Depth23 発動条件

「ソラ!適応アダプト


 痛みはあるが動きに支障はない。優音は能力の発動と同時に銃弾を撃ち込んだ。命を狙ってもいい、そう判断して胸元に狙いを定めた3発。しかし、やはりそれらは空を虚しく裂き反対側の塀にめり込んだ。


「おっかねえなぁ」


 奴は真横から現れて、間髪入れずに拳で攻撃してくる。優音はその可能性も多少想定していたからなんとかガードを含め対応できたものの、一発一発が鉛のように重い。しかし……奴は完全に彼女をターゲットに能力を発動していた。今まで集まっていた奴の情報を考慮すれば、瞬間移動能力は万能ではないはずだ。なんらかの条件が整った?だとしたら……。彼女はいくつかの仮説を組み立てる。


 彼女はギリギリのところで攻撃を躱し、ソラを呼び寄せた。この戦いはあまりに分が悪い。連戦の上、戦闘能力は明らかに相手の方が格上だった。佐久間との戦闘訓練がなければ今頃なぶり殺されていただろう。身体能力だけで言えばジョーは佐久間に匹敵する、いやそれ以上かもしれなかった。


「なかなかやるなぁ?随分と成長したじゃねえか!だが逃がさねえ。お前も来いよキングジョー!」


 彼女は帰還ジャンプのためソラに触れようと手を伸ばしたのだが、瞬間移動してきたキングジョーによってそれを阻止される。剃刀のようなヒレがソラをかすめた。


「TO:八代隊長。NO,NO,NO」


 彼女は交戦しつつデバイスに向けて小声で発信する。これは事前に決めておいたことだった。『NO』3回。これは「ジョーとの接触」を指す。可能なら帰還したいところだが、それをさせないように立ち回られている以上、誰かが来るまで持ちこたえるしかない。


「誰と話してやがるんだぁおい?」


 直後、能力により優音の背後に現れたジョーの蹴りは彼女の腹部を捉えた。戦闘のさなか変幻自在に場所を変えられれば、さすがに対応しきれない。今度ばかりは直撃を受け、彼女は自分の骨がきしんだ音をハッキリと耳にする。格闘戦の能力も非常に高い上、能力による予測不能の攻撃……それはあまりにも鮮やかで、まともに戦っても勝ち目は薄い。出会ってすぐ、発動条件を満たすをされたに違いない。


 吹き飛びそうな意識の中、彼女はその条件を理解する。今までのジョーとの戦いにおける資料の内容……私たちがなんとか守った女性にあったという細かな切り傷。奴が現れてから私にしたこと。そして、彼女の視線の先にあったのは、先ほど無残に殺された津田沼の手だ。彼の手の平には刃物で付けられた小さい傷があった。それは先ほどの戦いで負ったものではない。傷の状態から見てもっと前に付けられたものだった。そこから導かれる帰結。


 最初に奴がここに現れた時、奴は既にマーキングしていた津田沼に瞬間移動した。そして、優音への攻撃により条件が満たされたのだ。


「あなたの……能力発動条件は、相手に外傷を与えること……でしょう?」


 彼女は腹部を手で押さえながら、血のにじむ口で言葉を発した。そして、鋭く睨みつけ、闘志を見せつける。「ほう?」奴はニヤリと不快な笑みを浮かべながら小首をかしげる。

 

「さあて、どうだかな?」


 奴の感情を見ても、少しの感心が浮かんだ。おそらくは合っている。津田沼ふくめ、仲間にはマーキングが済んでいるのだろう。だからさっきも跳んでこれたのだ。


「鬼崎恭介……あなたの生い立ちは悲惨だった。親に捨てられて、どこにも受け入れられず、孤児院で過ごしたんでしょう?」


 優音は時間稼ぎと心息の削りを兼ねて言葉を紡ぐ。奴のハッキリとした経歴はほとんどわからなかった。しかし15年の調査によって集められた穴だらけの情報からでも推測できることはある。彼女の言葉は、半分は当て推量だった。奴は黙って笑みを浮かべていたが、彼女は彼の心に浮かんだ少しのざわめきを見逃さない。


「受け入れてくれない世界を壊す。それがあなたの目的ですか?」


「俺様の心息を削ごうとしたって無駄だ。だが、なかなか面白れぇ」


 ジョーはオールバックを搔きあげて少し頷いた。キングジョーも攻撃の手を緩め、ただソラの行く手を遮る形で揺蕩っている。彼女は息を整えながら畳みかけた。


「あなたを捨てたご両親はまだご存命です。その情報を知りたくはないですか?」


「取引でもしようってのか?けっ、そんなもんお前らをぶっ殺してから奪えばいい」


 正直に言えば優音はその情報など知らない。ハッタリだった。


「なんのために人を殺すの?楽しいから?いや、注目されたい、認められたい。そんな思いの裏返しなのではないですか?」


「……お前、もういいわ。死ね」


 ジョーの口からはニヤニヤとしていた笑みが消え、冷め切った表情になった。来る。そう判断した優音は、携行していた使い慣れないナイフを自分の周囲に無秩序に振り回した。瞬間移動後、奴はすぐに感づいて身を退けたが、振りかざした刃先が頬をかすめる。その一文字に切れた傷跡からは少量の血が滴った。ジョーはそれを舌先で舐めて笑う。

 

「ヒステリックな女はおっかねぇなぁ!」


 その直後、キングジョーはソラを見ていた目をギロリと優音に向きなおし、猛スピードで突っこんできた。口の縫い目がブチブチと裂けて、その鋭く列を成した歯がむき出しになる。もともと二段構えだったというわけだ。その歪なほどに巨大な口が優音をかみ砕こうと迫る。


 ――ガチン。


 閉じられた口から発せられたのは歯と歯がぶつかり合う音だけだった。ジョーが眼を見開くが、視線の先にいたはずの優音の姿はない。


 ジョーは気配を察したのか野性的な直観なのかはわからないが、背後を振り向きざま、回し蹴りを放った。それと同時に銃声が鳴る。標的が動いたため狙いは逸れたものの、その銃弾はジョーの右わき腹を捉え、鮮血が散った。だが、優音も蹴りをまともに受けて吹き飛ばされる。


「クソが!どういうトリックだぁ!?」


 優音はフラつきながらもなんとか立ち上がり、ニヤリと笑った。それはわざとジョーの真似事でしたことでもあり、彼女の心に巣食ったジョーの感情に従ったものでもある。とても歪で、怖気の走る笑顔だった。


「櫟原ちゃん!無事かい!」


「櫟原!」


 そこに、銃声を聞きつけて場所を割り出したのだろう、八代と矢切が到着した。優音はその歪んだ笑顔を止めて、彼らの方向に顔を向ける。もはや心息は限界だった。ソラの姿もない。


「チッ!わけがわからねぇ……!」ジョーは大きく舌を打ち言い放った。「てめえだけは絶対ぜってえ俺様が直々にぶち殺す」


「私は、櫟原優音です」

 

 ジョーは優音を睨みつけながら、その姿を消した。八代や矢切の放った銃弾はやはり届かない。だが、優音は何とか生き残ったのである。


「ひどい傷だ。矢切くん、すぐに手当てを!」


「言われなくても……!メディック!」


「助かり……ました!正直もう限界ギリギリです」

 

 優音は精一杯の笑顔を張り付けてその場にへたり込む。即座にカブトガニの尻尾で治療が施された。

 

「それにしてもよく保ちこたえたな……」


 矢切はいつになくほっとした表情を浮かべて呟いた。八代は念のために周囲の警戒を解かない。


「奴の……能力の秘密がわかりました」


 2人は驚きの表情を浮かべたが、治療と警戒を続けつつ黙って続きを促した。優音は深呼吸をして続ける。


「傷をつけた相手の近くへ跳ぶ能力……それが奴のバディ能力です」


「なるほど……」八代は神妙な顔をして独り言ちた。過去の経験などと照らし合わせているのだろう。


「それと……これは仮説ですが、おそらく奴は傷をつけた相手の位置情報や簡単な健康状態なども分かる可能性があります。何より厄介なのは、身体能力。奴の近接戦闘の技術は佐久間さん以上かもしれません」

 

「……それだけ分かれば充分だ。よくやったな。戻って休むぞ」


 応急処置を終えた矢切は優しく微笑んで肩に手を置く。


「ところでその、みんなの状況は……?」


「僕たちの行った2か所は制圧できた。小日向ちゃん、猪俣くんコンビは何かと戦闘中、草場くんもどうやら手が離せないらしいけど問題はないってさ」


「そうですか……」優音は天を仰いで呟いた。「ならよかった」彼女の肩に入っていた力が抜ける。


「それじゃ、櫟原ちゃんは一度戻って回復を優先させて。僕たちは未対応の地点に向かうよ。あとできれば、これ」


 そう言って八代が手渡したのはジョーの血液をしみ込ませたハンカチだった。


「これをできればヒデさんに渡してほしい。それにしても奴に傷を負わすなんてね……本当にすごいよ、頑張ったね」


「了解しました。ありがとうございます……!」


 優音は笑顔を作りそのハンカチを受け取った。


「じゃあ、一度帰ろう。帰還ジャンプ


「俺たちもいくぞ」


 優音が頷いたのを見て矢切も頷き返す。


帰還ジャンプ


 矢切のジャンプによって優音の身体にも浮遊感が押し寄せる。こうして彼女は無事に地上へと戻った。だが、もちろん事件はまだ全く収束していない。今日も長い一日になりそうだった。

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