Depth10 人喰い
「奴は通称”人喰いジョー”。表に出ちゃいねぇが、日本の現代史に残ろうシリアルキラーだ。確定じゃねえが、本名は恐らく
串呂はスツールに腰かけ、ポケットから棒付きのキャンディを取り出して口に含んだ。問われた優音は少し記憶をたどる……彼女は当時8歳だったが、両親がひどくその事件について気にしていたことを覚えていた。都内で起きた事件であったし、テレビでも時おり特集番組が組まれていたはずである。死体がいずれも何かに食い散らかされたかのように引き裂かれていたというので、センセーショナルな事件だった。
「いえ、ハッキリとではないですが……覚えています!テレビでも何度か見た覚えもあります。それに……両親がひどく憤っていました。こんなことが現代日本でまかり通ってはいけないだとか……」
「まあそうか、今ですらネットじゃ話題になるしな。本来あれは表沙汰になっていい事件じゃなかった」
「確か第一発見者がヤクザを張っていた記者だったんだっけ。僕はまだC-SOT所属じゃなかったけど、警視庁もマスコミの対応とかで大変だったよ」
八代はそう言いながら温かいお茶を2人に手渡すと、持ってきたらしいスツールに腰を下ろした。優音は「あ、ありがとうございます!」と少し慌てた様子で答え、フーフーとお茶に息を吹きかける。
「ありゃあひでえホトケだったよ。現代にT-レックスでも現れたのかと思ったからな」そう言って串呂はガハハと豪快に笑った。優音も笑みを浮かべようとするが、笑ってもいいものか少し迷った結果お茶を口にしてごまかす。
「あれ以来、少なくとも15人以上がジョーの餌食になっている。僕なんかは奴を追って
八代は少し目を落とし、自嘲気味な笑顔を浮かべた。普段の軽口や態度とは裏腹にかなり壮絶な経験をしているのだろう。優音をそのジョーと安易に遭遇させてしまった罪悪感のようなものも混じっているように思えた。
「そうだ……そして奴は5年前に突如姿をくらませた。きっぱりと喰い事件は起きなくなったんだ。おそらく海外にでも逃げて
「私たちがまた遭遇した……」
優音は深く考えるように言葉を置いた。
「そういうことだ。それに加えて妙なのは、奴がそのガイシャ……お前らが助けた女だ……を食い殺さなかったことだな。そうなってくると奴はもはや”人喰い”じゃねえのかもしれねえ。ハッキリ言って何がしたかったのか、思考回路が急に読めなくなっちまったって感じだ」
「そう、以前までのジョーは無差別……といっても金持ち相手の強盗が多かったけれど……バディを使って食い殺すことにこだわりがあったみたいだ。最後はバディで食いちぎって殺すことで、何かエクスタシーを得ていたんだろうね」
八代はお茶で一度のどを潤した後に続ける。
「それに奴は、もっと心海の深いところで犯行を行っていた。まるで自分を試してるみたいに、時を追うごとにどんどん深くね……」
「今回は……何か狙っていたんでしょうか……私たちをおびき出すためだったとか?」
3人はしばらく沈黙する。串呂がキャンディを舐める音だけが病室で唯一の音源だった。そして、そのキャンディを食べきったらしい彼は立ち上がって、棒をごみ箱に捨てたあと大きくため息を漏らす。
「今は考えてもわからねえことばかりだな。そろそろ……俺も戻らなくちゃならねえ」
「そうだね、いずれにせよ櫟原ちゃんはしばらく休養だから、ゆっくり体を休めてね」
八代もそう言って立ち上がるが、またふと思い出したように付け加えた。
「あ、でも佐久間ちゃんと修行するのか。彼の指導は貴重だし、すごくためになると思うけど、本当に無理はしないようにね」
優音はコクリと深くうなずき、「大丈夫ですっ!」と歯切れ良い返事をした。八代は優し気な笑顔を向けて「僕たちと入れ替わりで猪俣くんと小日向ちゃんを呼んでくるから」と言葉を残し、背を向けながら小さく手を振った。串呂も「じゃあな!」と言って去っていく。
優音は1人になった病室で”ジョー”の事を考えていた。奴の抱えていた衝動……目的は何だったのか……。合理的な帰結はまだ得られない。だが、また奴とは出会うだろう。そんな、彼女にしては珍しい無根拠な予感めいたものを感じていた。
――
「櫟原さんはどこまで深層に潜ったことがありますか?」
”最果ての三傑”こと佐久間宗一郎は病室のベッドから立ちあがった優音に尋ねる。優音が意識を回復したのはつい昨日の出来事だ。だが彼女は今から訓練に向かうらしい。無理をするなとは言われていたし、佐久間もそこはもちろん気遣っていた。いくら心海での活動が、地上での肉体疲労の影響をあまり受けないからとはいえ、少しばかり無茶で不合理な選択とも言えた。しかし、彼女にしては珍しく頑として譲らず今に至っている。敗北したことへの焦りなのか、純粋に機会損失を嫌ったのか、いずれにせよこれから心海へ向かうようだ。
「私の最高到達深度はDepth15です!心海魚もそのレベルが単独で討伐できるギリギリ……という感じです」
佐久間は顎に手を当てて感心したように頷く。「新人でDepth15の
「ですが、ジョーと戦おうというのなら最低限
優音は俄然やる気をたぎらせた視線を向けた。彼女がどうしてそこまでジョーに拘るのか、佐久間にはよく理解できなかったが、そのある種の若さを微笑ましく感じているようだった。彼女は佐久間に尋ねる。
「佐久間さんから見て、ジョーの実力はどれくらいだと考えていますか?」
「正直に伝えますと、私は彼が姿をくらます直前に一度会ったきりです。取り逃がしてしまったことは、今でも悔やんでいますが……」そう言って少し思案した後に考えを連ねた。「ジョーの実力は当時でもDepth30、つまり
(奴はそれほどの実力なの?)
彼女の思考が巡る。まだ戦った時のことを上手く思い出せなかったが、少なくとも生き残ることができたという事実から、ジョーの脅威度をもっと低く算出していた。だが、佐久間がでたらめを言うとは思えない。だとすれば、優音が出会った時はかなり手を抜いていたか、あるいは、すでに心海での戦闘や何かしら長時間の作業を終えた後だったのかもしれない。どちらにせよ生き残れたのは奇跡と言っていいレベルだった。少なくともDepth30の心海魚に出会っていたならば全員が確実に死んでいただろう。
「ただ、これは人類にもたらしうる悪意なども含めた総合的な判断です。ジョー自身が単独でDepth30相当の心海魚と戦って勝てるかと言えば、正直なところ分かりません。彼の正確な能力もまだ判明していませんしね」
確かにそうかもしれない。だが、いずれにしても相当の実力者であることには変わりがないようだ。優音はさらに自分の決意を強くした。正義を成すためには、もっと強くならなくてはいけない。
「いつでも潜れます!行きましょう佐久間さん!」
「やる気は充分なようですね。ですが、最後に確認だけしておきましょう。今日は座学に近い形式です。いくつか心海での動きや呼吸、精神状態の維持についてアドバイスしますから、それらを意識しつつ戦闘を見学していてください。潜るのはそうですね……Depth15にしましょう。戦闘をしなければ櫟原さんの心息も問題ないはずです。少し病み上がりには厳しいですが、なるべく最短で強くなりたいようですしね」
そう言ってふふと笑った佐久間はマスクを付けた。優音もそれに続く。そして彼らは心海へと向かうのだった。
「「
2人の身体は水中をゆっくりと沈んでいくように、心海へと消えていった。
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