感覚だった。自らの脳がエラーを警告している。処理が追い付かない。
「戻って来い優音!飲まれてんじゃねぇよ。あんな奴の感情にっ!」
私は飲み込まれていた?鬼崎の感情に?いや、あれは私の感情だ。あれこそが探していた私の心だ。そのはずだった。
「俺に……適応を使え。早く!」
その声と同時に、鬼崎は瞬間移動を使って八代の元に現れていた。発動条件は満たしていないはずなのに。
「うるせえ犬から殺してやるよ」
不意を突かれた八代だったが、咄嗟に自らへと『不変』を付与した。鬼崎の手に持っていたナイフはその切っ先が割れ、破片が床へと落ちる。八代のすぐ横にいた矢切は、その一瞬の隙を見逃さず、鋭い前蹴りを鬼崎の腹部へとヒットさせ、ついで顔面を拳銃で撃ちぬいた。
「効かねえなぁ!」
だが鬼崎はその足を崩れた顔のまま掴むと、まるで重みなど無いかのように、矢切の身体を八代に向けてぶつけた。即座に能力を解除した八代は矢切と共に投げ出される。
優音は意図を理解せぬままに、猪俣へ『
「うまく言えねえけど……正義は、心は、もっとずっとあったかいもんだろ!」
彼女は初めて、泣きたくて泣いた。理屈はわからないままに、涙があふれていた。優音はそっと猪俣を抱きしめる。「ん、あっ?」猪俣は一瞬たじろぐが、そのあとそっと抱き返した。
(こいつはもっとずっと大人だと思ってた。だけど、本当は……)
温かい何かが込み上げる。初めて彼女の心に触れた。そんな気がした。
「私、いきます」
優音は涙を拭きとって立ち上がる。少し先では、使い物にならなくなったナイフを投げ捨てた鬼崎が2人を相手に激しい暴力を振りかざしていた。2人もうまく立ち回っていたが、キングジョーも加勢していよいよ追い詰められている。
「俺は弱い……でも、お前なら勝てる!……いってこい!」
「猪俣くんは強いです。私なんかよりずっと……」
そう言った彼女は自らに加速を付与し、鬼崎の元へと走っていった。猪俣はそれを見送って、深く息を吐いた。後ろに倒れ、目を閉じる。「あいつなら大丈夫。いや、みんななら……」背中の血は止まらなかった。だが、彼は満足げな笑みを浮かべていた。
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